古墳時代

古墳で最大はどれくらい?中ってどうなっているの?

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日本でたくさん発見されている古墳。大きくて有名な古墳は立ち入り禁止になっている場合が多いですから、人が上っている写真もなく、大きさが分かりにくいです。

最大の古墳はどのくらいの大きさなのでしょう。また中がどうなっているかも気になりますね。

そこで、古墳の種類(形)ごとの最大と、古墳の中について調べてみました。

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古墳で日本最大のはどれくらいの大きさ?

古墳で最大の物はどれくらいの大きさなのでしょう?古墳は、その形でいくつかに分類されます。その中の円墳、方墳、前方後方墳、そして一番有名な前方後円墳で、形ごとにトップ3を見ていくことにしましょう。

天草ゴロー
古墳の形ごとの最大サイズがあるから、形ごとの最大サイズをご紹介していきます。

ちなみ日本で最大サイズは525メートルになるよ!

 

円墳

底面が円形の古墳です。数は最も多く作られています。円なので直径で比較します。

1位:【直径110m】富雄丸山古墳(奈良県奈良市)※以前は86mとされていましたが、近年の航空3次元測量調査でトップに浮上。

2位:【直径105m】丸墓山古墳(埼玉県行田市)

3位:【直径95m】小盛山古墳(岡山県岡山市)

※造り出しという突出部を含めると108mとなり、2位に浮上します。

なかなかの接戦です。

 

方墳

底面が方形のもの。円墳の次に多く見られます。方形なので辺の長さで比較します。

1位:【一辺85m】枡山古墳(奈良県橿原市)※被葬者は第10代崇神天皇皇子の倭彦命(宮内庁治定)

2位:【一辺78m】龍角寺岩屋古墳(千葉県印旛郡栄町)

3位:【75m×55m】葉室塚古墳(大阪府南河内郡太子町葉室)

円墳より若干小さめですね。

 

前方後方墳

大きさの違う方墳が2つ、くっついた形。墳丘長(古墳の丘の長さ)で比較します。

1位:【墳丘長183m】西山古墳(奈良県天理市)

2位:【墳丘長144m】波多子塚古墳(奈良県天理市)

3位:【墳丘長130m】八幡山古墳(群馬県前橋市朝倉町)

2つくっついた感じなので、大きくなりますね。

 

前方後円墳

円墳の前方に方墳がくっついた形で、上空から見ると鍵穴のように見えます。これも墳丘長で比較します。

1位:【墳丘長525m】大仙陵古墳(大阪府堺市)※被葬者は第16代仁徳天皇(宮内庁治定)

2位:【墳丘長425m】誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市誉田)※被葬者は第15代応神天皇(宮内庁治定)

3位:【墳丘長365m】上石津ミサンザイ古墳(大阪府堺市)※被葬者は第17代履中天皇(宮内庁治定)

他の種類に比べて、前方後円墳は特別大きいことが分かりますね。

「宮内庁治定」とありますのは、史料となる『古事記』『日本書紀』『延喜式』それぞれの記述や考古学上の調査結果に矛盾があるため、まだ議論が続いているということです。

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古墳の中はどうなっているの?

では、最大の古墳であります大仙陵古墳の中を見ていきましょう。墳丘だけでなく、その周囲もセットになっていますから、一緒にご紹介します。

 

外周も含めると、もっとデカい!

墳丘長525mと前述しましたが、細かく寸法を見てみましょう。前方部は3段構造になっていて幅307m、長さ237m、高さ33.9m。後円部も3段構造で、直径:249m、高さ:35.8m。墳丘基底部の面積は103,410㎡で、甲子園球場3個くらい。あらためて、デカいですね!

さらに、この墳丘は三重の周濠(いわゆる堀)に囲まれていますので、古墳全体としてはもっとデカいのです。最大長は840m、最大幅654mとなっています。歴代の天皇陵をずっと造り続けていたら、すぐに日本は古墳だらけの国になったでしょうね。

 

墳丘は南向き

大仙陵古墳の墳丘は、前方部が南向きになっています。

これは必ず南と決まっていたわけではないようです。古墳群で同じ向きに統一している所もあれば、同じ古墳群でも方向がまちまちの所もあります。ちなみに、エジプトのピラミッドも向きを統一していたり、まちまちだったりしているそうです。面白いですね。

 

