弥生時代

卑弥呼の死因が衝撃的すぎる(笑)ギャグみたいな死因で恥ずかしい

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古代日本にあったと言われる邪馬台国とその女王・卑弥呼。それらについて知る手掛かりとなる史料は、中国や朝鮮にしかありません。当時の日本で最大の王国だったはずの邪馬台国。その女王ともなれば、日本の史料の中にも何らかの痕跡を見つけられるのではないだろうか?

そんな雲をつかむような状況の中、卑弥呼の死因について調べてみました。結論は現代だとギャグとも思える死因ということになります。

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卑弥呼の死因は?

卑弥呼という名前は『魏志倭人伝』など中国や朝鮮の史料には記載があるのですが、日本の資料には全く載っていません。なので、まずは『魏志倭人伝』の中の卑弥呼の死に関する記述を手掛かりにするしかなさそうです。それによると…

倭の女王卑弥呼と狗奴国王の卑弥弓呼(ひみくこ)は平素から仲が悪かった。倭国は載斯烏越(さしあえ)らを帯方郡に遣わし、争いの状況を説明した。魏の朝廷は塞曹椽史の張政らを派遣した。張政らは詔書と黄幢を難升米(なしめ) に授け、檄文を作って諭した。そして、卑弥呼は死んだ。死後は直径100歩余の大きな塚が作られ、奴婢100余人が殉葬された。

ということで、確定的な情報は何も含まれていません。檄文にビックリしてショック死とか自殺とかが考えられる書き方ではあります。

でも、檄文と死が直結していないようにも取れる書き方。「檄文を送ったりしたんだけど、卑弥呼さんはもう死んじゃってたんですよぉ」という解釈もできそう。檄文が原因でないとすると、狗奴国とのいざこざが原因とも考えられます。ひょっとしたら、刺客を送られて暗殺された?なんてことも有り得なくはない。

それとは全く違う解釈もできます。「平素から仲が悪かった」というゆったりした表現なので、卑弥呼さんは病死かもしれません。かなり高齢だったと思われるので、老衰かも。

これでは、全く手掛かりになりませんね。

実は明確な証拠となるような文献は残されていないんだ。卑弥呼に関することは謎だらけで江戸時代から今にいたるまで色んな議論が展開されていて、まだ決着がついていないんですよ
天草ゴロー

 

日本に手掛かりは無いのか?

やはり『魏志倭人伝』は海を隔てた国で書かれたものなので精細さは期待できません。

国内の史料に手掛かりは無いのでしょうか?それには、国内の史料の中の誰が卑弥呼なのかを特定しなければなりません。卑弥呼は誰なのか?という議論は江戸時代、ひょっとしたらもっと昔から続いておりまして、卑弥呼候補は何人かいらっしゃいます。

で、今回は全く新しい方法で卑弥呼候補を絞り込んでみました。直接の死因が史料に記述されている人だけを選んだのです。絞り込まれた候補者は二人!最も有力視される卑弥呼候補の二人でした。

しかも驚いたことには、この二人の死因は同じだったのです!

 

卑弥呼候補①天照大神

一人目の卑弥呼候補は、天照大神です。

『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は占いのような術を用いることができ、年増で独身。弟がいて、政務を補佐していました。卑弥呼は、王となってからは人前には出ず、一人の男だけが食べ物などを持って出入りしていたと書かれています。

一方、天照大神は天を照らす太陽神であり、女神。須佐之男命(すさのおのみこと)という弟がいます。

天照大神の別名はいろいろあって、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)、大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)、大日女(おおひめ)、などなど。何となく「ひみこ」に似てますね。

天照大神は弟の須佐之男命が悪いことばかりするので、悲しくなって天岩戸に引きこもりました。引きこもりです!これも卑弥呼と似ています。このように類似点が多いことから、天照大神は最も有力な卑弥呼候補の一人なのです。

その天照大神の死因が‥(笑)

『日本書紀』第七段の本文の記述によると、須佐之男命は数々の悪いことをしていましたが、最後は天照大神が神聖な衣を織っている機屋(はたや)へ皮を剥いだ馬を投げ込みました。天照大神は驚いて梭(横糸を巻いた管が入った小さい舟形の道具で、縦糸の中をくぐらせて機を織る)で自分を傷つけてしまい、これに怒って、天岩戸に隠れてしまいます。それで世界は真っ暗になりました。

ここで思い出して頂きたいのが、天皇のような尊い方が亡くなった場合「お隠れになった」という言い方をするいうことです。諸説あるところですが、天照大神は梭でけがをして死んでしまったと考えられます。

