明治時代

伊藤博文の子孫の現在は?やはり政治家が多いのか?

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伊藤博文は、明治の元勲の中でも知名度はトップクラスでしょう。初代内閣総理大臣ですから、必ず覚えなければいけない人ですね。ところで、その子孫は今、何をしているのでしょうか?

女好きだったというイメージがあるので、子孫も多そうですね。「伊藤さん」は確かに周りにいっぱいいますけど、伊藤博文には関係なさそう。逆に、政治家に「伊藤さん」て少ないような気もします。

伊藤家の家系図を調べてみました。

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子孫で現在活躍中なのは、この二人!

  1. 松本剛明
  2. 藤崎一郎

伊藤博文の子孫で現在活躍中の人として、まず出てくるのは松本剛明。現在、衆議院議員7期目です。もう一人は、藤﨑一郎。駐米大使をされていましたが、退官後も様々な役職に就いておられます。

この二人は従兄弟どうしなのですが、伊藤博文まで遡らなくても、父親やおじさんたちを見渡しただけで財務省高官や最高裁判事、さらに各国大使は何人もいらっしゃいます。

この素晴らしい家系は、どんなふうにして出来上がっていったのでしょう。最初の二人、伊藤博文と夫人の梅子から辿っていくことにしましょう。

 

 

伊藤博文の子供や子孫

【正妻】伊藤梅子

伊藤博文は二回結婚しています。最初の奥さんは、すみ子。でも、すぐに離婚して、下関の芸妓だった梅子と再婚。二児をもうけています。いずれも女の子です。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]伊藤博文は大の女好きでした  [/voice]

 

【長女】伊藤貞子

生没年は1866年~1868年。先妻すみ子との離婚と同じ1866年に生まれています。微妙なタイミング・・・。残念ながら貞子は2歳で夭折

 

【次女】末松生子

生没年は1868年~1934年。西源四郎と一度結婚していますが、源四郎は結婚後まもなくベルギーに留学。その留守中に、イギリスから帰国して時の人となった末松謙澄と仲良くなってしまったようです。源四郎とは離婚。

その後、末松謙澄と再婚。夫の末松は、法制局長官(第2次伊藤内閣)、逓信大臣(第3次伊藤内閣)、内務大臣(第4次伊藤内閣)を歴任。子爵。子供はいませんでした。

末松子爵夫人となっても自由奔放な生活をされていたようです。父親が父親ですから、誰も何も言えなかったんでしょうね。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]自由奔放は伊藤博文ゆずりなんだな[/voice]

 

【養子】伊藤博邦

いとうひろくに。生没年は1870年~1931年。長州藩士井上光遠(井上馨の兄)の四男。井上馨の甥っ子に当たります。井上家の祖先は清和源氏の流れを汲む名家で、毛利元就の頃からずっと毛利家に仕えています。ただ、博邦自身は結婚前から博文に負けず劣らずの放蕩ぶりだったようです。それはともかく、伊藤家に養子として迎えられました。

養父博文の死後に公爵を踏爵、貴族院公爵議員に就任。式部官、式部次長、式部長官、大喪使事務官、大礼使参与官等を歴任。他に、日本銀行監事、生活改善同盟会会長、日独文化協会会長、楠公会会長、厳島保勝会総裁、麻布区教育会会長などを務めました。

妻たま子は、占いの高島嘉右衛門(高島易断)の長女。嘉右衛門は博文とも親交があり、博文の暗殺についても予見していました。しかし、博文の決意を変えることができず、結果として暗殺を防ぐことができなかったと言われています。

以下2人は、この博邦の子孫です。

 

 

【孫】伊藤博精

いとうひろよし。生没年は1899年~1962年。博邦の息子。父博邦の死後に公爵を踏爵、貴族院公爵議員に就任し、1947年の貴族院廃止まで在任しました。

妻の伊藤福は高橋是清(第20代内閣総理大臣)の孫。

 

 

【曾孫】千家文子

せんげふみこ。博精の三女。出雲国造家の千家家に嫁ぎました。舅にあたる千家尊統は八十二代出雲国造出雲大社宮司で、男爵でもありました。

夫の千家達彦(せんげみちひこ)は、出雲大社教元管長。2015年9月30日の達彦の葬儀では、文子が喪主を勤めました。

 

【長男】伊藤文吉

いとうぶんきち。生没年は1885年~1951年。博文の妾の子なので庶子となりますが、博文の実子。

農商務省参事官、同山林局書記官、外務書記官、内閣総理大臣秘書官、軍需省顧問、日本鉱業社長などを務めました。父博文の勲功により、男爵を叙爵。貴族院男爵議員として、1947年の貴族院廃止まで在任しました。

妻は桂太郎(第11・13・15代内閣総理大臣)の五女、寿満子。

 

 

【次男】伊藤眞一

いとうしんいち。生没年は1890年~1980年。新橋芸者の子ですが、博文の実子。

眞一の情報はほとんど無いのですが、その子満州雄が重要な役割を果たしています。

 

 

【孫】伊藤満州雄

伊藤眞一の息子。特定非営利活動法人国際福祉環境推進機構代表

伊藤博文が凶弾に倒れ絶命するまでの約30分間、そこに居合わせたため、最期の証人となりました。

 

 