造出しが付いている

前方部と後円部のつなぎ目のくびれ部には左右に造出しが設けてあります。

造出しとは墳丘から小さく突出した部分で、島状だったり出島状だったりします。大仙陵古墳は出島状です。

多くは前方後円墳に付いていますが、前方後方墳、円墳、方墳に付いている場合もあります。円墳の大きさ第3位の小盛山古墳がそうです。

何に使っていたかというと、納棺後の祭祀(追善供養)に使われたのではないかと考えられています。

 

斜面には葺石、墳頂部には埴輪

前方後円墳の築造当初は、墳丘の斜面は葺(ふき)石で覆われていて、墳頂部には円筒埴輪が並べられていたと考えられています。五色塚古墳(兵庫県神戸市垂水区五色山)のように、そのような外観で復元されている古墳も少なくありません。

大仙陵古墳は明治維新の直前から現在まで研究者などの立ち入りが全く認められていないため、どうなっていたか正確な情報はありません。幸い、江戸時代は住民の立ち入りが可能だったので、付近に住む庄屋が「素焼ノ水瓶」(埴輪)が並んでいたことや「コロタ石」(葺石)が多いことを残した文書に記しています(1795年)

葺石の目的は墳丘の偉容を示すという意味もあったでしょうが、墳丘斜面にだけ使用されていて平坦面には使用されていないことから、盛土流出を防ぐ目的があったと考えられます。

 

石室と石棺

後円部はもっとも重要な人物が埋葬されていた筈ですが、残念ながら盗掘の被害にあったようです。江戸中期の1757年(宝暦7年)に書かれた「全堺詳志」には、長さ318cm幅167㎝の巨大な長持型石棺が認められたと書かれています。

前方部正面の二段目の斜面からも竪穴式石室が見つかっています。1872年(明治5年)に、風雨によって前方部前面の斜面が崩壊して埋葬施設が露出しました。

その際の発掘調査で石室と石棺が掘り出されています。残された絵図面によれば、その埋葬施設は長持形石棺を納めた竪穴式石槨で、東西に長さ3.6~3.9メートル、南北に幅2.4メートル。周りの壁は丸石(河原石)を積み上げ、その上を3枚の天上石で覆っていました。

 

副葬品

前方部の石室からは、甲冑、鉄刀、ガラス杯などが見つかっています

なぜか、アメリカのボストン美術館に「仁徳天皇陵出土品」として、銅鏡や環頭大刀などが収蔵されていますが、実年代は「6世紀の第1四半期を中心とした時期」と推定され、古墳の築造時期からずれています。

 

陪塚

陪塚(ばいづか)は近親者や従者を葬ったとされる、大古墳の近くに存在する小さな古墳です。大仙陵古墳の場合、12~15基あるとされています(大古墳から200m以上離れているものもあるため、陪塚に含めるかどうかで議論が分かれている)。

小さな古墳と言っても、直径55mの円墳(大安寺山や茶山)や、墳丘長87mの帆立貝式古墳(丸保山、しかも周濠あり)、墳丘長104mの前方後円墳(永山、周濠あり)などがあり、かなり立派です。

 

 

まとめ

  • 円墳の最大は、富雄丸山古墳(奈良県奈良市)で直径110m。
  • 方墳の最大は、枡山古墳(奈良県橿原市)で一辺85m。
  • 前方後方墳の最大は、西山古墳(奈良県天理市)で墳丘長183m。
  • 前方後円墳の最大は、大仙陵古墳(大阪府堺市)で墳丘長525m。
  • 大仙陵古墳は、墳丘の周りを三重の周濠が囲んでいるので、最大長は840m、最大幅654mにもなる。
  • 大仙陵古墳の墳丘の前方部は南を向いている。他の古墳はいろいろなので、向きに決まりは無かったようである。
  • 大仙陵古墳には造出しが付いている。これは納棺後の祭祀を行った場所と考えられる。
  • 前方後円墳は、墳丘の斜面は葺石で覆われていて、墳頂部には円筒埴輪が並べられていたと考えられている。大仙陵古墳もそうだったという江戸時代の記録がある。
  • 大仙陵古墳の前方部にも後円部にも石室があり、石棺が納められていたという記録がある。後円部は盗掘の被害に遭っている。
  • 前方部の石室からは、甲冑、鉄刀、ガラス杯などの副葬品が見つかっている。
  • 大古墳の周りには、近親者や従者を葬ったと思われる陪塚が造られる。大仙陵古墳の場合、12~15基あるとされている。

木がボウボウと生えている古墳しか見たことが無かったので、小さな人口の丘くらいにしか思っていなかったのですが、精緻な土木技術で作られていたようです。周濠や葺石は、城の堀や石垣にも似ています。1500年以上も前の古墳時代が、すごく近く感じるようになりました。

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