戦国時代

井伊直弼と直虎の関係は?家系図を分かりやすく!

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歴史に詳しくない人でも「井伊直弼(いいなおすけ)」の名前は聞いたことありますね?すぐにはピンと来なくても「桜田門外の変」と聞けば思い出すのではないでしょうか?江戸幕府の大老でしたが、江戸城桜田門付近にて暗殺されました。

一方、「井伊直虎(いいなおとら)」はどうでしょう?最近はスマホゲームのモンスト(モンスターストライク)で知ってる!という人の方が多いかもしれません。でも、実在の人物なんですよ。

直虎が活躍したのは戦国時代、直弼は江戸幕府最後の大老。300年ほどの隔たりがあるようですが、二人の関係はどうなっているんでしょう?

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井伊直弼と直虎の関係は?

二人とも苗字が同じ「井伊」ですから、「井伊家つながり」だという想像はつきますね。正解です。でも、ここで安心してはいけません。これから井伊家の人々の話になりますが、みんな名前は「井伊直〇」なのです。最後の一字しか違わない!

一族の中でややこしくなかったんですかね。「すけちゃん」とか「とらちゃん」とか呼んでたんでしょうか。字が違ってても読み方が同じだったらアウトですね。そこだけは気をつけていたかもしれませんね。

直虎も直弼も井伊家の当主だった人です。直虎の上まで遡るとキリがないので直虎を1番として数えると、直弼は16番目です。

  • 井伊直虎は1536年(推定)~1582年
  • 井伊直弼は1815年~1860年

同じ井伊家の人物ですが、登場した年代がかなり違います。

 

直虎は信長と同じ時代を生きた人物

とらちゃんこと直虎は、1536年(推定)に生まれて1582年に亡くなっています。比較すると分りやすいのが織田信長。1534年に生まれて1582年に本能寺の変で亡くなっています。

つまり、信長と直虎は同じ時代の登場人物。同じ年に生まれて、同じ年に亡くなっているんですね。本能寺の変が6月で、直虎が亡くなったのが8月ですから、信長の死を聞いてから亡くなったことになります。

徳川家康と直虎だと、直虎の方が年上。

家康は1543年生まれなので、家康の方が直虎より7歳年下になります。。松平家(後の徳川家)は今川家と織田家の間に挟まれ、苦労しました。同様に井伊家は今川家と松平家に挟まれて苦労しました。

家康の正室の築山殿は今川義元の姪(従妹という説もある)であり、直虎の曽祖父の孫娘でもあります。こんがらかってきましたか?ここでは親戚だということだけ分かって下さい。

当時は人質がてら結婚させられましたから、決して仲のいい親戚ではなかったと思いますが…。今川義元が織田信長に倒されたことによって、松平家は織田家と同盟国を組み、井伊家は松平家の家臣となります。

 

井伊直政も実在した!

直政は直虎の次の当主ですが本当の親子ではなく、「はとこ」になります。

「はとこって何?」という人が最近多いので念のため説明しておきます。「はとこ」とは、それぞれの親がいとこ同士の関係。曽祖父が同じです。ちなみに、サザエさんファミリーではタラちゃんとイクラちゃんの関係になります。

はとことはいえ、直政は1562年生まれで直虎より25歳くらい若く、ある事情(後述)により直虎の養子となりました。

直政は家康の下で大活躍し、徳川四天王とか十六神将の一人に数えられています。関ケ原合戦の2年後(1602年)に亡くなっていますが、石田三成が治めていた領地を拝領し、彦根藩の初代藩主となりました。

この彦根藩の十五代藩主が、井伊直弼になります。彦根藩藩主は直政を1番として数えるので、直弼は15番になります。

 

 

知ってた?直虎は女だよ!

念のため、ここで基本的な確認ですが、直虎は女だというのはご存知ですよね?そういえばモンストの絵が女みたいだった…なんて今頃思い出していませんか?

