安土桃山時代ってなに時代?
そんなイメージが皆さんの中には多いのではないでしょうか。
私も最初は、戦国時代の次あたりだよね?ぐらいしか知りませんでした。
安土桃山時代って、あの有名な織田信長と家来だった豊臣秀吉が実権を握っていた時代なんです!
信長が居を構えた安土城と、秀吉が居を構えた伏見城があった桃山丘陵という場所から取られた名称なんですよ。
戦国時代も終わり、まだまだ戦もあるけど、世の中的に華やかになっていった
そんな安土桃山時代の文化・食事・服装について解説していきたいと思います!
茶道の文化はここから始まった!
茶道というと、あんまりなじみがないし、堅苦しいんじゃない?そんなイメージを持っている方も多いと思うんですよね。
私、抹茶そのものは飲んだことはないんですが、抹茶好きで、よく抹茶アイスとか抹茶の飴、キットカットの抹茶なんか良く買って食べますね!笑
安土桃山時代は、茶道ではなく「茶の湯」と呼ばれていたみたいですね。
もともとは、804年に時の僧侶、空海と清澄が中国から茶葉を日本に持ち帰ったのが始まりなんです。
けれどあまり庶民に根付かなかったみたいで、嗜好品とかじゃなく、「薬」として飲んでいたみたいですね。現在のような緑色ではく烏龍茶みたいな色をしたようです。
「茶色」の語源もなんとここからきているんです!
茶道の元となった、「茶の湯」なんですが茶の湯の原型を築いたのが、なんと室町幕府の八代将軍・足利義政なんですね。
この人ちょっと面白い人で、将軍なのに政治は全くだめ。家臣や妻に丸投げしちゃうんですね。興味ないんですよ政治に。笑
それで「応仁の乱」っていう内乱が起きちゃうんですね。
その代わり、とても芸術肌の面を持っていたようです!茶の湯も好きみたいで、息子の義尚に将軍職を譲ると、さっさと京の都の東山に別荘を建ててこもっちゃうんですよ。
その一部が有名な「銀閣寺」なんです!
集中して茶の湯を楽しみたいってことで、和室の原型を作ってしまったんですね。
茶の革命児、千利休登場
そして、安土桃山時代に入り革命児とも言える人物が頭角を現します。有名な「千利休」です!
利休は、それまでの派手で豪華な茶をたてる場所を「茶室」として独立させて、道具などをシンプルにしちゃったり、今までのしきたりをぶっ壊しちゃったんです。
けれど、悲劇が起きてしまうんですね。金や豪華さを好む秀吉。対してシンプルイズベストの利休。
二人は性格が正反対だったんです。しかも利休、結構頑固なんですよ。
それでとうとう、時の天下人の秀吉に意見しちゃうもんで切腹を命じられてしまうんですね。なんともかわいそうな話です。
時を経て現代にも茶道の文化が定着したのは、千利休が命をかけて茶の湯を守ったからなんですね。
歌舞伎の文化は女性が発祥なの!?
次に紐解いていきたい文化は「歌舞伎」です。みなさん「歌舞伎」というと全員男性で演じますよね?女性役も「女形」といって男性が女性役に扮して演じたりしています。
安土桃山時代が歌舞伎の発祥なんですが、なんと始めたのは女性なんですよ!
私も知った時には意外な感じでしたね。男性じゃないのって。
歌舞伎を誕生させたのが、どうも「出雲阿国」って言う出雲大社の巫女さんらしいんです!
巫女さんが歌舞伎?ってみなさんびっくりしますよね。
私、10年ぐらい前にNHKのドラマで観たことがあるんです!主演は、普段知的なイメージの菊川怜さんで、色っぽくなぜか一心不乱に踊ってましたね。笑
歌舞伎を発祥させた阿国さんですが、なんでも京の都から始まって「かぶき踊り」って言われていたみたいです。ここから「歌舞伎」って名前になったようですね。
このかぶき踊り。結構官能的な踊りで、遊女たちの間で爆発的にヒットするんです!
私がドラマで観たのはこの辺だと思います。笑
現代で言えば、バブル期に流行ったジュリアナダンスのようなものですかね?
けれど世の中の風紀を乱すとされて、江戸時代に入ると女性が演じることを禁止されてしまうんです!
私思うんですよね。江戸時代が国の発展を遅らせたんじゃないかって。
歴史にたらればはないけど、信長や秀吉が長生きして安土桃山時代が長く続いていたら結構面白い時代で、もっと日本の近代化が早まったんじゃないかってね。
私たちの普段の食事は実は斬新だった!?
文化の次は、当時の人々がどのような食事をしていたのか解説していきます。
庶民と武士はやっぱり食事の種類は違うみたいですね。なかでも、刺身は贅沢品だったようで、この頃から「しょうゆ」を使って食べられていたようですね。安土桃山時代以前は、お酢や塩を使って食べていたみたいです。
私も実家が宮城県なんです。だから、市場から市内に新鮮な魚が直送されるんで、刺身が大好きなんですよ!
