平安時代

平安時代の女性は、どんな生活を送っていたの⁉︎

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平安時代は国風文化が栄え、貴族たちが権力を握っていた時代。

また、平安時代は雅なイメージが定着していますよね。

そんな平安時代の女性たちはどんな暮らしをしていたのでしょうか?気になるところです。

風貌も特徴的ですし、独自のルールがいろいろあったのではないかと思います。

今回は平安時代大好きな私が、平安時代の女性について解説していきます!

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平安時代には妻がたくさんいた⁉

女性は、とにかく籠の中の鳥。男性とは違い自由に外に行くことはあまりできませんでした。

「女性らしく」と教えられ、とにかくおとなしくしていることが姫としての条件。

そんな貴族の女性の暮らしは、まさに「恋愛」が楽しみだったのではないかと思います。

まだ今のように寿命も長くなかった平安時代。

女性は13歳から、男性は15歳から結婚を認められていました。

現代で考えると中学生が結婚できてしまうのですね…この時代だからこその年齢設定です。

また、平安時代は一夫多妻の世でした。

多くの女性を養うことができることこそが、当時の社会ではステータスとなっていたのです。

とはいえ、正妻は一人だけしか持つことは許されていませんでした。

正妻として選ばれるには、容姿の美しさよりも、家柄や知性といった要素が重視されたようです。

たとえば、天皇家に近かったり官位が高くて権力を持っていたりする家柄の女性は、正妻として迎えられ、それなりの地位を得たわけです。

それ以外の女性は、いわゆる「妾」という立場でした。

正妻は邸内に住むことが許されていますが、妾は通い婚といわれる男性が女性の方を訪ねる方式で結婚式をしていました。

美しいと見初められると、男性から文が送られてきます。

その文でときめいたものがあれば、それにお返事を書き、めだたく夜這いの日にちを考えるというわけです。

ちなみに日にちは占いで決めたそうです。夜這いでお互いの顔を初めて見るのでしょうから緊張しますね。

同じ男性から3回夜這いをされ、そこで文句がなければ餅を食べてめでたく結婚。ちなみにこれは庶民でも変わらなかったそうです。

今では考えられない平安時代の結婚事情でした…

 

 

いつの時代も、女性はキレイになりたかった⁉

平安時代では、きめが細かくて色白の美肌、ふくよかで柔らかそうなほほ、長くあでやかな黒髪、といった要素が美人の条件でした。

また、他にも切れ長な目、おしとやかな口、小さいながらもしっかり筋の通った鼻、といったものも美人の条件だったようです。

メイクは白粉に引眉、お歯黒とわかりやすくてなまめかしいものが好まれていました。

しかしながら、高貴な貴族の方々はお互いの姿をみることができません。

いつも御簾(みす)の後ろに居て顔だけを見ることができず、特に女性は特定の人にしか顔を見せることは許されませんでした。

いつも御簾の後ろで扇をもち、客人と話すという徹底ぶりでした。

そのため、顔の容姿は実はあまり関係なかったのかもしれません。

それより重要視されていたのは、御簾からちらりと見える黒髪。

それを見かけた人が、あそこの姫は絶世の美女だと噂し、それを嗅ぎ付けた男性たちがこぞって文を贈ります。

顔が見えない分、髪の毛というのはとても大切なものでした。

 

平安時代のヘアケアって⁉

驚くなかれ平安時代の貴族たちは、お風呂に入る習慣がありませんでした。

お風呂に入らなければ、その自慢の黒髪も状態が悪くなってしまいそうですが…

果たして、髪の長い女性たちはどうやって髪の毛のお手入れをしていたのでしょう?

実は、彼女たちのヘアケアに関してはしっかりと行っていた事実が資料から読み取れているのです。

髪全体を米のとぎ汁でぬらした上で髪の毛をとかすと、色濃くツヤが出るため、貴族女性たちは好んで行っていたようです。

さらに、ヘアケア後には香木をたいて髪に香りをつけて楽しんでいたこともわかっています。

お風呂に入ることはありませんでしたが、美しさを保つことは忘れていなかったようですね。

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平安時代の女性も外見だけでなく、中身も磨かなければならなかった?

 先にも書きましたように、平安時代の貴族階級において、女性の外見を他人である男性が見ることは非常に困難でした。

そのため、見た目だけでなく中身の方も美人の条件として非常に重要視されていました。

たとえば、和歌のうまさであったり機知に富んだ会話のやりとりなどは、とても重要なポイントです。

当時の上流階級では、雅な風情こそが「おかし」という表現で大切にされていました。

そういった上品な雰囲気を持つ女性が、美人として好まれたと考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

私もこのようなイメージがとてもあります。

 

平安時代の貴族の女性のたしなみ

平安時代の貴族の女性のたしなみとして、次の3つのことに精通していることが大切でした。

1つめが「手習い」です。

これは現代語訳をすると、文字の綺麗さにあたります。

当時、手紙で恋心のやりとりをすることが多かったので、綺麗な文字であることは素敵な女性であるための必須条件だったのです。

平安時代、男性の心を繋ぎとめておくには文(ふみ)がとても重要でした。

平安時代の男女ともに言えることですが、文の才能がなければモテなかったそうです。

特に男性は文のセンスがないと、女性からの返事ももらえないのですから、大変ですね。

女性はというと、男性の心を繋ぎとめておくために文を出します。

たまには押したり引いたりしながら、恋の駆け引きのための文を出すのです。返事が来なくなっても…

今の時代はメールや電話でやり取りが普通ですから、手紙のやり取りってなんだかロマンチックですね。

続いて2つめが「琴」です。

楽器を奏でて遊ぶ風習があった時代であったため、楽器の才があることも重宝されました。

特に「琴」の人気が高く、男性が笛、女性が琴を奏でるという場面が古典文学の中にはよく出てきています。

楽器を奏でる女性は、優雅で確かにお綺麗です。

さぞモテたことでしょう。

そして3つめが「和歌の教養」です。

和歌を上手に詠めるということはもちろん、昔の和歌にも精通していることで、自分に教養があるということを示すことができました。

手紙のやりとりで、昔の和歌を用いて返事をしているというシーンも、よく古典文学には見られますね。

平安時代における美人といえば、小野小町が有名です。

実際の肖像画などは残っていませんので、外見的にはどのような女性だったのかはわかりませんが、残された逸話からはかなりモテた女性であることは間違いないようです。

実際のルックスに関してはまったく不明ですが、彼女の場合はどちらかというと教養の面で当時の男性方の心をつかんでいたようです。

実際に紀貫之が、古今和歌集の序文に「近き世にその名きこえたる人」として六歌仙の一人にあげるくらいですから、相当な知性を備えた女性であったことは間違いなさそうです。

外見も中身も綺麗になるため、平安時代の女性は様々な努力が必要だったんですね。

これって、今の時代にも当てはまるのではないでしょうか?

いつの時代も女性って大変ですね…

 

 

まとめ

  • 平安時代の女性は、恋愛やお洒落が楽しみであった。
  • 平安時代の女性は男性に気に入られるため、外見も中身も綺麗になるために様々な努力をしていた。

制度だったり環境はいろいろ違いましたが、いつの時代も女性って恋愛やお洒落が楽しみなんですね。

今回は平安時代の女性について、解説させていただきました!

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