【三女】西朝子

生没年は1876年~1944年。伊藤家の女中の子なので庶子となりますが、博文の実子

夫は外交官の西源四郎(次女の生子と離婚している)。シャム特命全権公使、ルーマニア特命全権公使など歴任。二葉亭四迷とは旧外国語学校時代からの親友。

以下は、西朝子の子孫になります。

 

 

【孫】藤井清子

1895年生まれ。西朝子の娘。夫は外交官の藤井啓之助。ドイツのハンブルグ総領事や、在チェコスロバキア公使などを勤めた。

この人の子孫は、活躍している人が多いようです。

 

 

【曾孫】田付美代子

1916年生まれ。藤井清子の娘。夫はデンマーク大使の田付景一。

 

 

【曾孫】藤﨑扶佐子

1921年生まれ。藤井清子の娘。夫は最高裁判所裁判官の藤﨑万里。

 

 

【玄孫】藤﨑一郎

ふじさきいちろう。1947年生まれ。藤﨑扶佐子の息子。駐アメリカ大使。元外務審議官

退官後も、上智大学特別招聘教授、日米協会会長、公益財団法人世界平和研究所(IIPS)副理事長、一般社団法人世界貿易センター東京副会長、公益財団法人日本国際フォーラム参与、学校法人北鎌倉女子学園理事長。

駐アメリカ大使時代のエピソードをひとつ。2009年12月21日に普天間移設問題に関して、アメリカ合衆国国務長官のヒラリー・クリントンと国務省で15分間の緊急会談を行いました。藤﨑が押しかけて会談が行われたようで、機敏な行動力がうかがえます。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]現在も活躍中の子孫だよ[/voice]

 

【曾孫】鶴見蔦子

1925年生まれ。藤井清子の娘。夫はジュネーヴ国際機関日本政府代表部大使の鶴見清彦。

 

 

【曾孫】松本悦子

1928年生まれ。藤井清子の娘。

夫は第48代防衛庁長官の松本十郎。衆議院議員は6期。元大蔵官僚。

 

 

【玄孫】松本剛明

まつもとたけあき。1959年生まれ。松本悦子の息子。衆議院議員7期。第146代外務大臣(菅第2次改造内閣)。2017年9月27日に自由民主党入党。同年11月9日に志公会(麻生派)に入会。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]この人も現在活躍中の子孫![/voice]

 

【玄孫】寺内令子

松本悦子の娘。財務省大臣官房参事官寺内肇の妻。

 

 

まとめ

[aside]

  • 伊藤博文の子孫で現在活躍中の特に有名な二人は、松本剛明と藤﨑一郎。
  • 伊藤博文は2回結婚しており、後妻の梅子が女児を二人産んでいる。
  • 【長女】伊藤貞子:2歳で夭折。
  • 【次女】末松生子:夫の末松謙澄は伊藤内閣の下で大臣を歴任。子爵。
  • 【養子】伊藤博邦:養父博文の死後公爵を踏爵。貴族院公爵議員となる。
  • 【孫】伊藤博精:父博邦の死後公爵を踏爵。貴族院公爵議員となる。
  • 【曾孫】千家文子:夫の千家達彦は出雲大社教元管長。
  • 【長男】伊藤文吉:父博文の勲功により男爵を叙爵。貴族院男爵議員となる。
  • 【孫】伊藤満州雄:博文の次男伊藤眞一の息子。特定非営利活動法人国際福祉環境推進機構代表。伊藤博文暗殺時に居合わせ、最期の証人となる。
  • 【三女】西朝子:夫の西源四郎はシャム特命全権公使、ルーマニア特命全権公使など歴任。
  • 【孫】藤井清子:夫の藤井啓之助はハンブルグ総領事、在チェコスロバキア公使などを歴任。
  • 【曾孫】田付美代子:夫の田付景一はデンマーク大使。
  • 【曾孫】藤﨑扶佐子:夫の藤﨑万里は最高裁判所裁判官。
  • 【玄孫】藤﨑一郎:駐アメリカ大使。元外務審議官。
  • 【曾孫】鶴見蔦子:夫の鶴見清彦はジュネーヴ国際機関日本政府代表部大使。
  • 【曾孫】松本悦子:夫の松本十郎は第48代防衛庁長官。衆議院議員(6期)。
  • 【玄孫】松本剛明:第146代外務大臣。衆議院議員(7期)。
  • 【玄孫】寺内令子:夫の寺内肇は財務省大臣官房参事官。

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伊藤家に生まれた人全ての情報が開示されているわけでもないでしょうから、今回調べることができたのは政治家や官僚など公的な仕事に就いていた人に偏っているのかもしれません。

そうだとしても、一族にこれだけ揃っているのであれば、政治家や官僚が多い家系だと言っていいと思います。伊藤博文は語学の才能があり、外交が得意でした。それを反映してか、子孫には外交官が多いですね。

ただ、有名な役職に就いている人は直系の男子には余り見られず、娘の結婚相手がほとんどです。これは閨閥形成のための政略結婚という側面があったからでしょう。

つまり、娘を高級官僚に嫁がせることで伊藤家としても勢力を維持できるでしょうし、高級官僚の方も伊藤家と姻戚関係になることは出世に有利であることは間違いありません。そういう両者の思惑が見え隠れします。

でも私は、政略結婚が一概に悪いことだとは思いませんし、伊藤家で行われた婚姻が100%政略結婚だとも思いません。むしろ、ちょっと羨ましいかも。

みなさんは、どう思いますか?

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