正岡子規と言えば、近代俳句の祖とも言われる俳人として有名ですよね。
パッとすぐには思いつかなくても、彼が詠んだ俳句や短歌を耳にしたことがない方はいないのではないでしょうか。
正岡子規の作品は一見、「え、景色を言葉にしただけ?」と感じるほど簡潔。
ですが、そこに込められた深い思いを感じ取るのが、十七文字、三十一文字で表現される、俳句・短歌の面白さ。
残念ながら、私はその面白さを知らずに、生きてきてしまいました。日本人として、もったいない! 勉強し直すべし!
正岡子規の有名な作品を俳句・短歌それぞれ五作品ずつを選んで、その中に込められた子規の思いを探っていきます!
正岡子規の有名な俳句 季節ごとに4選+1選
1句目 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
これはもう、問答無用の有名な句ですね!
柿が大好物だったという正岡子規を代表するような一句です。
子規は日清戦争に記者として従軍していたのですが、故郷の松山に戻る途中、肺結核で血を吐き、入院するほどまでに体調が悪くなっていたそうです。
自宅に戻れるくらいに回復するまで、その当時、松山で教員をしていた夏目漱石の下宿に居候したのだとか。夏目漱石が俳句を詠みはじめたキッカケが正岡子規との交流だったということです。明治の文学者は意外なところで繋がっていますね。
「柿くへば」の句の意味ですが、読んだそのまま「柿を食べていたら法隆寺の鐘が鳴ったよ」ということなんですが、そこには秘められた感情がある。きっとあるはず!
実は、私、この句を読んで脳内で思い描いていたイメージがあります。
ちゃぶ台の上に籠いっぱいに積まれた柿の実。半分開いた障子から差し込む夕日。そこへ遠くから法隆寺の鐘が、ゴ~ン……。秋の風情を感じます。
と、そんなイメージですが、実は全然違ったようです。
この句は、奈良に旅行した子規が、法隆寺参拝の折に茶屋で柿を食べていた。その時、ちょうど鐘がなった。そういう景色なのだそうです。
ですが、子規は病気でとても法隆寺参詣など出来なかったという説と、その日は雨だったので参拝は出来なかったという説があり、どちらにしても、実際にあったことではないらしいのです。
想像の中で鳴った法隆寺の鐘の音。大好きな柿から、実際には聞くことの出来ない鐘の音へと視点が移るというのは、なんだか幻を追いかけるように、もの悲しく感じられますね。
2句目 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
この句は、子規が病気で起きられない状態で詠んだ句だそうです。
「自分がいる部屋からは雪が降っている様子は見えない。だから、外を自由に見に行ける人に何度も雪の深さがどれくらいかを尋ねてしまったんだよなあ」
意味としてはそのようなことで、雪が降ったことを子供のように喜んでいる、同時に病気の自分の現実を見つめている。
楽しさと悲しさが同居しているような句のように感じますね。
ちなみに、小説家の高浜虚子が、子規が寝ている部屋に、当時とても高価だったガラス障子をつけてくれたそうです。
その後からは、自分の目で庭を見ることが出来るようになったんですって。雪の詠み方も変わったのではないでしょうか。別の雪の句も、またの機会に読んでみたいです。
3句目 春や昔 十五万石の 城下かな
この句は正岡子規の故郷、松山のことを詠んだもの。松山には子規の筆跡を写した句碑が建っているそうです。
江戸時代、松山藩の始祖である松平定行が徳川家康の甥であることを、松山の人たちは、とても誇りにしていたそうです。
そんな歴史のある松山も、今は昔。しかし、寂しげでも、愛しい故郷であるという感情が見えてくる気がします。
実は、子規がこの句を詠んだのは日清戦争へ従軍する直前のこと。故郷・松山の姿をしっかりと目に焼き付けていたのでしょう。
4句目 夏嵐 机上の白紙 飛び尽くす
夏に吹く強い風が、机の上の紙を吹き散らした。部屋の中に舞う紙の白さが、夏の暑さの中に涼し気に見える、そんな句ですね。
この句は明治29年、子規がカリエスという結核菌が原因の骨の病気の手術を受けた年に詠まれたものだそうです。
白紙には何が書かれる予定なのでしょうか。
俳句? 短歌? それとも新聞に寄稿する随筆ということもあるかもしれませんね。
とにかく、病気に負けずにこれからも書いていくんだなということが読み取れる前向きな一句だと思います。
5句目 をとゝひの へちまの水も 取らざりき
絶筆三句といわれる、死の間際に詠まれた三つの句のうちの一つです。
へちま水というのは、へちまの茎を切って、そこから出る水分を痰切り薬として使うというもの。子規も使っていたのですね。
でも、それをおとといから取っていない。もう痰切りを飲んでいる場合ではないほど病状が悪化したのでしょう。
