明治時代

明治時代、どんな暮らしをしていたのだろうか?

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[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]明治時代の人ってどんな暮らしをしていたのだろう?[/voice]

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]今とは全然違うのは当然だけど、なかなかイメージが湧かないよね[/voice]

明治時代、今からおおよそ150年位昔、明治維新で文明開化された日本。

この間までちょん髷で着物。そんなスタイルから、いきなり洋装でちょん髷切ってね!と言われた日本。そんな時代をここでは調べていきたいと思います!

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そもそも明治時代とは

1868年1月25日~1912年7月30日までの約45年のことを言います。2番目に長い時代です。この時代は、長い分すごく変化も大きかったです。

まずはちょん髷が散切り頭に変化したこと。有名な「散切り頭を叩いて見れば文明開化の音がする」もここからでした。

着物が洋装に、食事が魚から肉に変化、日本で初めて鉄道もでき、ビールも飲むようになりました。

それは劇的変化です。明日から消費税導入!!くらいの衝撃です。

税率が変わったのでもすごく混乱しましたが、それ以上の混乱があったと、簡単に想像できます。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]明治時代を堺に近代化していきます[/voice]

 

 

明治時代の庶民の暮らし

海外から見ると日本庶民は豊かではありませんでした。

当時の様子を、海外から来た人が残した感想があります。それによると・・・

貧乏すぎず、ただ生活するだけで精いっぱいで、服に目を向ける余裕がなくて、でも人々は楽しく暮らして、食べたいだけ食べ、着るものにも困っていることはなく、家は清潔で日当たりもよく、気持ちもいい。

そこから見えるのは、日本の庶民は思ったほど、貧困には喘いではいなかったようです。

明治時代からの登場したものと言えば、ちゃぶ台です!

それまで食事は、一人ひとり膳に出してました。ですが少しづつ西洋化が広がり、ちゃぶ台は西洋でゆうところの、ダイニングテーブルが日本の座式に合わせて作り直されました。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]ちゃぶ台が登場するまでは、家族であっても一緒に、食卓を囲むなんてことはなかったそうですよ[/voice]

 

 

明治時代の服装         

散切り頭になって、制服や礼服として洋装が徐々に、上流階級に浸透してくると少しづつ、女性も洋装で、パーティーを開くようになります。ですが、洋装は高く、しかも手に入りにくかったとのこと。

当時のファッションリーダーは女学生。和洋折衷な服装を、大胆かつ利便性のあるものに展開させていきます。特に、着物に袴、ブーツなんてのはこの典型で、女学生の間では明治4年頃にはもう流行してました。           

女学校では机と椅子という、欧米化スタイルで、授業を行っていたとされており、その場合着物の裾が乱れるという、心配があったのですが、袴であれば裾を気にする心配もなく、動きやすかったからでしょう。

自分の経験の上で言わせていただくと、袴の場合、結構本気のダッシュも大丈夫でした。なぜダッシュしたかは、ノーコメントとさせてください(笑)

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]今も大学や専門学校の卒業式では女性が袴にブーツの格好をするけど、明治時代からあった服装なんだね。[/voice]

 

 

女性の髪型は?                      

1871年(明治4年)男性の断髪が許可されたものの、これを受けて断髪をする女性が沢山出たため、「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」とする禁止令を発布したそうです。

ちょっぴりモヤモヤしてしまいますが、この禁止令によって日本髪の時代はしばらく続いたといいます。

それから十年。やっと女性は髪型を自由にする権利を得ました。1883年(明治16年)に鹿鳴館ができたことで女性も洋装が認められるようになりました。そして、その2年後の1885年(明治18年)には、より簡単にできる洋風の髪形を推奨する「婦人束髪会(ふじんそくはつかい)」が結成。

「従来の日本髪はまめに洗髪をすることもなく不潔であり、キツく縛ったりするので健康上有害。結髪代もばかにならないから不経済であるし、髪を直すのにも時間がかかる」

…という理由から、洋風の髪形へ移行しようという動きになりました。確かに従来の日本髪はひどく面倒くさいです。

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食べ物は?