直虎の父親の直盛には男児がいなかったため、分家から直親(直盛のいとこ)を養子に迎えました。その後、直盛が桶狭間の戦いで戦死したので、直親が家督を継ぎました。ところが間もなく今川氏真にあらぬ疑いをかけられ、殺されてしまいました。もう誰もいないので女性ながら直虎が井伊家当主となったのでした。直政は直親の息子です。

それにしても、女性に「虎」とはひどい感じがしますね。虎のように激しい人だったからなのか、女だとなめられないように男勝りな名前にしたのか…。でも、よくよく考えたら、昔は「トラ」という名前のお婆ちゃんがいましたね。

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家系図で2人の関係を見てみよう

出典:https://under-the-veil.jp/5777.html

さてさて、話を直虎と直弼の関係に戻して、家系図を見てみましょう。

井伊家の当主を直虎から順番に書いてみますと…

直虎→ (1)直政 (2)直孝 (3)直澄 (4)直興 (5)直通 (6)直恒→ (7)直治→

 (8)直惟→ (9)直定→ (10)直禔→ (11)直定→ (12)直幸→ (13)直中→

 (14)直亮→ (15)直弼となります。

※ ()内の数字は彦根藩藩主の順番。

直虎と直政が本当の親子ではなかったように、その後も必ずしも父から息子にバトンが渡ったわけではありません。

細かく見ていくと、四代藩主直興と七代藩主直治は名前が違いますが同一人物です。九代藩主と十一代藩主は間違って同じ名前を付けたわけではなく、やはり同一人物。

さらにややこしいことを言うと、二代藩主と三代藩主は兄弟、五代藩主と六代藩主と八代藩主と九代藩主も兄弟、十代藩主と十二代藩主、十四代藩主と十五代藩主(つまり直弼)も兄弟です。

直弼はなんと十四男なのです!

 

 

名門 井伊家のスキャンダル(1)

井伊家にまつわるエピソードとして、映画「一命」(2011年 三池崇史監督作品)を思い出しました。原作は滝口康彦の「異聞浪人記」です。話の最初の方だけ紹介しますと…。

江戸時代に入って30年ほど経った頃、生活の苦しい浪人が増えていました。そんな浪人の中で、狂言切腹が流行りました。大名の江戸屋敷を訪ねて「切腹したいので介錯(切腹した人の首を切り落として楽にしてあげること)をお願いします」と言うのです。本当に切腹したいわけではありません。面倒なことを避けたい大名屋敷の役人は、お金を渡して追い払おうとします。そのお金が目的なのです。

井伊家ならば名家だけに面倒ごとは嫌うだろうし、お金もあるだろうから簡単に出してくれるだろうと考え、ある侍が訪れた・・・。

その後の展開は差し控えますが、切実な浪人の姿を市川海老蔵と瑛太が好演していました。二代藩主直孝(平岳大)も登場します。直孝は直政の次男です。

 

名門井伊家のスキャンダル(2)

田沼意次(おきつぐ)の名前はご存知ですか?老中でしたが、汚職で失脚してしまった人です。商業振興を進めて成功したのですが、うまく行き過ぎて贈収賄が横行するようになってしまいました。

十二代藩主直幸は直弼と同じ大老職に就いていますが、意次に賄賂を渡して地位を手に入れたと言われています。いつの時代にも、お役人の黒い噂はあるんですね…。

 

 

まとめ

いろいろ見てきまして、話がややこしくなってしまいました。問題は「直虎と直弼の関係は?」ということでしたね。

直虎と直弼の関係は、二人とも井伊家の当主。直虎を1番として数えると直弼は16番目。これが答えです!

幕府はよそから養子を迎えるのを認めなかったため、他人の血は一切入っていません。

彦根藩は十五代続いていますが、足利将軍家も徳川将軍家も十五代ですね。それくらい続くと名前を考えるのも大変ということなんでしょうか。「足利義〇」とか「徳川家〇」とか、ある程度パターンが決まっていますね。

それでも、両家とも15人の中には例外が何人かいました。それに比べると井伊家の徹底ぶりは凄いです。「井伊直〇」で、一人も例外がいません。いろいろ考えるのが面倒だったんでしょうかね。昔は兄弟が多かったですから。キラキラネームなんか付けてる場合じゃなかったんでしょうね~。親も読み方を忘れてしまいそうですね。

それにしても女の子に「虎」は無いな~。名前を変えるとしたら「井伊直子」とか「井伊直美」とかですかね。あなたなら、どんな名前にしますか??

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