室町時代

室町幕府の将軍一覧!

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室町時代は不思議な時代です。

室町以前の南北朝時代、室町以降の戦国時代との間があいまいで、はっきりと「ここからここまでが室町時代です!」というくくりがわかりにくいのです。

しかも、室町幕府があったのに、権力をもっていたのは地方の大名だったり、天皇が二人いたり、わからない。

それが私の正直な「室町観」です。

幕府の将軍ごとに見て行けばいいのではないか?

という結論に達しました。これで室町時代を解きほぐせるか、見てみましょう!

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室町幕府の将軍は何人いた?

はじめに、室町幕府は何代続いたのかというと、15代でした。

2度将軍職についた人と将軍不在の時期があったために再任した人が二人いるので、それもいれると⒙代となりますが、一般的には15代と数えているようです。

では、初代から15代まで将軍をずらりと並べてみます!

 

 

室町幕府将軍一覧!

1代 足利尊氏(たかうじ)

延元元年(1336年)室町幕府を開いた人物。

鎌倉幕府の幕臣だったのですが後醍醐天皇側について鎌倉幕府に反旗を翻しました。

鎌倉北条家を見限った理由はいくつか語られています。

  • 尊氏は上杉氏の母を持ち鎌倉幕府との血縁が薄かった。
  • 父の喪中に出兵を先延べにしてほしいと申し出たが聞き入れられなかった。
  • 病中に出兵させられる。
  • 出兵の際に妻子を人質に取られる。

足利尊氏に対する鎌倉幕府の仕打ちは、ちょっとひどいです。

これは鎌倉幕府を倒そうと思っても仕方ないのでは?

倒幕の時には後醍醐天皇に味方していましたが、後醍醐天皇は尊氏を退けた政治を行いました。

尊氏は後醍醐天皇と敵対し光明天皇を立位させました。

このために天皇が二人いるという異常事態、南北朝時代が始まりました。

 

2代 足利義詮(よしあきら)

足利尊氏の子です。

尊氏が病気をおして挙兵した時に鎌倉で母と共に人質に取られていましたが、尊氏の指示で逃げ延びました。

尊氏の死後、征夷大将軍になりました。

室町幕府はいまだ安定せず、敵味方ないまぜになった国内をととのえるために尽力しましたが、38歳で病のために亡くなりました。

 

3代 足利義光(よしみつ)

義詮の子。幕府の勢力を拡大し、権勢を獲得して幕府体制を確立した人物です。

京都北小路室町に邸宅を移し、足利義満は「室町殿」と呼ばれるようになりました。

この呼び名が足利氏全般の呼称となって、足利政権のことを室町幕府と呼ぶようになったのです。

室町の邸宅は『花の御所』とも呼ばれます。

義満は金閣寺(鹿苑寺)を建立した人でもあり、二つに分かれていた朝廷を1つにまとめて南北朝時代を終わらせました。

 

4代 足利義持(よしもち)

義満の次男。

義持が将軍職を継いだのは9歳の時。実権は父の義満が握ったままでした。

将軍職も名ばかり家督も義満が握ったままという状態で、父・義満が病気で急逝しました。

義持には義嗣という異母弟がいたのですが、この義嗣を父親の義満が偏愛していたそうです。

将軍は義持、家督は義嗣が継ぐものではないかと言われましたが、父親が遺言も残せないまま亡くなったので、話は宙ぶらりんになりましたが有力大名の斯波義将によって義持が家督も次ぐことになりました。

在位は28年間と室町幕府でもっとも長い将軍です。

 

5代 足利義量(よしかず)

4代・義持の息子。

病弱で大酒飲みだったそうで、健康とは縁遠い将軍でした。

16歳で将軍に任命されたのですが、父親の義持はまだ38歳。政治の実権は義持が握ったままでした。

17歳で病死しました。

 

代行 足利義持(よしもち)

4代将軍だった義持には義量以外の子どもはおらず実質的に将軍の仕事を行っていた義持が再任しました。

義量は名目だけの将軍だったため、混乱はないまま義持が返り咲きました。

自分に息子が出来ることを期待したでしょうが、とうとう息子は得られないままでした。

 

6代 足利義教(よしのり)

足利義教は3代・義満の息子で、4代・義持の弟。

10歳の時に出家して将軍後継者からは外れていましたが義持が病気になり、それでも後継者を指名しなかったため、義持の弟たちの中からくじ引きで選ばれたのが義教でした。

そのため「くじ引き将軍」と呼ばれました。

義持の時代に傾いた室町幕府の権力を盛り返して、3代義満の時代ほどまで持って行きました。また、東国も平定しています。

「悪御所」と呼ばれ恐れられるほど怒りっぽくて、ちょっとしたことでも部下を罰する人だったそうです。

 

7代 足利義勝(よしかつ)

6代・足利義教の息子です。

義教が暗殺されたため、突然将軍に任命されました。

任命されたのが9歳、亡くなったのが10歳。死因は赤痢だったのではないかということです。

 

8代 足利義政(よしまさ)

