マンガやドラマで最近話題の足軽。
どうやら兵士的な何かということは知っているのですが、詳しいことはさっぱり。
流行に乗り遅れて、今さら人にも聞きづらいのです。
そういえば、昔見ていた江戸が舞台の時代劇では足軽っていう言葉は聞いたことがなかったようにも思います。
足軽っていつ頃の時代のものなのか。そこのところも気になります。
現代に生きているのに必要な歴史の知識、謎の足軽。
いったい何ものなのか、調べてみたいと思います。
足軽の意味は?文字通り足が軽い人のこと?
何かを調べる時には、まずは辞書から、基本です。
というわけで、辞書に載っている足軽情報を読んでみました。
「武家時代の歩卒,雑兵のこと。「足軽く駆け回る者」の意。」
やっぱり足軽は足が軽かった!
戦場を駆け回り、下働きをこなす人達のことだったんですね。
発生は平安時代頃。
鎌倉時代中期ごろまでは戦というのは騎馬武者の一騎打ちが基本でした。
ですので歩き回る足軽は後方支援が主だったのです。
物資補給や陣地の整備、移動路の確保などを行っていました。
時代が移って南北朝時代には下剋上が流行して、戦闘は個人戦から集団戦へと変化。
足軽も戦力として戦場に駆り出されるようになったのです。
足軽は戦以外の時は駆け回らない?
初期の足軽は武士ではなく、戦場以外では雑役(雑用)を担っていたそうです。
一人の主のもとで働く使用人と言った感じの立ち位置でした。
集団戦闘が盛んになった鎌倉時代などには奇襲を命じられたり、一揆を押さえるような仕事をも任されるような戦闘員となっています。
江戸時代になっても足軽は存在していました。
幕府の直属の足軽になると警備・警察要員として働くことになります。
大名に仕えると足軽組という組織に編入されることになりました。
雑役ってどういうこと??
足軽は、平安時代には検非違使(けびいし)という役人の下についている雑用役でした。
治安維持や地方政治を受け持つ検非違使ですから、雑用は売るほどあったことでしょう。
足軽がどういう仕事をしていたのかがはっきりしているのは江戸時代です。
警備警察要員としては「徒士(かち)」や「同心」という役職名で庶務や見回りを担当しています。
また、大名家に雇われると平時は各所の番人や様々な雑用をこなしたり、「物書き足軽」と呼ばれる下級事務員として働くこともありました。
足軽の装備(鎧)はけっこう立派?
足軽の装備は時代によって非常に軽装だったり重装備だったりしています。装備の変化は時代の戦闘スタイルなどによって影響を受けています。
平安から鎌倉時代の足軽は戦闘にはほとんど参加しませんでした。
そのため、特別な軍装もなかったようです。
南北朝時代の集団戦闘要員として働くようになった足軽は、鎧を身につける必要が出てきました。
ですが、武士のように統一されたものはなく、胴に簡単な鎧をつけただけで下半身はふんどし一丁だったり、兜(かぶと)どころか陣笠さえかぶらずに、剣だけで突進していく者も目撃されていたようです。
戦国時代には訓練された長槍・弓・鉄砲の足軽隊が組織され、各大名家の紋がついた胴鎧を身につけるようになります。
その後、戦の始まりが弓矢や鉄砲の撃ち合いから始まるようになったため、足軽の装備は重装になっていきます。
鉄板を何枚かつなげた胴鎧(どうよろい)と言われる上半身を保護する鎧。これに主家の紋が描かれました。
鎧は主に鉄製ですが、竹や和紙、皮革製のものもあったようです。
鉄製の場合、重さは4キロ前後のものが多く現存しています。
剣道の防具のように体の前面だけを覆う前掛具足(まえかけぐそく)などというものもありました。
その他の防具もありますが、胴鎧ほどは役に立たないように思えます。
- 草摺(くさずり)と呼ばれる下半身を保護する部分は木の板などをぶら下げます。
- 陣笠(じんがさ)は皮製か和紙を漆で塗り固めたもの。
- 籠手(こて)と陣羽織(じんばおり)も身につけます。
これで前線に立って戦っていったのです。
前線で敵に立ち向かう勇姿を見よ!
一時は重装備になっていた足軽の具足ですが、戦国時代も末期になると鎧をほとんど身につけない者も出てくるようになりました。
鉄砲が戦闘の主流になっていたためです。
もし鎧をつけている時に鉄砲の弾に当たってしまったら、鎧の破片が弾と一緒に体の中に入り込み、非常に苦しむことにもなりかねなかったのです。
外科手術などない時代です。防具に対する考え方も現代とはまったく違っていたのですね。
胴鎧をつけなかった最前線の足軽は、代わりに陣羽織を羽織っていたそうです。
足軽にも階級があるってホント!?
戦国時代の足軽は成り上がれる!
戦国時代には足軽の地位が、ぐんと向上します。
「足軽大将」などの地位を得ると、立派な武士として認められます。
直接、大名に仕えることになり、お給料もなかなか良い程度に貰える身分にありました。
関白にまで成りあがった豊臣秀吉も、もとは足軽であったそうですから、能力によっては出世の道があったということなんでしょうね。
また、四国・長曾我部家では足軽のやや上位に一領具足という地位がありました。
普段は農民として農作業をしているのですが、召集がかかると、すぐに飛んでいって戦に参戦したそうです。
どんな時でも召集に応じられるように農作業中も近くに具足(鎧や武器)を置いていたそうです。
この一領具足ですが、半農なために、農業が忙しい時期には徴兵するわけにはいかなかったそうで、長期間の戦闘には向かなかったようです。
ですが、普段は農作業に従事していたので体が頑丈で、集団行動にも抵抗感がない兵士としての能力が高いという利点もあったそうです。
それでも、戦をする時期が限定されるのは困ってしまうことも多かったのではないでしょうか
逆に江戸時代になると・・・
江戸時代になると足軽は幕府に、あるいは大名に直接召し抱えられることになります。
ですが、もう戦がない世の中。足軽の仕事は雑用一本です。
足軽大将のような地位はもうもらえません。
武士より低い身分であり、袴や足袋を履けないという決まりがあったそうです。
服装ではっきりと身分を分けていたのですね。
ただ、藩によっては中間・小者と呼ばれる使用人を指揮する役目を持つ「押足軽」という身分を持つこともあったのです。
押足軽になると準武士というほどの扱いになったそうです。
生まれる場所によって運命が大きく変わってしまうのですね。
足軽の意味と鎧・階級その実態のまとめ
・足軽の意味・・・武士に準ずる階級・雑用係などと時代によって変化あり
・足軽の鎧・・・上半身を中心に守る胴鎧などの軽装備から重装備、鎧なしまで変化あり
・足軽の階級・・・足軽大将・半農半士・準武士など時代によって変化あり
一体、何をしている者を足軽と呼ぶのかという謎が解けました。
戦に、農業に、雑用にと、なんでも屋さんのような足軽たち。
時代によって求められる仕事も変わり、身分も変わりました。
戦功をあげて出世することが出来たり、出世などまったく出来ない時代があったり。
身につける鎧も様々に変わり、本当に千変万化です。
そのために一言で「足軽」と言っても、何者なのかを一言で説明できないのでしょう。
一言で言い表せない足軽の世界、苦労が多そうなところはどの時代でも共通していました。
もしタイムスリップして足軽になるとしたら、どの時代の足軽になりたいか?
人それぞれ好みが分かれそうですね。