江戸時代

幕末の偉人・有名人について!すげーヤツらが沢山いたもんだ

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[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]幕末には偉人、有名人がたくさんいたよ[/voice]

太平の世が260年も続いた江戸時代が終わりを迎えた幕末

実は、私、幕末のこと全然知らないんです。歴史の授業のとき寝てたのかな……。

そんなわけで、激動の時代を駆け抜けた偉人・有名人を駆け足で知るべく、まとめてみました。

少しばかりですが、幕末の風を一緒に感じてみませんか?

さて。無粋ですが先に偉人と有名人の違いを知っておきましょう。

偉人=歴史に遺るような並外れてすぐれた人間のこと

有名人=有名な人物のこと(意味そのままです!)

では、あらためて。偉人・有名人を見ていきましょう!

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幕末の偉人

木戸 孝允(きど たかよし・長州)

生まれた家は医者の家系でしたが、武家の桂家に養子に行き、桂小五郎という名前になります。後に木戸孝允と改名しました。

文武にすぐれて長州藩内で頭角を現します。

尊王攘夷派(天皇を中心にして外国勢力の排斥を求める考え方)で藩の意見を尊王攘夷にまとめるため尽力しました。

薩長同盟締結後は薩長主導の新政府樹立に貢献しました。

木戸孝允は剣術の腕前が物凄かったのですが、戦わず人を切らないということで『逃げの小五郎』と呼ばれていたとも言われています。

 

 

西郷 隆盛(さいごうたかもり・薩摩)

薩摩の下級藩士でしたが、薩摩藩主・島津斉彬に抜擢されて出世します。

斉彬の死後、後継ぎの島津忠義から疎まれ島流しにされたりしましたが、家老たちから助けられて、なんとか帰郷することができます。

薩長同盟の成立や王政復古に貢献。また、江戸城にいた幕府陣と交渉して無血開城することに成功した功績も大きいと言われています。

西郷隆盛というと、犬を連れた銅像を思い浮かべちゃいますよね。あの犬は猟犬なんです。

命に係わるほどの肥満に悩んだ西郷隆盛は運動のために狩猟をはじめ、猟犬を飼い、とてもかわいがったそうです。

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大久保 利通(おおくぼとしみち・薩摩)

薩摩藩の下級藩士の家に生まれ、藩校造士館で西郷隆盛と同士になりました。

体が弱かったため剣術は得意ではなかったそうですが、勉強では抜きんでていたといいます。

京都において薩摩藩と長州藩の出兵協定である三藩盟約を結んだのですが、この三藩盟約書草案は大久保によって書かれたもので、現在も残っているそうです。

「政治も戦争も正当な根拠なしに行って成功することはない」

「外国勢力と戦おうとする方法はただ筆と墨を用いるにある。武器を用いてやるのではない」

などの言葉を残した大久保利通は頭脳で幕末を生き抜きました。

 

 

吉田 松陰(よしだしょういん・長州)

長州藩士の家に生まれ、山鹿流兵学が時代遅れと悟り、西洋の兵法を学んだ人です。

黒船に密航しようとして捕らえられ、投獄されました。

牢からは出られましたが、国許で蟄居させられることになり、長州藩で幽閉されました。

その時に叔父から継いだ松下村塾という塾で多くの偉人に学問を教えることになります。

文学だけでなく登山や水泳なども教える実践的な場だったそう。楽しそうです。

吉田松陰が松下村塾で弟子たちに「なぜ学問をしたいのか?」と問うと、弟子が「書物を読めるようになりたいので」と答えました。

すると松陰は「書物など心がけさえあれば実務の中で自然と読めるようになる。学者になってはいけない。実行が第一だ」と説いたそうです。

松下村塾からは高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など有名人を続々輩出しています。

 

 

高杉 晋作(たかすぎしんさく・長州藩)

幕府使節随行員として清(中国)へ渡航して、清が欧米の植民地になりかけている姿を目にします。

尊王攘夷に賛同して活動を始めますが、長州藩は公武合体の考え方でした。

長州藩の意向に反して江戸の品川に建設中だったイギリス公使館の焼き討ち事件を起こしたため長州藩に呼び戻されます。

禁門の変で敗北して長州藩は幕府から討伐される対象になったのですが、藩では恭順を唱える勢力が強く、高杉晋作は長州から逃れて体勢を立て直します。

恭順派の長州藩士を抑えて幕府との戦いに勝利し、その戦争が大政奉還に繋がったそうです。

晋作は「鼻輪も通さぬ放れ牛」とあだ名されたほど血気盛んな人物でした。ですが肺結核で29歳で亡くなっています。

暴れん坊も病には勝てませんでした。

 

 

近藤 勇(こんどういさみ・新選組)

生まれは中流の武士の家系だと言われています。

天然理心流剣術道場・試衛場に入門して剣術の腕を磨きます。

14代将軍・徳川家茂の上洛警護をする浪士組織「浪士組」への参加者に応募します。

この浪士組が将軍が京都にいる間の護衛隊「壬生浪士組」に変わり、その後、働きが認められて「新選組」という隊名を下賜されて、幕臣として様々な戦闘に参加しました。

新選組の最強は誰だ?