お酢や塩じゃちょっと味気ないですよね。しょうゆを使って食べられたのって、結構斬新な感じだったと思うんです!あの芳醇なしょっぱさは塩とは違いますよね。まさに、しょうゆならではです!
刺身の中でも今でもぜいたく品とされているのは「あわび」なんかと思うんです。このあわび、安土桃山時代もぜいたく品だったみたいです。熱々のあわびにしょうゆ!絶妙ですよね。私、熱燗ほしいです。笑
でも、しょうゆだけで大量に食べた時大変なことになりませんか?食中毒とか心配ですよね!それで、しょうゆの友とも言える「わさび」もまた、安土桃山時代から使われるようになったんです!
1日の食事は3食じゃなかった?
みなさん朝忙しかったり、ダイエットとかしてない限り、だいたい、1日3食食べますよね?
安土桃山時代の食事はなんと、「1日2食」だったんですよ!朝と夕方だけで、「昼食」がなかったんですね。
内容も一汁一菜と言われるもので、味噌汁に野菜、ご飯も白米じゃなく、あわや雑穀など質素な物だったんです!武士との差がなんとも悲しい、、、
千利休は食事にも革命を起こしてた!?
先ほども茶道の文化で登場した千利休ですが、なんとここにきて、またまたいい仕事しているんですね。笑
現代の「懐石料理」の原型も作っちゃうんです!茶を楽しむ前に、腹ごしらえということで考案された料理形式なんです!
懐石料理って一品ずつゆっくり出てきますよね。そうすることによって、より楽しく茶を味わうことができるんですね。利休ただもんじゃないです。笑
突然ですが、みなさん服は好きですか?特に女性の場合、好きなブランドとか結構あると思うんですよね!
最後に、安土桃山時代の服装について解説していきたいと思います。
脇役の服装「小袖」が主役となる時!
安土桃山時代というと、フランシスコザビエルなどの南蛮人がどんどん布教のためにやってきます。
南蛮人っていうのは、ポルトガル人やスペイン人のラテン語圏やヨーロッパの人たちを指す言葉だったようです。「黄金の国ジバング」とか言われて、外国人から見れば日本は夢の島に見えたようです!
この南蛮人たち、日本に持ち込んだのはキリスト教だけじゃなく、文化や服装なども持ち込むわけですね。日本人もまた、南蛮人を観て、「これいいじゃん!」ってどんどん自分たちの生活に取り入れていくわけですね。
それまでは、下着として着られていた小袖。安土桃山時代からは、普段着として武家の女性から町人の女性まで着られるようになったようです!
下着といえば、私が中学生ぐらいの時、「キャミソール」は下着って感覚じゃなく、結構普通に、中学生から大学生までの女の子は夏場とか着ていましたね。
代表的な人だと、デビュー当時の持田香織さんです!今ではほわんとした大人の女性ですが、当時はギャルっぽかったですね。かくいう私も。笑
そう考えると「小袖」と「キャミソール」は逆の運命をたどりましたね、、、
小袖とともに、武士の奥様方は「打掛」っていうのを上に着るようになるですね。
打掛を着ることによって、ぐっと武家の女性って感じがします!私は、大河ドラマの「春日局」の大原麗子さんのイメージが強いですね!
女性だけじゃなく、男性の服装はどうだったの?ってみなさん気になると思いません?
服装に凝るおしゃれ番長の二人!
素襖といって、それまで日々戦が行われていたので、武士も動きやすいようになったんですね。直垂の素材が絹から麻に変わった服装になったようです。
そんな中、奇抜な服装をした二人の男性がいます!「織田信長」と「伊達政宗」です。
信長は南蛮人が持ち込んだ文化をこれでもかと取り込むわけですよ!笑
ビロードのマントにフレーズシャツ!とても今までの日本では考えられませんよね。
いち早く西洋文化を取り入れた信長。あっぱれです。笑
こちらも負けていません。後何十年早く生まれていれば、天下を取れたかもしれないと嘆かれる男、そうです「伊達政宗」です。我が故郷が誇る英雄で、どうしても渡辺謙さんのイメージが強いですね。
政宗は、とにかく薄着好きで、寒くてもお構いなし。そこで、羅背板(らせいた)という薄い毛織物で作った、紫の生地に五色の円形模様を散りばめた陣羽織を着ていたようですね。おしゃれですね!もてる男は薄着で、重ね着はしないようです。笑
まとめ
1.安土桃山時代の文化は、茶道や歌舞伎が誕生した。
2.食事は、刺身が高級だったり、懐石料理が考案された。
3.女性の服装は小袖が下着から普段着に昇格したり、男性は動きやすい服装で、大名などは南蛮人の影響でおしゃれな人もいた。
安土桃山時代って人も物も案外今と同じじゃない?そう思うと、どんどん歴史って面白いと思えてきますよ!