「好きな歴史上の人物は?」と聞かれたら、多くの人が「織田信長!」と答えるのではないでしょうか?
日本人離れした合理的な視点で国を見つめ、それまでの古い勢力を一掃して日本史の流れを大きく変えました。しかし天下統一を目前にして倒れた信長。人気があるのもうなづけます。
一方、信長を騙し討ちにしたのが明智光秀です。人気者を裏切ったのですから、好きという人は少ないと思います。秀吉によってすぐに仇を取られてしまいました。
その子供たちは皆殺し!まして、子孫なんか生き延びてないでしょう…と思われますが・・・?
果たして、真相はどうなっているのでしょう。
信長ってみんなにどう思われていたんだろう?
そもそも、信長って当時は人気者だったのでしょうか?
信長の死を知って大泣きし、仇討ちのために大急ぎで備中高松城(現在の岡山県岡山市)から京都へ帰ってきた秀吉。でも、光秀を討ってからの行動を見ると、信長のためだったのか自分の天下のためだったのかわからないところがあります。
家康はと言えば、信長から疑われて自分の奥さん(築山殿)と長男(信康)を殺さざるを得ませんでした。言わば、妻と息子の仇。恨みがなかったとは思えません。
そして将軍足利義昭。信長の力で将軍職につけてもらったとは言え、明らかにお飾りの操り人形。これでは話が違うと、憎んでいたに違いありません。
更に、焼き討ちにあった比叡山や、大坂(今の大阪)を追い出された石山本願寺に関わる人たちも怒っていたに違いありません。
織田家の他の諸将も日頃から信長のパワハラに怯えながら暮らしていました。おそらく当時でも珍しいブラック企業。上杉との戦いで戻ってくるのが遅れたという柴田勝家ですが、「光秀、よくやった!」という気持ちが全くなかったと言えるかどうか…。
信長を恨んでいなかったのは、楽市楽座で潤った商人たちぐらいかもしれません。
こんなふうに見ていくと、誰がやってもおかしくない…アガサ・クリスティーのミステリーみたいな状況です。そこで起きた遺体のない放火事件。どんな筋書きでも描けてしまえそうです。
実は、信長が死んで、みんな喜んでいたんじゃないでしょうか?
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日光東照宮に光秀の影が…
日光東照宮の多くの彫刻の中に明智光秀の家紋である桔梗紋が隠されているという噂があります。陽明門の門衛の袴や、鐘楼の壁やひさしに同じ紋があるというのです。専門家によれば、いずれも思い過ごしのようですが。
しかし、それだけではありません。日光の第二いろは坂をほぼのぼりきった所に「明智平」という場所があります。ロープウェイに乗ると明智平展望台に行くこともできます。男体山、中禅寺湖、華厳の滝を一望できる絶景ポイントです。こんな素晴らしいところに「明智」の名が!日光東照宮には神君家康公が祀ってあるというのに。
明智平と命名したのは家康の参謀を務めた天海上人と言われています。そんなわけで、天海上人が実は明智光秀その人ではないか?という説まであります。
真偽のほどは分かりませんが、少なくとも徳川家は光秀を嫌ってはいないということだけは確かなようです。ひょっとしたら、光秀の子供をかくまっていたかも!?
光秀に子供(息子)はいたのか?
さて、光秀に子供はいたのでしょうか?
光秀の娘さんは有名です。細川ガラシャですね。
自害していますが、それは関ケ原合戦の直前のこと。夫の細川忠興が出陣する際に「死んでも石田三成の人質にはなるな!」と言い残した命令に従っただけ。「お父さんが悪いことしてすみませんでした」という理由で死んだのではありませんでした。
明智光秀という人は織田家臣団の中でも大活躍した名将なのですが、なぜか出自がはっきりしていません。息子が何人いたかとか、その後その子供たちがどうなったかという点に関しては、なおさら信用に足る資料が残っていないのです。
長男とされる明智光慶(みつよし)は、父の凶行を知ってショックのあまり病死したとか、父が討たれたのを知り自害したとか、諸説あるようです。
於鶴丸(おづるまる)という幼名だけが残っている男児がいたようですが、その人がどうなったのかもはっきりしたことは分かっていないようです。
これは怪しい。むしろ隠蔽のにおいがします。光秀の子供をかくまって生き延びさせるために、記録を抹消したのではないでしょうか?