ですが時の新政府に、坂本龍馬暗殺の容疑で捕縛され、処刑されました。

こぶしが口の中に入るという妙な特技を持った人ですが、戦いを離れると、一般の人にはとても親切で優しかったと言われています。

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坂本 龍馬(さかもとりょうま・土佐)

幕末といえば、坂本龍馬なしでは語れません。

  • 薩長同盟をまとめるために奔走した
  • 大政奉還を提案した
  • 船中八策と言われる明治政府の基本方針を考え出した。

この三点が坂本龍馬の働きの中でも特に偉大と言われる理由です。

日本中を駆け回って新しい国の礎になった人と言えます。

日本初、新婚旅行に行ったと言われています。奥さんの名前は「おりょう」。

漢字は龍馬と同じで龍だそうです。龍夫婦。なにやら強そうです。

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幕末の有名人

京屋 忠兵衛(きょうや ちゅうべえ)

大坂八軒屋の船宿・京屋の主。京屋は京都の治安維持組織であった新選組の定宿となっていました。

新選組を語るうえでなくてはならない人物です。多くの時代小説にも登場します。

 

 

頼 三樹三郎(らい みきさぶろう)

幕末の儒学者。

ペリー来航で尊王攘夷運動が高まって、将軍後継者争いが勃発すると尊王攘夷で、なおかつ将軍擁立を朝廷に訴えたため危険人物として捕らえられました。

徳川斉昭を擁護して、時の大老・井伊直弼から脅威と判断され処刑されました。

頼三樹三郎の思想は多くの幕末偉人に影響を与えました。

 

 

高山 彦九郎(たかやま ひこくろう)

林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」に数えられます(「奇」は「優れた」という意味)。

日記をたくさん残していて、吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人物です。

二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の道徳の授業で取り上げられたそうです。

徳川幕府に抑圧されながら、後年、明治の王政復古事業の思想的礎となったということ。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"] 決して奇人=変な人ではないんですよ。 [/voice]

 

 

安井 息軒(やすい そっけん)

江戸時代の儒学者。

「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり」という言葉が有名です。

儒学・近代漢学の礎を築いた人で、お弟子さんたち(陸奥宗光、黒田正剛など)がすごい働きをしたとか。

 

 

柏尾 馬之助(かしお うまのすけ)

北辰一刀流剣術大目録皆伝の剣豪です。

新徴組剣術教授方(代稽古)や肝煎役を務めました。

戊辰戦争のときにアメリカと交渉して、ストーンウォール号という甲鉄艦引き渡し締結に成功しました。

その際、未払金十万両がありましたが貧乏だった新政府には払えなくて、大阪の商人達に交渉し、一晩で借り受けることに成功した傑物です。

交渉上手だったんですね。

 

 

松尾 多勢子(まつお たせこ)

幕末期の尊皇派女性志士。天誅組や水戸天狗党の伊那地方における支援者として活動しました。

その間、幕府から追われていた角田忠行、相楽総三、長谷川鉄之進といった偉人を匿ったそうです。

明治元年(1868年)には再度上洛して岩倉具視に仕えて新政府関係者との連絡調整役として活躍する、今でいうなら女スパイでしょうか。

 

 

野村 望東尼(のむら ぼうとうに)

女流歌人で勤皇家。名前の通り、尼さんです。

夫が死んで54歳で出家をしたそうです。

勤王の志士を匿ったり、密会場所を提供したりといった後方支援で尊王攘夷運動に貢献しましった。

高杉晋作の死を看取ることになり、晋作の辞世の句「おもしろき 事もなき世に おもしろく」に下の句を「住みなすものは こころなりけり」と続けました。

晋作が生きてきたことを肯定する優しい言葉だと思います。

 

 

マシュー ペリー

鎖国していた日本に黒船で乗り付けて「開国してくださいよ~」と迫った人物です。

アメリカの東インド艦隊司令長官に任命されて日本までやってきました。

アメリカでも活躍していた人で、奴隷の帰国運動をすすめたことでリベリアではとても有名だそうです。

 

 

トーマス グラバー

武器商人として日本にやって来た人です。

日本で結婚していますが、妻のツルさんはオペラ「蝶々夫人」のモデルになったとも言われています。

グラバーは麒麟麦酒の基礎を築いた人でもあり、日本のビールの祖とも言えます。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"] 日本でビールが飲めるようになった大恩人です。[/voice]

 

 

幕末の偉人・有名人まとめ

[aside]

薩摩藩士

・西郷隆盛 ・大久保利通

長州藩士

・木戸孝允 ・高杉晋作 ・吉田松陰

土佐藩士

・坂本龍馬

新選組

・近藤勇

有名な男性

・京屋忠兵衛 ・頼三樹三郎 ・高山彦九郎

・安井息軒  ・柏尾馬之助

有名な女性

・松尾 多勢子 ・野村望東尼

アメリカより・マシュー ペリー

スコットランドより・トーマス グラバー

[/aside]

何人かの偉人・有名人を見てきました。

幕末・時代が大きく変わるとき、数えきれないくらいの人たちが様々な考え方で動いていたのですね。

幕府を立てる人、朝廷を支持する人、外国との摩擦、そこに関わった人の数だけ歴史があるのでしょう。

歴史というのは生きている人が作るもの。

将来、偉人と呼ばれるような生き方を考えてみるのもいいのかも?

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