姫路城の城主・城の歴史をカンタンに解説!

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日本世界文化遺産に登録されている「姫路城」。

2015年には平成の大修理が終わり、白亜の白鷺城(しらさぎじょう)にみんながうっとり。

お城に詳しくない人でも、お城といえばコレ!と姫路城が思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか?

2017年の年間入場者数は200万人を超えているそうで、外国人観光客の方も多く訪れています。

日本・世界ともに認める日本の代表的なお城ですね。

そんな姫路城は誰が作ったのか誰が歴代の城主をつとめたのか、気になるところです。

お城大好き城ガールの私が、姫路城の歴史とともにその歴代城主たちをわかりやすくまとめます!

 

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姫路城の歴史年表

西暦

和暦

 

1333年

元弘3年

赤松則村が護良親王の命により挙兵。京に兵をすすめる途中、姫山に砦(とりで)を築く。

1346年

正平元年

則村の息子・赤松貞範、姫山に本格的な城を築く。

1441年

嘉吉元年

嘉吉の乱が起こる。赤松満祐父子、六代将軍足利義教を謀殺し、自害。山名持豊、姫路城を治める。

1467年

応仁元年

応仁の乱が起こる。赤松政則は武功を挙げ、姫路城を奪還し、領国を回復。後に一族である小寺氏とその重臣、黒田氏が城主に。

1580年

天正8年

播磨国平定のため黒田孝高、姫路城を秀吉に献上。秀吉、3層の天守閣を築く。

1600年

慶長5年

関が原の戦いの後、池田輝政が姫路城主にを務める。

1601年

慶長6年

池田輝政、城の大改築を始める。9年後完成。

1617年

元和3年

池田光政、鳥取城へ移動のため、本多忠政が姫路城主に。工事途中であった三の丸、西の丸、その他を増築。

1639年

寛永16年

松平忠明、姫路城主となる。

1649年

慶安2年

榊原忠次、姫路城主となる。その後、松平・本多・榊原氏が城主に。

1749年

寛延2年

明治維新まで酒井氏が城を治める。

1869年

明治2年

最後の城主酒井忠邦、版籍を奉還。姫路城は国有となる。

1931年

昭和6年

姫路城天守閣、国宝に指定。

1951年

昭和26年

新国宝に指定。

1956年

昭和31年

天守閣、国費により8か年計画で解体修理に着工する(昭和の大修理)。

1964年

昭和39年

天守閣その他の全工事完了。

1993年

平成5年

ユネスコの世界文化遺産に登録。

2009年

平成21年

大天守の保存修理に着工する(平成の修理)。

長い長い歴史ですね。それでは、ひとつずつ解説していきます!

 

 

その歴史は南北朝時代から始まっていた

赤松氏が築き、小寺氏が受け継ぐ

後醍醐天皇を中心とした鎌倉幕府討幕運動により、1333年元弘の乱が起きます。

播磨国の守護であった赤松則村(あかまつのりむら)は、後醍醐天皇の息子である護良親王(もりよししんのう)の命により挙兵。

則村は京都に攻め入るため、上洛途中の姫山(今の姫路)にあった称名寺(しょうみょうじ)に砦を作りました。その後赤松氏の次男貞範(さだのり)が称名寺を麓に移し、そこに城を築きます。

ちなみに当時、姫路城は「姫山城」と呼ばれていました。最初から姫路という名前ではなかったんですね。

次男 貞範は3年間姫山城主を務めたのち、新たに庄山城(しょうやまじょう)を築きこちらを本拠地としたため、以後赤松氏の一族である小寺氏が代々城主を務めることになります。

1441年嘉吉の乱で赤松満祐(満祐)が室町6代将軍・義政を殺害し、自害。それを機に山名氏が挙兵すると、今度は攻め込まれた赤松氏5代目城主である小寺職治(こでらもとはる)が討たれてしまいます。

姫路城は一時、山名氏の支配下に。

その後、子孫の赤松正則が武功をあげたことにより赤松氏の再興が許され、1467年応仁の乱で赤松氏は姫路城を奪還、山名氏からの支配を解かれます。

正則は姫路城7代目城主となり、その2年後に新たに置塩城(おきしおじょう)を作りそこを本拠地としたため、新たに小寺豊職(とよもと)が姫路城主となり、再び小寺氏の時代がやってくるのです。

そこからしばらく小寺氏の時代が続き、1545年10代目城主・小寺則職(のりもと)が御着城(ごちゃくじょう)に移動することとなり、小寺氏の家臣であった黒田重隆が姫路城主となります。

ご存知の方も多いと思いますが、この方はあの有名な軍師・黒田官兵衛(考高)の祖父に当たる方です!