これに関する『古事記』の記述は少し違います。馬が投げ込まれたのに驚いたのは機織り女で、この機織り女が梭を陰部に刺して死んでしまったことになっているのです。それに怒って天照大神は天岩戸に隠れたことになっています。

真実はどうなのでしょうか。これには本当に諸説あるのですが、最もセンセーショナルな説を採用したいと思います。

それは、天照大神は梭を陰部に刺して死んでしまったと解釈する説です。

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卑弥呼候補②倭迹迹日百襲姫命

二人目の卑弥呼候補は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)です。

この名前は『日本書紀』の場合。『古事記』では夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)という名前です。冗談のような名前ですが、第7代孝霊天皇の皇女で、列記とした皇族。

万利休
めちゃくちゃ変な名前だね、ギャグみたいだけど本当にそういう名前らしい。

漢字は音だけを表しています。意味を追ってみますと「ととひ」は「鳥飛」で、脱魂型の巫女を表している可能性があるそうです。幽体離脱できるのなら、引きこもってても世の中のことは全部お見通しのはず。卑弥呼の素質は十分にあります。

『日本書紀』によれば、百襲姫はその特殊な能力によって、国の災害を鎮めたり謀反を予見したりして国政を助けました。第10代崇神天皇は百襲姫の弟ではありませんが、よく補佐していたようで、その様子を『魏志倭人伝』は姉弟と誤解して書いたのではないかとも言われています。崇神天皇崩御が258年と推定されていて、卑弥呼とも同時代です。

その倭迹迹日百襲姫命の死因がまたしても‥(笑)

百襲姫は大物主神の妻となっており、卑弥呼は未婚という条件にはあてはまりません。この際、そこは目をつぶりましょう。夫の大物主神は夜にしか姿を現さず、ある朝にその姿を見たら蛇だったとのこと。夫の蛇の姿を見て驚いた百襲姫は腰を抜かした時に箸が陰部に刺さって死んでしまいました

どんな死に方やねん、刺さる場所がチョットおかしいでしょ‥!名前もギャグみたいだけど死に方もギャグみたい。こんな死に方したら後世で笑われちゃう(笑)
万利休

それで葬られたのが箸墓で、現在は奈良県桜井市にある箸墓古墳であると考えられています。この古墳の築造年代が放射性炭素年代測定などにより、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀中頃であることが分かっています。これは「大きな塚が作られた」という『魏志倭人伝』の記述に合致します。ゆえにこの人も、最も有力な卑弥呼候補の一人なのです

古墳の名前に「箸」が付いていますから、箸を刺して死んでしまったのは本当なのでしょう。そして、またしても陰部なのです!昔はこういう死に方が流行っていたのでしょうか。最も有力な卑弥呼候補の二人が、同じ奇異な死に方をしている!これは、卑弥呼の死因が正にそれだったということなのではないでしょうか?

 

 

まとめ

  • 邪馬台国や卑弥呼について書いてある史料は、中国や朝鮮にしかない。
  • 最も詳しい『魏志倭人伝』の記述でも、卑弥呼の死因を特定することはできない。
  • 日本の歴史書に登場する数名の卑弥呼候補の中から、死因が明記されている人2名を絞り込んだ。
  • その2人は最も有力な卑弥呼候補であり、しかも死因が同じだった。
  • 一人目の卑弥呼候補は天照大神。別名が卑弥呼に似ていること、弟がいること、引きこもっていたことなど、『魏志倭人伝』の中の記述と類似点が多い。
  • 天照大神の死因は、『日本書紀』や『古事記』の記述を総合すると、機織りに使う梭を陰部に刺して死んだと考えられる。
  • 二人目の卑弥呼候補は倭迹迹日百襲姫命。不思議な能力で国政を補佐したこと、お墓とされる古墳が放射性炭素年代測定で卑弥呼の亡くなった年代に近いこと、卑弥呼も大きな塚に葬られたと『魏志倭人伝』に書かれていることなど、卑弥呼候補として有力である。
  • 倭迹迹日百襲姫命の死因は、箸を陰部に刺して死んだと言われているため、葬られた古墳の名前は箸墓古墳。
  • 最も有力な卑弥呼候補の二人が同じ奇異な死に方をしている。これは、卑弥呼の死因が正にそれだったということではないかと筆者は考える。

卑弥呼と思われる人物の死に方は「箸が陰部に刺さって死んだ!」これが死因とか恥ずかしすぎます。

視点を変えて、卑弥呼候補の中で死因が分かる人を調べてみたら、思わぬ発見をしました。この衝撃的な死に方は、かなり珍しいと思います。「天照大神=倭迹迹日百襲姫命」なんてこともありそうな感じです。歴史は掘れば掘るほど面白いことが出てきますね。

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