戦国時代

眼帯!?伊達政宗の目に何が……?目の色が違うオッドアイ説やハーフ説まであるの!?

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なんといってもあの眼帯が特徴的で、キリッとした眼差しは見るものを圧倒します。伊達政宗と言えば大河ドラマ「独眼竜政宗」やゲームなどでも人気のキャラクターで、老若男女問わず日本国民に愛されている戦国武将です。

しかしなぜ政宗は眼帯をしているのでしょう?それには知られざる秘密が隠されていたのです。

今回は歴史マニアの私が、政宗の目や眼帯の秘密について紐解いていきたいと思います!

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伊達政宗は幼少期に目を失明していた⁉︎?

政宗は出羽国(今の山形県山形市)米沢城城主・伊達輝宗の嫡男として生まれました。わずか10歳で元服し、幼名の「梵天丸」から「政宗」へと改名します。

政宗の幼少時代は決して順風満帆なものではなく、4歳のときに疱瘡(天然痘)で右目を失明したことをきっかけに、ふさぎがちな少年時代を過ごすのです。

当時、痘瘡で死ぬ人も多かったので命をとりとめただけでも幸運なのですが、これから武将として活躍していく政宗にとって失明は、かなりのダメージだったと思います。

一命はとりとめたものの、右目を失明し、その目は飛び出してしまったと言われています。その姿を嫌った母に遠ざけられ、政宗自身もまた自分の姿を疎み、暗い性格になって言ったそうです。

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昔は乳母が嫡男を育てていたと言いますから、大事な我が子でもそういう感覚で捉えてしまったのかもしれません。しかしながら、母に遠ざけられるというのは精神的にもかなりのダメージですよね。政宗可愛そうです…

 

政宗の一筋の光、片倉小十郎

んな政宗の元に、片倉小十郎という人が仕えることになります。小十郎は政宗より10歳歳上で、いいお兄さん的な役割だったと言えます。そんな小十郎ですが、主君を思うあまり驚くべき行動に出るのです。

政宗は自分の姿を疎み、暗い性格でした。小十郎はそれを改善するべく短刀で政宗の飛び出た眼球を抉り取ってしまったのです。

とても荒療治でしたが、これで政宗の性格は劇的に変化しました。そしてこれ以降眼帯をつけ、学問と武道に励む活発な少年となったのです。

ちなみに荒療治といえばこんなエピソードもあります。

荒すぎる?(笑)エピソード

政宗は今度は脇腹に出来物ができてしまうのですが、それを治すには焼いた鉄の棒で焼き切るしか方法がありませんでした。

政宗は小十郎に処置を頼むのですが、小十郎はまず自分の無傷の腿に熱した鉄棒を当て、自分が大丈夫であるか確認してから政宗に処置を施しました。

結果、政宗の出来物は治りましたが、景綱の傷が治るにはもっと長く時間がかかったそうです・・・(笑)。ちょっとやりすぎ?な小十郎でした。何はともあれ、小十郎なくして後の独眼竜はいなかったというわけですね。

小十郎はその後も良き家臣で、豊臣秀吉に家来になるよう誘われることもありましたが、生涯政宗に仕えたそうです。辛い過去がありながらも家臣の助けもあり、政宗は戦国時代を生き抜いて行きます。

→ 伊達政宗の家臣団一覧!

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目の色が違った?政宗が眼帯をつけた本当の理由とは

伊達政宗は実はオッドアイだったのでそれを隠すために眼帯をしていた、という説も浮上しています。

オッドアイとは、虹彩異色症(こうさいいしょくしょう)のことを指します。「左右の眼で虹彩の色が異なる、もしくは、一方の瞳の虹彩の一部が変色する形質」のことです。

簡単に言ってしまえば、「左右の瞳の色が違う」と言うことです。例えば右目はブルーで左目はグレーだったりという感じでしょうか。

非常に稀な症状で、人よりも犬や猫が発症する場合が多いと言われています。基本的に遺伝子疾患と言われていますが、病気や事故によって後天的に発症することもあり得るそうです。

伊達政宗は先述した幼少の頃の病気から、後天的にそのような状況になった…と言う可能性もありそうですね。ちなみに、歌手のデヴィッド・ボウイさんや、女優の奥菜恵さんもオッドアイの持ち主です。

他にも伊達政宗がオッドアイだった説の根拠となる話があります。

 

伊達政宗のオッドアイを裏付ける証拠が出てきた!?