明治維新で一番に変わったものが牛。それまでは日本人はあまり肉を食べませんでした。

もちろん牛乳もですが、明治4年に、明治天皇が牛乳を、毎日2回ずつ飲んでいることが、新聞に載ると国民の間にも、牛乳を飲むということが広まりました。

東京では、大名・旗本の屋敷跡で牛を飼い、牛乳を販売するということが、収入を失った武士たちの、新しい仕事となったようです。公爵や子爵が牛乳屋さんを経営し、配達員が大きな缶で、一軒一軒、計り売りをするというのがこの頃の、スタイルでした。

牛鍋も流行りました。この牛鍋ですが、牛肉をブツ切りにしネギを添えて煮込むスタイルでした。なぜブツ切りにされたかというと、単純に面倒だったということらしいです。ですがこのブツ切り肉は、食べるお客さんには豪華に見えて好評だったと言われています。確かに食べ放題のお肉が山盛りになったらテンション、あがりますよね。

明治後期の32年には銀座の「煉瓦亭」が「豚肉のカツレツ」をメニューに載せてお披露目しました。イギリスでは、薄切り肉に衣をつけて揚げる料理を「カツレツ」と呼んだそうなので、その辺からヒントを得たのかもしれませんね。これがヒットし大正に入ってとんかつを看板メニューとする店が増えたそうです。

 

 

住宅は?

庶民の住宅は、明治に入ってもやはり日本家屋。洋風の生活様式は日本人にはなじみにくく、洋風化には多額の費用がかかりました。住宅の設備は今から考えると不便な要素が多いです。

例えば台所は、家の北側、土間の一番奥にあったし、お風呂はなく、基本的に銭湯通い。明治の銭湯は板敷きの洗い場に、木製の浴槽というスタイルでした。

母親の実家は、俗にいう江戸時代からの豪農で、私が小さい時分はまだ、木造の家でした。土間が広く、馬小屋も土間につながってありました。

ちなみにこの家のお風呂場は最悪です。外にあり五右衛門風呂ですごく怖かった記憶があります。しかも何よりの恐怖は、トイレ、いえ厠!!!土間を通って隅のすごく寒いところにあり、大叔母はおびえる私を見て「昔は最新設備だったのよ」とよくこぼしていたのを思い出します。

明治時代の生活をすごく便利にしたのは、明かりでした。石油式ランプやガス灯が導入されます。

これは江戸時代の行燈(あんどん)やろうそくに比べ、格段に明るかったです。またこの頃、主婦を格段に楽にしたアイテムがありました・・・それがマッチです。

それまでは火打石を使って火を起こしていました。が、マッチはこの労力を、大幅に軽減してくれました。火打石で火をつけるって、テンションがダダ下がりしそうです。私は不器用なので、絶対に恐ろしい回数を、こなさないとつけられない気がします。政府もマッチの製造業を推進。後押しをしました。

明治時代は衣食住を見ても、和洋折衷の色合いが濃く、鉄道や、郵便などの大掛かりなインフラの部分では、大いに成果を発揮しましたが、文化や習慣については今までと、変えるのは難しいので、日本風にアレンジしたものが徐々に浸透していきました。

 

 

まとめ   

[aside]

  • 文明開化の日本はすぐには西洋化、出来なかった。
  • 出来る範囲で和洋折衷にしていった。
  • いろんな食べ物が生まれた
  • 髪型もおしゃれになった
  • 日本独自のファッションがうまれた

[/aside]

明治時代についてつらつらと書きつられてきましたが、私が想像していたよりも、ずっと自由で、かわいくて、おいしい印象をダイレクトに受けました。

また、女学生はいつの世でもファッションリーダーであったコトにはすごくびっくりさせられ、かわいい着物に袴、ブーツの文化にはとてもうれしく思いました。かわいいは正義ですものね。

皆さんの知識に少しでも貢献できたならすごく、うれしいです。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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