私はアニメの「銀魂」が好きで、毎週ジャンプで欠かさず見ているのですが、銀魂によく妖刀が出てきます。
妖刀村正や紅桜。漫画やアニメなどで一度は耳にしたことがある名前かもしれません。漫画やアニメの世界でも伝説として扱われています。
そんな伝説とも言われている妖刀は現実世界で本当に存在したのでしょうか。
日本刀とは
数々の漫画やアニメ、小説などで登場する日本刀。日本刀というワードはよく耳にしても、なかなか日本刀を理解している方はいらっしゃないのではないかと思います。
まず、妖刀の話に行く前に、「そもそも日本刀って?」という疑問にお答えしたいと思います。
日本刀とは、反りがあり、刀身の片側に刃がある刀のことを指します。これは、日本固有の鍛冶製法によって作られています。平安時代の末期に初めて日本刀が現れたと言われています。
日本刀と呼ばれるようになったのは幕末以降であり、それまでは、「打刀(うちがたな)」や「太刀」と呼ばれていました。
外国の刀を映画などで目にする機会があると思いますが、外国の刀は両方が刃です。ここが日本刀との最大の違いです。
なぜ日本刀は今のような形状になったのでしょうか。それは、日本の刀職人たちの血と汗の結晶です。日本刀はこの世の中で一番切れます。
妖刀「村正」「紅桜」とは?
日本刀の中には、名刀と呼ばれるものと妖刀と呼ばれるものがあります。
妖刀村正は実在する刀です。
紅桜は、アニメ『銀魂』に登場する刀ですが、こちらは残念ながら実在はしません。
紅桜は、村正がモデルになってると言われています。
村正はなぜ妖刀となったのか?
なぜ村正は妖刀となったのでしょうか。
その理由は、徳川家に血の歴史をもたらしたからです。
徳川家康の祖父である松平清康や、妻である築山御前らが殺害されたときの刀が村正でした。父である広忠も村正によって負傷しています。
それだけではありません。
家康が関ヶ原の戦いで怪我をした槍も村正であり、大阪夏の陣において真田幸村が家康に投げつけた短刀も村正だったのです。
こうして、徳川は村正を持つことを禁じました。それが、いつの間にか村正が妖刀と呼ばれるようになった所以です。
刀工「村正」とは
村正とは、鎌倉時代から江戸時代に活躍した伊勢の刀工です。
伊勢とは現在の岐阜県です。岐阜は現在でも刀鍛冶で有名なところです。
村正は3代にわたって栄えました。そのうちもっとも名高いのが初代の千子村正です。
千子村正はもともと美濃関鍛冶の赤坂左兵衛兼村の子供として生まれました。
師匠は山城の名工である平安城長です。
作風から推察すると、他国の刀工と同様に、美濃伝の刀工作もあり、板倉席の正吉、正利、正善などとも交流があったと見られています。
村正の銘は代々受け継がれましたが、徳川から嫌われたという理由もあり、4代目からは千子村正と改名しました。
村正を使った人物
村正を使った人物で有名なのが、真田幸村です。
イケメンだったと言われていることから、漫画やゲームなので大人気の武将ですね。
ここで、真田幸村について少し触れておこうと思います。
真田幸村は甲府に生を受けました。真田幸村の本当の名前は真田信繁です。真田幸村と記載された歴史書物はありません。幸村という名前は、江戸時代に書かれていた書物の通称であり、現代ではそちらの方が有名になっています。
また、村正は倒幕の象徴とされていました。
倒幕の象徴として村正は人気を誇ったというのもあり、明治維新で大活躍した西郷隆盛も村正を使用したと言われています。
村正はアパレル界のユニクロ
村正を作った村正派は、「数打ち」をする方向で刀を作っていたようです。「数打ち」とは大量生産のことです。大量生産といえども、現代の工業化とは違うので、機械で大量生産というわけではありません。
あくまで、手作りで大量生産なのです。大量生産ではあるが、質がよいのが村正の特徴です。まるで、現代のユニクロのようです。
そのため、村正は、名刀政宗などの一級品が放つ美術的な美しさはありません。その代わり、コストパフォーマンスには非常に優れていたようです。安くてよく切れるのが評判であったため、戦となると武士はこぞって村正を買い求めました。
戦が多い上に、戦となると鎧と一緒に切らなければいけないため、刀はすぐに刃こぼれしてしまいます。大量生産だったのに現代にそんなに数が残っていないということは、村正は本当に実用的に使われていたのかもしれません。それだけ、多くの血を吸っていたのでしょう。
逆に名刀と呼ばれる刀は・・・
名刀と呼ばれるものはもちろん一級品のため、切れ味は抜群で、見た目の美しさも抜群なのだと思います。名刀と呼ばれるだけあり、それだけ高級品だったのでしょう。高級品だけあって、実戦ではあまり使われなかったのかもしれません。
だからこそ、綺麗なままで形を残し現代に語り継がれているのかもしれません。名刀はアートです。
そういった意味でも、村正が妖刀と呼ばれる所以も分かるような気がします。日本刀の本来の目的は「敵を切る」ことだと思います。それ以上でもそれ以下でもないでしょう。この目的にひたすらまっすぐまっすぐ突き進んでいたので、村正だったのかもしれません。
どんな技術を用いても、素材を用いても、刀は切れば切るほど刃こぼれし錆びてきます。人の血とはそれだけ鉄分を含んでいるからです。そして鎧はとても強固なものです。
そんな中、実戦で名刀が使えるかというと、刃こぼれはするし、錆びると分かっている中で、名刀が使えるはずもありません。
つまり、名刀は刀本来の目的を果たしていなかったことになります。だからこそ、名刀は名刀になったのかもしれません。名刀を名刀と決め、名刀の価値をもたせたのは私たち現代人かもしれません。
本来、名刀と呼ばれるべきなのは、日本刀本来の目的を果たした刀に与えられる称号ではないでしょうか。つまり、言葉は悪いかもしれませんが、数々の的を切ってきた村正こそ名刀なのかもしれません。
この1本が名刀なのではなく、村正が作った刀たちこそが名刀なのです。
現在の村正
現在、国宝や重要文化財に指定されている村正は一振りもありません。
現代の価値観では、村正を国宝や重要文化財にするわけにはいかないでしょう。戦争に反対している日本に、人をたくさん切ってきた刀が国の宝を置くわけにはいかないでしょう。
人をたくさん斬った刀は妖刀と呼び、避けておく方が現在の日本にはとても都合が良いのかもしれません。
まとめ
妖刀と聞くと、どうしても悪いイメージがついてしまいます。
村正の妖刀伝説は、あくまで徳川家康に関係する人がたまたま村正に斬られただけです。
村正はただただ、刀本来の役目を果たしていたのに過ぎません。大量に生産されていたので、徳川を切ってしまう可能性が他の刀より高かっただけかもしれませんね。
それだけ、すばらしい刀だったのでしょう。多くの武士に愛され、戦国時代を生き抜いてきた村正こそ、日本刀の中の日本刀かもしれません。