今の時代、初めて行く場所でもスマートフォンさえあれば、細かい道までもしっかり描かれた地図を頼りに不自由なく動くことができます。
ほんの少し前は車の中には分厚い本の地図が常備されて、紙の地図を広げて道を確認していた時代がありました。
そう考えると本当に便利な世の中になったものです。
でも、もちろん、ずっとずっと昔、紙の地図すらない時代もあったのです。あったとしても、万人がわかるクオリティではなかったはず。
そんな中、江戸時代に驚くほど詳細に日本地図を作り上げた人物がいました。
その人物の名前は「伊能忠敬」。
一体どんな方法で、まるで空から写真を撮って作ったかのような日本地図を作り上げたのでしょうか?
伊能忠敬は測定をどうやってあんな正確に!?
現代の我々も驚いてしまう精度の日本地図を、彼はどうやって作り上げたのでしょうか。
伊能忠敬は測量を学んでおり、「導線法」という測量方法を使い、精密な地図を作成しました。
「導線法」とは簡単に言えば「歩いて測った」という事です。
測量方法はこんな感じ
- まず測量する地形に沿って「測点」を決める。
- 測点に「梵天」と言われるポールのような目印を立て、鉄鎖(てっさ)や間縄(けんなわ)を使用し、測点と測点の間を測る。
- 杖先磁石という、今でいう方位磁石のようなもので角度を測り、方位と距離を測りながら前に進み測量していく。
測量法があったとしてもカンタンにできるワケではなさそうです。機械があったのではなく、あくまでアナログな作業なのですから。地道な作業で想像すると目まいがしてきそうですね。
伊能忠敬は上記の測量に使用した道具以外にも、様々な道具を駆使して測量を進めました。
彼が使用した測量器具類は、彼の故郷でもある千葉県香取市佐原の伊能忠敬記念館が保管しており、国宝に指定されている物も多いです。
伊能忠敬が測量に用いた道具
間縄 & 鉄鎖
先ほどの測量方法の記述の中にも登場しました。
これらの道具は海岸線を測量するのに使われました。元々は麻の縄を使い測量していましたが、縄は伸び縮みする為正確な距離が測れなかった為、鉄鎖が使われるようになりました。
鉄鎖は両端を輪のように加工した、長さ一尺の鉄線を60本繋いだ鎖で、伸ばすと長さは十間になります。
但し鉄鎖も使っていくうちに摩耗していくので、毎日「間棹」という長さ二間の木の棹を使い測っていました。
量程車
車輪と歯車のついた箱状の測量器。地面において車輪を転がしながら進むことによって、車輪に連動した歯車が回り、移動した距離がが表示されるようになっていました。
ただし砂地や、凸凹した道では距離が正確に測る事が出来なかった為、名古屋、金沢などの城下など、限られた地域で使用されました。
方位盤
伊能忠敬はいくつかの方位盤を使用していました。
最も重要だったのは小方位盤という、杖の先に羅針盤をつけたものでした。羅針盤は杖を傾けても常に水平が保たれるようになっており、彼は平地では三脚で固定して使用し、傾斜地では杖を地面につきたてて使用しました。
「小方位盤」があるという事は大、中の方位盤もあるということです。
大、中の方位盤は残念ながら実物が残っておりません。文献などから分かった情報では脚のついた円形の盤上の中央に望遠鏡を設置した物でした。
これらの方位盤は富士山など、遠くの目標物の方角を測る為に使用されました。更に半円方位盤という方位盤も使用していました。これは文字通り、半円形の方位盤です。
前述した方位盤よりも細かな方位が求めやすく、遠くの山などを測る為に後期の測量で次第に頻繁に使われるようになっていきました。
象限儀
伊能忠敬の測量道具ときいて、扇形の道具を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか?
そう、象限儀はソレです。笑
この道具は坂道の傾斜や、星の高度を求めました。彼が使った象限儀には、杖先小象限儀、大象限儀、中象限儀があります。
杖先象限儀は、導線法により2点間の距離を求められても、その2点間が坂道になっていると地図に表す時に距離が異なってしまう現象を解消しました。
大、中象限儀は、恒星の南中高度を測る為に使用されました。大象限儀は江戸に常設されており、測量へは中象限儀を使用しました。
垂揺球儀
日食、月食が起きた時刻を調べた道具です。振り子の振動によって、時間がわかりました。
色々見てきましたが、時間とか測量に関係してくるんですね…!!
これらの道具を使って何度も何度も測量を重ねたと思うと、本当に気の遠くなる作業です…
伊能忠敬はいつから測量を始めた??
伊能忠敬は上総国(現在の千葉県)で生まれました。厳密に言えば千葉県の香取市佐原という町で、ここには彼の生家が残っています。
私が行った当時は東日本大震災の影響で彼の生家は傾いてしまっており、中に入ることはできませんでした。
彼は酒造家の伊能家のミチと結婚し、商人として生活。彼は1794年に隠居し、暦学の本を取り寄せ勉強をしたり、天体観測を行ったりしていました。
そんな彼は関西方面へ旅行をしたことをきっかけに、測量にのめり込んでいくことに(関西で一体何が)
なんと50歳の時に、19歳も年下の天文学者の高橋至時に弟子入りし、暦学・天体観測・測量などの知識と技術を学びました。
それから蝦夷地、伊豆などの東日本、東海地方や北陸地方の測量を陸路で「徒歩」で行い、師匠の高橋至時の度肝を抜きました。
まとめ
今回のお話を端的にまとめると‥
- 導線法という方法で測量。基本は歩く。
- 数々の道具を使用。その中には角度や時間を測る道具もあった。
伊能忠敬は「地球の大きさはどのくらいなんだろう?」という好奇心から、55歳で測量を始め、17年かけて通算4万キロの道を歩きました。
4万キロってどのくらいだと思いますか??それこそ地球一周分です!!!笑
彼はこんな言葉も残しています。
「願望を一時も忘れず心がけていれば、必ず成し遂げられる」
良い言葉です…!彼には本当に、何かを始める事に遅すぎる事はないという事を教えられます。
最近では「中高年の星」、「人生を二度生きた男」と定年退職者からも注目されているそうです…
伊能忠敬を見習って、何やかんや言い訳せずに、どんどん新しい事に挑戦していきたいですよね。
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