鎌倉時代

源頼朝の死因は暗殺?落馬や糖尿病 という説も…?

更新日:

源頼朝と源義経、おそらく日本史上最も有名な兄弟ではないでしょうか?

「判官贔屓」という言葉があるように、日本人は昔からミステリアスな悲劇のヒーロー・源義経が大好きです。

しかし、ミステリアスさは兄・頼朝も引けを取りません!

源頼朝は、何と暗殺されたのかもしれないのです…!

スポンサーリンク

 

源頼朝の死因は何?

源頼朝は1199年1月、53歳で亡くなります。

死因として最も有力視されているのは、「落馬説」です。

1198年の年末、相模川の橋供養からの帰りに落馬し、それが原因で死に至ったという説です。

しかし、その落馬説も様々です。

まず落馬する前から「脳」に関する病気があったのではないかという説。

明治時代の医学史家・富士川游は、頼朝が落馬した原因は脳卒中を起こし、意識を失い、手足が麻痺して落馬したと残しています。脳の病気と言っても一つではありません。

  • 血流が滞る脳伷塞
  • 血管が詰まる脳血栓
  • 血栓が血管を塞ぐ脳塞栓症
  • 一時的に脳の血管が詰まる一過性脳虚血発作
  • 血管が破れる脳出血
  • 血管にできた動脈瘤が破れるくも膜下出血…

真偽はわかっていませんが、どの病気も前兆に気がつかなければ突然襲ってくる病です。

また落馬した際に打ち所が悪く、頭部を損傷したのではないかという説。この場合は頭を強く打ちつけたことによる、脳内出血が考えられます。

そして、落馬により川に落ち溺れた溺死説。

 

実は脳卒中が原因で亡くなった人物はかなり多い

源頼朝を始め、歴史上脳卒中が原因で亡くなったのではないか、とされる人物は数多くいます。

上杉謙信、平清盛、徳川吉宗、山内一豊、海外ではレーニン、スターリンが脳卒中で亡くなったと言われています。

特に上杉謙信は厠(トイレ)で突然意識を失い、遺言書を書く際に手が震えて書くことができなかったと言われているため、間違いなく脳に異常がありました。

→ 上杉謙信の死因は?年表で謙信の歴史を振り返る!

源頼朝も実はどちらかの手足に麻痺があったと言われているため、すでに脳出血を一度起こしており、その為落馬したとも考えられます。

脳の病気は塩分の多い食事や、高血圧により引き起こされます。

武将は特に攻撃的な性格の人が多く、またいつ命が狙われるかわからない為、四六時中緊張しっぱなし、夜もぐっすり眠ることができず、高血圧になりやすかったと言われています。

 

糖尿病説

頼朝の死因は「糖尿病」という説も根強いです。

関白・近衛実家は自身の日記に「前右大将頼朝卿、飲水に依り重病に」と残しています。

この「飲水」というのは「糖尿病」のことです。(糖尿病患者は喉が渇いて、水をたくさ
ん飲む為)

糖尿病の歴史は古く、紀元前15世紀のエジプトのパピルスにもその記述があります。

日本史上記録に残る最初の糖尿病患者は藤原道長と言われています。「この世をば~」と栄華を極めた道長ですから、おそらく飽食を尽くしていたと容易に想像ができますね。と、いうか間違いなくそうでしょう。贅沢に飽食を尽くしていたに違いアリません。

平安時代の貴族の中では、この「飲水」で亡くなる人が多かったそうです。

しかし平安時代の貴族と違い、12世紀の武士の時代を生きた頼朝。肉体を鍛錬し、仕事に当たる為、食事は質素でした。(玄米、イワシ、味噌汁、梅干しなど)

ただ頼朝が好んで食べたといわれるものに気になるものがあります。

「鮭の燻製」です。今で言えば「鮭とば」のようなものでしょうか。「鮭とば」は栄養価が高く、低カロリーですが、食べ過ぎは何でも毒です。そして非常に塩分が高いです。

塩分の過剰摂取は、脂肪を燃焼しづらくします。 お酒を飲む人ならわかるかと思いますが、塩分が高いものを食べると食欲が増進され、つい他のものまで食べ過ぎてしまいます。そして当然喉が渇き、お酒を飲み過ぎてしまうのです・・・、

源平の乱世を駆け抜けた頼朝も、1192年に征夷大将軍という官職を賜ってからは、我が世の春を謳歌し、好きなものを好きなだけ食べるようになってしまったのでしょうか…?