ここから黒田氏の時代となります。

 

3代続いた黒田氏の時代

その後、黒田重隆・職隆(もとたか)・考高(よしたか)が3代に渡り姫路城主を務めます。この頃黒田氏によって小さな館のようであった姫路城は、立派な近世城郭に作り上げられたそうです。黒田考高は14代城主。6年間城主を務めました。

さて、時代は戦国時代。

姫路城のある播磨は、中国地方と近畿地方を挟んだ重要な土地でした。1576年織田信長は毛利攻めを開始。その家臣であった羽柴秀吉は、播磨に駐留します。

この時播磨国内は、毛利氏を支持する勢力と織田氏を支持する勢力に分裂。結果織田氏が勝利し、毛利氏を支持していた黒田氏が仕えていた小寺氏は没落してしまいます。

しかし、秀吉と縁が深かった黒田官兵衛はそのまま秀吉の家臣となるのです。

1580年播磨国の平定に伴い、考高は姫路城を秀吉に献上し、秀吉が姫路城の15代目城主となります。

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豊臣氏の時代

また、城の南部に大規模な城下町を作り上げ、姫路が播磨国の中心となるように整備します。秀吉は姫路城の大改修を行い、3層の天守閣を作り上げます。

ちなみにこのころ、姫山城は「姫路城」と改められました。

その後秀吉は、本能寺の変で織田信長を殺害した明智光秀を山崎の戦いで討ち取り、一気に天下人の道へと昇りつめます。

天下統一の拠点として築いた大阪城に移動したのちは、弟の秀長ら秀吉にゆかりのある大名が姫路城主を務めました。

 

家康の娘婿、池田氏が城主に

時代は変わり、関ヶ原の戦いで功績をあげた池田輝政が次の姫路城主となります。池田輝政は徳川家康の娘・千姫の娘婿です。

「豊臣家にゆかりの深い大名たちを牽制(けんせい)しなさい」と家康は輝政に命じます。西国に多かった豊臣家の重臣たちを監視するのに、播磨は絶好の場所だったのです。

舅(しゅうと)に言われたら血相変えて取り組むでしょうね…

輝政は姫路城の拡張工事を行い、1609年5層の立派な大天守を作り上げますが、輝政は工事の半ば亡くなってしまいます。

跡継ぎの光政はまだ幼かったため、徳川四天王の一人である本多忠勝の息子・忠政が城主となり、建築が途中であった運河を完成させます。

本多家の後は、徳川とゆかりが深い松平氏や榊原氏が城主を務めますが、あまり長くは続きません。

1749年酒井忠恭(ただずみ)という方が城主となり、10代に渡って酒井氏が播磨を安定して治めます。ちなみに酒井氏は、大老など江戸幕府の重臣も輩出した由緒あるお家です。

姫路城最後の城主は、酒井忠邦(ただくに)。

その前の城主・忠敦(ただとし)は、徳川家最後の将軍・徳川慶喜に従って新政府軍と戦ったことから、朝敵扱いとなっていました。

忠邦は姫路藩を救うため、譜代大名をという立場でありながら、新政府への献金や家臣の処分を行いました。

また、姫路藩の追討を命じられた備前岡山藩・池田茂政(幼かったために姫路城城主になれなかった池田光政の子孫)は、姫路城に残った家臣たちに「早く人質を出して城を明け渡したほうがいい」と説得したそうです。

結果姫路城は砲弾が1発入っただけで、無事に残りました。重要文化財、残って良かった。

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明治以降の姫路城

またこの地に歩兵第10連隊が置かれ、その後姫路城は軍事施設として利用されていきます。明治に入ると姫路城は陸軍省の軍事下に置かれました。

廃城令により全国のお城は次々と壊され、姫路城もその対象に・・・。城郭の一部は壊されてしまいましたが、明治初期にあった城郭保存の動きから、姫路城は明治の大修理を経て、大正時代には本丸・二の丸と三の丸の一部を姫山公園として整備し、一般公開されました。

その後昭和に入ると史跡や国宝に指定されたりしますが、1931年に太平洋戦争が勃発。また、1945年には姫路大空襲を受けますが、大きな損害は免れます。この頃にも修理が行われています。

1993年ユネスコの世界遺産に登録。

これは日本初の快挙で、同時に奈良の法隆寺地域の仏教建造物もユネスコに登録されています。世界遺産に登録されたことをきっかけに、2009年から平成の大修理が行われ、2015年に工事は終了し、現在の姿を保っています。

昔からある建造物を守り抜くって本当に大変ですよね。姫路城は何度も危機に陥っていますが、昔の人たちの力によって再建され今なお残っています。

今見ている美しい景色は、当たり前ではないということですね。

 

 

まとめ

戦乱の世を潜り抜け、何度も拡張工事を行いながら立派な天守へと生まれ変わり、空襲を免れた運のいいお城とも言えるかもしれません。姫路城は何代にもわたって城主が変わる、700年以上の歴史を持つ偉大なお城でした。

運に見方され、皆に愛され、守り継がれているんですね。

簡単にではありますが、姫路城の歴史とその城主たちについて、まとめさせていただきました!

姫路城の別名の由来とは?

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