戦国時代

伊達政宗『イケメンに描かれるのはナゼじゃ?』伊達政宗は本当にイケメンだったのか?

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伊達政宗といえば、アニメ、ゲーム、ドラマでは、イケメンで描かれていることが多いです。シュッとしてスマートな印象。

でも果たして本当にそうだったのか?大幅な脚色・盛りに盛られ盛大にカッコよくなっているのではないか?ちょっと調べてみました。

伊達政宗のイケメン説は意外にも・・・!

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伊達政宗は、イケメンだったのだろうか

実は伊達政宗の頭蓋骨を参考にして、復元された顔の模型が宮城県の博物館にあるのです。

それによると↓の画像のような感じだそうで。

ご存知の通り、伊達政宗の右目は潰れていますね。眼帯はしていないようです

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これ・・・イケメンか・・??年齢が年齢なのでおじさんフェイスですが、そんなイケメンではないような?整っていると言えば整っているような??(正直僕的にはイケメンとは思えません笑)

なんとも判断しがたい普通のフェイスです。パっと見で「お!」とならないので、まぁ普通の部類でしょう(笑)ただ、当時の人は現代人と顔の作りが違うでしょうから、当時はイケメンの部類だったのかもしれないですね。

どちらかというと正宗は顔よりも肉体的特徴の方が男性的で魅力だったのかもしれません。どうやら手足の骨は太く、筋肉質だったみたいですから、マッチョでモテた可能性はあります。戦ばかりの時代でしたから、フェイスよりも体格の方が女性には魅力的に感じられたかも?

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伊達政宗のエピソード!!

健康好きなのに愛煙家w

政宗は、毎日、起床後の後・昼どき・寝る前の三回に分けて規則正しく煙草を吸っていたそうです。ヘビースモーカーまではいかないけど割と吸っている方だったのでは??

実は当時の人々は、煙草を薬だと考えていました。政宗は、煙草を嗜好品として吸っていたのではなく健康方法として吸っていたのです。うーん、今では、駄目な健康方法の仕方・・・

政宗の遺品にキセルが遺されているので間違いない情報です。それにしても煙草が健康法として伝わっているとはなんとも不思議な話ですね。健康家だから取り入れていたのに逆に不健康になっていたとは、本人もガックリでしょう。

おもてなし男子

伊達政宗は、料理男子でおもてなしの心を大事にしていました

伊達政宗はこだわりがあってこんな名言を残しています。

馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事でもある。

読んで字のごとく、主人自ら調理してもてなすことを馳走と考えていました。実際に二代目将軍徳川秀忠を手料理でもてなし、三代目将軍徳川家光を接待した時も、各地の名物を吟味して選び抜いた食材を使った献立を準備したとのこと。

戦国武将ともなると、火事雑事は家来に任せて、自分は出来上がるのをふんぞり返って待ってるイメージですよね?なんとも意外です。

筆マメ

手紙を書くのが大好き!!

大名は普通、祐筆(文書を書く役目の人)に手紙を書かせることが多く、自ら手紙を書く人は少ないです。しかし伊達政宗は違いました。基本的に自ら筆を持ち手紙を書く人だったのです。その数は3000以上と言われています。

ちなみに豊臣秀吉や徳川家康が書いたとされる手紙が100通以下でしたから、伊達政宗がいかに手紙を書くのが好きだったかが分かります。

健康家だったり、筆まめだったり、料理人だったり・・伊達政宗という男、中々に面白い人間です。

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刀コレクター伊達政宗

刀の魅力にとりつかれた武将は数多いようですが、伊達政宗もその1人でした。メンズって凝り性が多いですからね。本来は武器である刀ですが、1つの工芸品として美しさや芸術性という違った魅力を見出し、虜になったのでしょう。コレクトしたくなる気持ち分かりますねぇ~。

■大俱利伽羅広光(おおくりからひろみつ)

伊達政宗が徳川家から拝領してから伊達家に伝わる刀。刀身に俱利伽羅竜が彫られている。

■燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)

伊達政宗の刀の中でも有名。政宗がこの刀で家臣を手討ちにした時、斬った勢いで傍に置いてあった燭台(青銅の硬いもの)まで切れた事から燭台切という名前が付いた。

■はばき国行(はばきくにゆき)

豊臣秀吉が、伊達政宗に贈ったとされる刀。

■太鼓鐘貞宗(たいこかねさだむね)

伊達政宗の息子 「伊達忠宗」のもとに嫁いだ、徳川秀忠の養女「振姫」の嫁入りの時に、徳川秀忠が伊達忠宗に贈ったとされる刀。

■くろんぼ切景秀(くろんぼきりかげひで)

伊達家家臣石川昭光が政宗に献上したといわれる刀。朝鮮出兵の際、政宗がその地で猿を斬ったことからこの名前が付いた説がある。

■鎬藤四郎(しのぎとうしろう)

織田信長、豊臣秀吉の名高い武将の手に渡ったことがある短刀。豊臣秀吉の死後、伊達政宗に形見として贈られた刀。

刀マニアな一面だけでなく、鎧や兜も特徴的!あの有名な三日月の前立ては伊達政宗を象徴するシンボルみたいなものですよね。

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まとめ

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  • 頭蓋骨から復元された顔を見ると普通メンだった。特にイケメンではないw
  • 手足の骨が太く筋肉質であったことから、男性的な魅力はあったのではないだろうか
  • 普通メンだけど、もしかしたら当時の美的感覚ではイケメンだったのかも?

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伊達政宗のイケメン説・・・実は普通メンということが明らかになりました(僕の主観では普通メンですw)マンガやゲームではシュッとしてスマートでイケメンに描かれることが多いですが、脚色であることが判明!

まぁブサイクに描くわけにはイカンですからね。そりゃあ脚色はするだろうけど、とにかく超絶イケメンとかではないことは確か。

イケメン云々よりもエピソードや逸話の方が面白い人間でしたね。武勇だけなく色んなエピソードがあるから、現代でも人気なのでしょうね。

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