戦国時代

伊達政宗の身長・誕生日・出身は?妻はどんな人だったんだろう?

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伊達政宗は初代仙台藩主で「独眼竜」や、特徴的な兜の前立で知られている武将ですね。戦国武将の中でも特に人気があります。

今回は伊達政宗の身長・誕生日・出身、そして奥さんがどんな人だったのかですね。伊達政宗のプロフィール的な部分を調べてみました。

奥さんとの夫婦仲・・今では到底考えられません(笑)2人は頭がオカシイのか?

さぁご覧あれ!

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伊達政宗の出身地・誕生日は?

伊達政宗の出身地といえば仙台!と思っている人も多いのではないでしょうか?(私もそう思っていました)しかし実は違いました。政宗が産まれたのは山形県米沢市!

山形から仙台に来たのは24歳の頃・・伊達家は室町初期に米沢を治めていましたが、伊達政宗は24歳の時に、豊臣秀吉の命で仙台岩出山城(現在の宮城県岩出山町)に移ってきました。

誕生日は、1567年9月5日です。お亡くなりになったのが1636年6月27日でしたので、69年生きたことになります。この時代としては長寿の部類ですね。

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伊達政宗の身長は?

アニメやマンガでは身長が高く描かれていることが多い伊達政宗ですが、実際の身長はどれくらいだったのか??私の中ではプレステのゲーム「戦国無双」の印象が強く、子供っぽいというか低身長なイメージなのですが、実際どうなんでしょう?

で、調べてみたら・・・実際の身長は159.4センチ。惜しい、もうちょっとで160センチでしたね。現代では小柄な男性の身長ですが、戦国時代ではほぼ平均身長でした。

実は他の戦国武将でも150センチ台の人が結構多いんですよ。猛将とか武勇が伝わっている人でも大きくない人がたくさんいます。デカければ良いってものではないのです。

身長は当時の平均的な大きさなのですが、注目すべきは体格。伊達政宗は手足の骨が太く、かなりの筋肉質だったそうです。

戦国という時代を駆け抜けるために、ストイックに筋トレに励んでいたということでしょうかね。私の中では勝手にスラリとしたイメージだったので、ちょっと違いました。

 

 

伊達政宗の妻って誰?コイツらの夫婦仲大丈夫か(笑)

伊達政宗の奥さんは愛姫(めごひめ)と言います。「あいひめ」と読みたくなりますが「めごひめ」です。

愛姫は田村家の一人娘。12歳で伊達政宗の元に嫁ぎます(現在で言えば、まだ小学6年生で伊達政宗に嫁いだことになります・・・当時では、当たり前だったのでしょう)

ある日、政宗の暗殺未遂事件が起きてしまいました。

政宗はこの未遂事件には田村氏が関わっていると疑います。そして愛子姫の乳母を殺害、その他愛姫付きの侍女たちも死罪にしてしまったのです。疑いだけで死罪とはなんと残虐な・・・!「自分の身は自分で守る」とよく言いますが、それにしてもやりすぎかと・・・。

その結果、政宗夫婦の仲は悪くなったと伝わっています(当然だろ!)

が!

なんとその後、夫婦仲は修復したのだとか。そして後に2代目仙台藩主になる忠宗と、他男二人女一人の四人の子が産まれたのです。(こんなことされてよく夫婦仲が戻りますね^^;当時の夫婦仲の常識は分かりませんが、仲が戻るとか普通に考えたら頭おかしいですw)

また、愛姫は聚楽第の伊達屋敷に住むようになってから、女外交官的役割を担い、伊達政宗に京の情勢を知らせる役目も果たしました。愛姫 享年86歳・月命日は、伊達政宗と同じ24日でした。

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伊達政宗の生い立ち

伊達政宗は、米沢城で伊達輝宗と義姫との間に誕生しました。幼名梵天丸。5歳の時に、疱瘡(天然痘)を患い右目を失明しました。

この右目について重臣になる片倉小十郎景綱との有名なエピソードがあります。

政宗は、右目を失明してから醜い容貌になってしまい、母義姫や周りの家臣から疎まれて内向的な性格になってしまいました。

そんな政宗を見て、傍に仕えていた片倉小十郎景綱が短刀で政宗の飛び出ている眼球を抉り出すという驚愕の行動に出たのです。目を切り落とされた伊達政宗は、高熱を出して寝込みました(当然ですw)

目を抉り出すなんて、頭がオカシイとしか言いようがないですね。荒すぎる荒療治です。

(当時麻酔なんて無かったでしょうから痛みは相当のモノなのは容易に想像できますが、激痛過ぎて死んだりしないのでしょうかね?私はそこが気になりましたが笑)

しかし、この出来事が、政宗の内向的な性格を前向きな性格に変えるきっかけになりました。この一件以来、伊達政宗の性格は一変!勉学、武芸と猛烈に励むようになったのです。

片倉小十郎景綱のキチガイとも思える行動のおかげで、伊達政宗は別人のように生まれ変わることができたのでした。これが伊達政宗のターニングポイントだったワケですね。このエピソードが無かったら、その後の伊達政宗は無かった可能性が高いですね。

(ちなみにこの目に関しては諸説あります)

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伊達家の子孫は?

伊達家は、今も存続しています。有名なお笑い芸人の伊達みきおさんも伊達家の分家筋の人間に当たるのだとか。

現在の伊達家の当主は18代目で仙台に住んでいます。元は東京に住んで居たそうですが、先代の当主が亡くなって仙台に移り住んできたのだそうです。

当主の方は、名家がゆえ厳しい教えを受けて来たと言われています。

教えの中で「成人してからお酒を飲み歩いては、いけない」というのがあり、意味は「仕事でお酒を頂くことは、あっても自分の楽しみで出歩いてはならない」ということだそうです。厳しい教えですね。

今は戦国時代と全然違う時代になりましたが、厳格な教えは現代にも続いているようです。さすがは名家・・!

→ 伊達政宗の歴史を年表でわかりやすく

 

まとめ

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  • 伊達政宗の身長159.4センチ(当時の戦国時代の平均身長)
  • 手足が太くかなり鍛錬していたようだ
  • 伊達政宗の誕生日 1567年9月5日
  • 出身は山形県米沢市(上杉家の城下町として知られている)
  • 伊達政宗の妻は愛姫(86歳で亡くなる)

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マンガやゲームで描かれるスマートな伊達政宗は完全に空想&脚色だと分かりました。実際は小柄&マッチョ(小柄といっても平均身長)

奥さんとの夫婦仲は現代では考えられないですね。自身の暗殺疑惑があったからって、奥さんの乳母達や侍女を死罪にするとは・・・裏切りや政略結婚が当たり前の世の中でしたから、少しでも疑いがある人間を排除するのはこの時代の処世術だったのかもしれませんが、中々残酷です。

意外と冷徹な部分を持っている武将だったのかもしれません。

これから伊達政宗を見る目が変わりそうです(笑)

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