びっくり!光秀の子孫登場!
光秀の子供がいたかもしれない、誰かがかくまっていたかもしれないという疑惑が大きくなったところで…朗報です!自分は明智光秀の子孫だとおっしゃる方がいらっしゃいます。
「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社刊)や「織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!」(幻冬舎刊)を著した明智憲三郎氏です。明智氏は、於鶴丸の子孫にあたるとのこと。
明智氏は『上司(織田信長)にイジメられて殺すなんて、そんな浅はかなことをする祖先だったのか』という疑問をずっと持ち続けていました。
ところがある本の中に『(それは)後世の軍記物による作り話だ』という指摘を見つけ、ホッとしました。でもすぐに『じゃ、(真実は)何だったの?』という新たな疑問が生まれました。
情報システム分野のエンジニアだった明智氏は、歴史学者が行ってきた従来の調査方法にとらわれない独自の手法で本能寺の変を洗い直しました。
その結果、本能寺の変は光秀と家康の共謀である!という説を提唱しています。
は?!この人も明智光秀の子孫だった!?
もう一人。タレントのクリス・ペプラー氏がある番組の取材の結果、明智光秀の子孫らしいということが分かりました。
クリス氏はドイツ系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれました。
小さいときに母方のお祖母さんから「あなたは明智光秀の末裔なのよ」と聞かされていました。そのお祖母さんの墓石には桔梗紋が入っていて、苗字が「土岐」であることに番組は注目。土岐頼勝の子孫であることが分かりました。頼勝は明智光秀の実子であるという説があります。
織田信長の子孫に謝罪!?
信長の子孫はちゃんと生き残っています。この人たちと光秀の子孫が鉢合わせになったら、かなり気まずいですよね。
それを心配したかどうかは知りませんが、明智憲三郎氏もクリス・カペラ―氏も、信長の子孫である織田信成氏と会見し、謝罪したそうです。笑顔の会見だったようで、なんとも微笑ましい話です。
話は変わりますが、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主役は明智光秀(主演:長谷川博己)です。NHKのPRサイトでは「記念すべき2回目の東京オリンピックが行われる…」とか「21世紀の日本にとって大きな節目を迎える年です」とか、いつも以上の気合が感じられます。「新しい解釈で英雄たちを描く…」とあり、脚本は「池端俊策のオリジナル」となっています。
ひょっとしたら、本能寺の変に関しても今までと全く違う解釈が出てくるかもしれません。ここは注目ポイントですね。
私事ですが、筆者は山形県出身です。山形県の天童市と高畠町はかつて織田藩でした。信長の次男信雄の末裔が治めたとされています。大河ドラマをきっかけに観光客が増えれば良いなと願っております。
何かのイベントに明智さんとクリスさんを招待したら、断り切れずに来てくださるかもしれませんね(笑)。
【まとめ】
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- 当時、信長の周囲には彼を憎む人がたくさんいた
- 少なくとも徳川家は光秀を嫌ってはいなかったようだ
- 明智家の資料を抹消して、子供をかくまった人たちがいたかもしれない
- 明智光秀の子孫を名乗る人が独自の研究を発表している
- 芸能人の中にも明智光秀の子孫と思われる人がいる
- 二人とも、織田信長の子孫と和解していた
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ということになります!
本能寺の変の件で、子孫は根絶やしにされたかと思いましたが、普通に子孫がいるんですね!
しかも謝罪もされてみんな笑顔での対談だったということで、なんとも微笑ましい限りです。
今回はコレにて♪
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