この理由の発端は、昭和49年に空襲によって破壊された伊達政宗のお墓である、瑞鵬殿を再建する運びとなった際にそれに先立ち墓室の発掘調査が行われたことがきっかけになっています。

その際伊達政宗の遺骨も回収され保管されていたのですが、その骨のDNA鑑定の結果、「彼が天然痘で右目を失っていない可能性が高くなった」のです。そこから、「伊達政宗は実はオッドアイだったので、眼帯で片目を隠していたのではないのか?」と言った話が出てきました。

また、他にも性山公治家記録と言う書物に、伊達政宗の母である義姫が政宗を懐妊する前に、「白髪の僧侶が義姫に対し“あなたの腹を貸して欲しい”と言った後に政宗を身籠もった」という記述があったことや、伊達政宗自身も後年ヨーロッパとの交流を行っており、外国人の側室もいたと言われています。

そこから「伊達政宗は実はハーフだった=オッドアイの可能性が」と言った説も出てきたのだそうです。

 

伊達政宗はハーフだったのか⁉︎

伊達政宗の頭蓋骨には、耳部分に「外耳骨腫」と言われる瘤が発見されており、東北地方の古人骨に見ることができる特徴です。この答えは、先述した伊達政宗の遺骨の鑑定結果から正式に否定できます。

これは、「政宗の体内に東北人としての血が濃く受け継がれている」ことを物語っています。

つまり、伊達政宗はハーフではありません。

ちなみに、伊達政宗には外国人の側室もいません。

この外国人の側室の話は、山岡荘八氏の超長編小説である「徳川家康」(山岡荘八歴史文庫)に登場する、伊達政宗の架空の側室マリアが元となった話のようです。

実際、伊達政宗には7人の側室がいたとされますが、記録に残っている彼女らは、すべて身元の確かな武士の娘と言われています。

 

【まさかの・・・】そもそも政宗は眼帯なんてしていなかった説

ただし、右目については何らかの特徴があったのは確かなようで、どの肖像画でも右目については小さく書かれていたり、仙台市博物館所蔵の伊達政宗像に描かれている伊達政宗は、右目を黒目になっていたりといった特徴がみられます。

その根拠として、瑞巌寺の伊達政宗公甲冑倚像や、東福寺霊源院所蔵の伊達政宗肖像には、伊達政宗の眼帯は描かれていません。

先ほどの話で言えば、伊達政宗はハーフではなかったですが目の色が違うオッドアイの可能性があったという話はあるかもしれません。

伊達政宗といえば黒い眼帯!のイメージが強いですが、これは1987年にNHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」で政宗が眼帯をつけていたことから、伊達政宗は片目で眼帯をしているという認識が定着したからだと考えられます。

それまでは白い布や包帯、もしくは何もしていない政宗が描かれていることが多かったのです。

現実では、刀鍔型をした眼帯をつけていた説、眼帯も艶やかな紅白の眼帯(もしくは布)や花柄の眼帯があったとも言われていますが、その根拠は不明です。

 

 

まとめ

  • 伊達政宗は幼少期失明したとされているが、その後の調査で右目が発掘されており、オッドアイ説が浮上している。
  • 伊達政宗がオッドアイであるかは定かではないが、そもそも政宗は眼帯をつけていなかったとされる。

というのが今回のまとめです。

伊達政宗の眼帯は、テレビドラマやゲームが作った空想上の政宗につけられたというわけですね。

失明していたり目の色が違ったり、今後調査が進んでいけばいろんな説が浮上していきそうです。

歴史は謎が多いですが、その度に調べたりするのは面白そうです!

今後も伊達政宗の真実に迫っていきたいですね。

今回は伊達政宗の目と眼帯の秘密について、解説させていただきました。

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