糖尿病で亡くなった説、なかなか有力かもしれません。

スポンサーリンク

 

源頼朝は暗殺されたのか?

もしも頼朝が暗殺されたのだとしたら、その首謀者は誰なのでしょう?

最も有力な説が、何と妻・政子と実家の北条家と言われています。

1185年、頼朝は朝廷工作に着手し、親幕派の九条兼実を関白にします。1190年、上洛した際には娘の大姫を入内させようと、朝廷内の力を持つ人達に接近。しかし土御門通親を中心とする反幕派がクーデターを起こし、親幕派は失脚、一掃されます。

その後、頼朝をめぐる人々が次々と急死していきます。

長女と次女を始め、親幕派の一条能保、源平の戦いから共にしてきた畠山重保、梶原景時、稲毛重成など重鎮が相次いで亡くなりました。

特に頼朝の長女・大姫は、土御門通親が病気回復を願い、験者を鎌倉へ派遣した直後に急死します。

1198年に頼朝が亡くなると、頼朝を謀殺したのは通親かと囁かれますが、彼も頼朝が亡くなった3年後に亡くなります。

その後あれよあれよと頼朝の一族は闇に葬られ…最終的に鎌倉幕府の実権は誰に移ったでしょうか?

頼朝の妻・政子の一族、北条氏です。朝廷工作に失敗した頼朝の政治能力を見限って、北条時政と政子が頼朝の死を画策したのか、とも言われています。

 

 

源頼朝の死因、結局どれが本当なんだろう?

頼朝の死因がはっきりせず、色々な説が出てくるのは源氏一族の正史「吾妻鏡」に、頼朝の死の前後3年間の記録が残っていないことが一因です。

鎌倉幕府が編纂した正史の中に、初代将軍の死に関わる記録が無くなっている(または元々書かれていない)ことはあまりにも不自然。

そして「吾妻鏡」に頼朝の死が「落馬」と記されたのは、頼朝の死後13年が経った頃でした。

そもそも、武家の棟梁の死因が「落馬」って、なかなか不名誉な死因ではないでしょうか?不名誉な死であったから、正史に記されなかったのであれば理解できますが、それならば何故死後13年経ってから「落馬」と記録されたのでしょう?

そして落馬、糖尿病、暗殺説の他にも、まだ(!)死因説があるのです。

[aside] 

  • 南北朝時代の歴史書「保歴間記」に記された、頼朝に殺された義経、源行家、安徳天皇の祟りで亡くなった「亡霊説」。
  • 「常山紀談」「見聞私記」に記された、北条政子が頼朝の浮気に怒って殺害した説。
  • 橋供養から帰る頼朝を、兵士の残党が女装して待ち伏せし、斬りつけられた説。
  • 頼朝が愛人のところへ偲んで行って、曲者と間違えられて斬りつけられた説…

[/aside]

これだけ色々な死因説があると、一応1189年衣川の戦いで「自害」したと決着がつけられている源義経よりも、よっぽど謎に満ちているかもしれません…(義経は「死んでない説」ですが...)

 

 

まとめ

ここまで源頼朝の死因は何かと考察してきました。

  • 落馬説...脳の病気を発症して落馬。また落馬により打ち所が悪く死亡
  • 糖尿病説...「飲水」という記録が残っている。塩辛い食べ物が好きだった?
  • 暗殺説...朝廷工作に失敗した頼朝を不要とし、北条家が暗殺

どの説も可能性がゼロではないだけに、断定する事が非常に難しいです。

ですが、食べ物が原因で糖尿病か、あるいは高血圧となり脳の病気が発生しやすくなっており、馬上で発症し落馬した説が有力そうですね。

急速に発展し続けるテクノロジーによって、今まで謎に包まれていた歴史上のあらゆる出来事の解明が進んでおります。

源頼朝は何故亡くなったのか、その謎が解明される時もそう遠くはないかもしれません。

-鎌倉時代
-, , ,

Copyright© 【歴ペディア】歴史の人物、城、戦、ミステリーを分かりやすく! , 2019 All Rights Reserved.