それを客観的にとらえていて、逆に悲しさが増していますよね。
この句を最期に、子規は亡くなったのでした。
正岡子規の短歌5選
次は、短歌を五首、紹介します。
1首目 くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる
紅色に咲く薔薇の新芽が二尺(約60センチ)も伸びて、そのやわらかい針に春の雨がやわらかに降っている。
いかにも優しくて暖かい感じがしませんか? 春の歌っていいですよね。
薔薇のトゲを「針』というのも面白いですね。どちらも刺さるし、痛いもの。
そして、雨も「針のような雨」と表現されることもありますよね。その辺も掛詞になっているのかもしれませんね。
見たものを見たままに詠んで、短歌を読んだ人も、まるでその光景を見たような気持ちになれる。
子規はそういう短歌を目指して、それを「写生」と呼んだそうですよ。
2首目 松の葉の 葉毎に結ぶ白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く
これも写生歌ですね。
松の葉に露がついていて、それがしずくになってこぼれては、また丸く溜まっていく。
「白露」は、普通はすぐに消えてしまう儚いものの例えに使われますが、子規はその儚いものも消えては生まれるのだと自然の姿を詠みとっているんですね。
葉毎にそんな白露がついている松は遠くからだと、光り輝くように見える気がしませんか?
3首目 人も来ず 春行く庭の水の上に こぼれてたまる 山吹の花
だれも訪ねてこないような、春の終わりの庭の水たまりでしょうか、手水鉢でもあるのでしょうか。その水の上に散り落ちた山吹の花。
山吹は鮮やかな黄色ですが、その色が、寂しい庭を慰めてくれているみたいですね。
色々な見方ができる風景描写ですね。
4首目 瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり
子規が病気で寝ているので家族が瓶に藤の花を活けてくれたのでしょうね。
その花の房がふっさりと垂れているのですが、たたみにつくことはないほどの長さだと発見したのは、寝ているために低かった目線のおかげなのでしょう。
病気だから気付くこともある。
そんな驚きも含まれているように感じます。
5首目 足たたば 北インヂヤのヒマラヤの エヴェレストなる 雪くはましを
足さえ立てば北インドのヒマラヤ山脈のエヴェレストにある雪を食べたいものだが。
やはり病気を苦にする和歌も詠んでいます。
「足たたば」から始まる和歌はたくさんあります。子規がカリエスという病気で歩けなくなったのは、まだ三十歳のこと。行きたいところも、やりたいことも、たくさんあったでしょうね。
でも、そこで「雪を食べてみたい」というのが、食いしん坊だったという子規らしくてほほえましい気持ちにもなっちゃいます。
病気を苦にして暗―く、暗―くなるなかでもユーモラスな一面を見せる子規が詠んだ俳句や短歌だからこそ、今でも親しまれるのかもしれませんね。
まとめ
以上、俳句を五句、短歌を五首、ご紹介しました。
季節のこと、病気のこと、人との交わり、いろんな様子が詠いあげられていて、子規の人柄が見えるような気がします。
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【俳句】
- 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
- いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
- 春や昔 十五万石の 城下かな
- 夏嵐 机上の白紙 飛び尽くす
- をとゝひの へちまの水も 取らざりき
【短歌】
- くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる
- 松の葉の 葉毎に結ぶ白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く
- 人も来ず 春行く庭の水の上に こぼれてたまる 山吹の花
- 瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり
- 足たたば 北インヂヤのヒマラヤの エヴェレストなる 雪くはましを
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どの俳句も短歌も風景が見えるような、イメージが広がる作品ばかりでしたね。
病気と闘いながら文学を追求し続けた正岡子規の思いが少しだけですが、分かった気がします。
これからは、恐れることなく俳句を読んでみるのも、また、いつかは自分で俳句を詠んでみるのも、いいかもしれませんね。