[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]あの当時にスゴイ技術があったとは思えないんだけど火縄銃ってどんな仕組みなんだろう?[/voice]
銃に縄が垂れ下っていて火が伝う?そんな感じしか思い出せない方、私も一緒です。ここでは火縄銃の仕組みや構造を掘り下げて行こうと思います。
そもそも火縄銃とは・・?
そもそも火縄って何?問題はそこからでした。
火縄とは檜(ひのき)の皮、竹の繊維または木綿糸などを縒(よ)って縄を作り、これに硝石(しょうせき)を吸収させたもの。火持ちがよいので点火に使いました。これを使った銃が火縄銃もしくは種子島、種子島銃です。
火縄式の鉄砲(炮・ほう)は引き金を引くと火縄挟みが落下して、火皿の口薬(くちぐすり・導火薬)に火縄の火が着火し、銃腔(じゅうこう)に装填(そうてん)された玉薬(たまぐすり)に引火して、玉を発射します。
火縄銃のくわしい構造と仕組み
■筒(つつ・銃身) 銃身の先から火薬と鉛の弾を込めて、かるかという棒で押し詰めました。これはよく時代劇に出てきますね。イメージしやすいです。
■台木(銃床) 樫材(かしざい)が多いです。堺、国友では内側に墨銘(ぼくめい?)をつけています。くるみなどの堅い木も使われます。
樫材について木に硬いと書くほど硬い非常に硬く国産の材の中で一番重いものです。弾性があって水湿にも強いです。今でも台木に使用されています。
■カラクリ(機関部) 火蓋(ひぶた)を開け、引き金を引くと、火ばさみにつけられた火縄が火皿(ひざら)に落ちます。火皿の導火薬が点火し、中の火薬が爆発します。内カラクリと外カラクリの2種があります。
外観上、外カラクリ(外に松葉バネがあるもの)、と内カラクリ(内部のゼンマイがあるもの)の2種類ですが、両方ともバネは一部を除き、真鍮製(しんちゅうせい)であり、現在、製作するのはなかなか難しいそうです。
真鍮(しんちゅう)とは、銅と亜鉛の合金で黄銅(こうどう、おうどう)やブラスと呼ばれることもあります。 もっとも身近なものだと5円玉の素材が真鍮です。
■毛ぬきがね 火縄ばさみを上げ下げする働きをするばねです。
■火ぶた 火薬を入れた火皿に、安全装置としてかけておくふたです。
■火縄ばさみ 点火した火縄をはさむもの。これが落ち火皿の火薬に火をつけます。
■用心鉄(ようじんてつ・トリガーガード) 引き金になにかがふれて暴発するのを防ぐものです。
■安全装置 火皿・点火薬を入れる小さな皿状のくぼみ 中心に小穴があり、銃身内部に通じてます。
■目当 鉄砲をかまえて狙う見当になる部分。前後の見当を重ねて狙いを定めました。霧の火や夕暮れ時に線香などを立てて使われたといいます。
■目釘 銃身を銃床に固定させるための釘
■かるか(さく杖) 銃口から入れた黒色火薬と弾丸をこの棒でつきかため、弾丸の飛び出す力を強めます。
鉄砲の産地
ここで有名な生産地の紹介です。
国友は現在の滋賀県長浜市国友町。ここは戦国時代から江戸末期まで、堺、根来とならぶ鉄砲の産地でした。
「国友」の名は単なる地名だけではなく、国友の工人(こうじん)「国友鍛冶」や、国友で生産される銃「国友筒(くにともづつ)」も示していました。
村がひとつの工業団地の機能を持っていて、銃身など主要部分を作る鍛冶のほかに、銃床(じゅうしょう)を作る「台師(だいし)」、「からくり」と呼ばれる機関部や各種の金属部品それに銃身や地板(じいた・機関部基板)等に施す装飾の象嵌(ぞうがん)等にそれぞれの専門職人がいて、分業体制がとられていました。
最盛期には70余軒の鍛冶屋と500人を越す職人がいました。
実在した鉄砲集団
根来(ねごろ)
根来衆(ねごろしゅう)は、戦国時代に紀伊国北部の根来寺(ねごろじ)を中心とする一帯(現在の岩出市)に居住した僧兵たちの集団です。雑賀衆(さいかしゅう)と同様に鉄砲で武装しており、傭兵集団としても活躍しました。
雑賀衆(さいかしゅう)
鉄砲傭兵・地侍集団の一つです。雑賀衆は紀伊国北西部(現在の和歌山市及び海南市の一部)の五つの地域の地侍達で構成されていました。高い軍事力を持った傭兵集団としても活躍し、鉄砲伝来以降は、数千挺もの鉄砲で武装していました。また海運や貿易も営んでいました。「さいが」と読むのは誤読です。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]雑賀衆には雑賀孫市という有名な人物がいるよ。ゲームのキャラとしても出てくるから知っている人も多いんじゃないかな?[/voice]
まとめ
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1、火縄銃の仕組みは思ったよりも簡単
2、火縄銃の構造は思ったよりも複雑
3、生産地は生産だけでなく傭兵も兼ねているところが多かった
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駆け足で説明させて頂きましたが、銃器に縁のない生活の人が説明すると、こうなるの!(苦笑)のいい見本です。
関係のある銃器は遠い過去のビームライフルだけです。すごく重くて肩がこったことしか覚えていません。
いずれにしろ、現在日本で生活していると銃器には疎くなって正解だと思います。
500年くらい前には銃を生産し使っていたという事実に皆さんはどう思いますか?
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