この人も6代・義教の息子です。7代目だった義勝の弟にあたります。

兄の義勝が幼くして亡くなったため8歳で将軍職に担ぎ出されます。

ですが、7代も8代も幼い将軍だったために、朝廷や守護大名が幕政に乗り出してきていて、将軍の権威は弱くなっていました。

そんななかで成長し、男子がいなかった義政は弟の義視を次代の将軍に指名しました。

ですがその後に男子が生まれて後継者争いが起きました。

その争いが飛び火して応仁の乱にまで発展。義視は逃げ落ちて後継者は息子の義尚に決まりました。

義政は文化面で優れた人でこの時代の文化はわび・さびを重んじる「東山文化」と言われます。銀閣をたてたのもこの人です。

 

9代 足利義尚(よしひさ)

応仁の乱にまで発展するような跡目争いに巻き込まれた足利義尚は8代・義政の息子です。

元服は済んでいましたが将軍職に就いたのは9歳の時。政務を執ったのは父の義政でした。

それが20年近く続き、父子間の確執が出来上がりました。

義政が退いてからは衰退した幕府権力を回復しようと努めたのですが、病気のため23歳の若さで亡くなりました。

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代行 足利義政(よしまさ)

義尚に男子が生まれなかったため、後継は義視の息子である義材に決まりました。

一旦、8代・義政の養子にしてから義材は将軍職に就いたため、将軍不在の間義将が政務を行いました。

 

10代 足利義材(よしき)後に改名して義尹・義植

義政の養子になったのち、義政が亡くなると各地の敵対する守護大名を平定します。

ところが、京都を留守にしている間に細川政元がクーデターを起こします。

明応の政変と言われる内紛で義材は捕らえられて幽閉。

流罪になるところを側近たちに救い出され越中国の放生津に逃れます。

 

11代 足利義澄(よしずみ)

細川政元のクーデターで10代・義材が追放された後に将軍職に。

8代・義政の甥にあたります。

将軍職に就いたのは14歳の時。実権を細川政元や母の日野富子に握られていました。

ですが義澄は成長するにしたがい政務を執ろうとし細川政元と対立します。

細川政元が暗殺されて細川家の跡目争いが起きたところに10代将軍・義材(この時は義尹と名乗っていました)が攻め込んできて、義澄は逃げ落ち、将軍職を解かれました。

 

再度 足利義植(よしたね)

10代将軍から追い落とされていた義材が返り咲いて義植と名乗りました。

義植が将軍職に戻れたのは有力な守護大名達の後ろ盾があったからで、彼らが政治に口を出してきます。

このせいで内紛が様々に起きますが義植に味方する大名は少しずつ減っていきました。

最後には京都から追い出され、天皇の意向で将軍は12代・義晴が継ぐことになりました。

義植は京都に戻ることも出来ず亡くなりました。

 

12代 足利義晴(よしはる)

父は11代・義澄。義澄派の播磨の守護大名に保護され苦労して育ちましたが、義植が京都から出奔したために代打の将軍就任でした。

各地の守護大名とのいざこざが起き戦に明け暮れました。

四国から敵軍がやって来て京を脱出。その時に将軍職を息子の義輝に譲りました。

急な退位は幼い息子の地位が安定するように後押しする意思があったためと言われています。

 

13代 足利義輝(よしてる)

義晴の嫡男、11歳で将軍になりました。

将軍の権威を盛り返そうと各地の大名との連絡もまめに取り、大名同士の抗争の調停も頻繁に行ったそうです。

しかし、将軍を傀儡とした政治を望んだ松永久秀や三好家の三人衆から討ち取られてしまいました。

 

14代 足利義栄(よしひで)

傀儡政治のために利用された将軍。

13代・義輝が討ち死にした後、松永久秀と三好三人衆は敵対して、義栄は三好方につきました。

その後、織田信長が足利義昭を奉じて京都に上ろうとしていると知り、阿波に逃れたのですが以前から患っていた病気のために亡くなりました。

 

15代 足利義昭(よしあき)

12代・義晴が父、13代・義輝が兄です。

義輝が殺害されたため僧籍から外れて逃げています。

織田信長に擁されて京都に戻り将軍の職に就きました。

ですが幕府政治を貫きたい義昭と、武力で天下統一を目指した信長の考えが合わず敵対します。

信長に追われて備後国に逃れて再起をはかっているうちに信長が本能寺の変で討ち死。その後、豊臣秀吉に保護され、将軍職を辞します。

天正16年(1588年)室町幕府は終わりました。

 

 

室町幕府の将軍一覧 まとめ

1代  足利尊氏(たかうじ)

2代  足利義詮(よしあきら)

3代  足利義光(よしみつ)

4代  足利義持(よしもち)

5代  足利義量(よしかず)

代行   足利義持(よしもち)

6代  足利義教(よしのり)

7代  足利義勝(よしかつ)

8代  足利義政(よしまさ)

9代  足利義尚(よしひさ)

代行   足利義政(よしまさ)

10代  足利義材(よしき)

11代  足利義澄(よしずみ)

再度   足利義植(よしたね)

12代  足利義晴(よしはる)

13代  足利義輝(よしてる)

14代  足利義栄(よしひで)

15代  足利義昭(よしあき)

 

室町幕府の将軍たちは戦に明け暮れた感じです。

平和に一生を終えた人は15代の義昭だけではないでしょうか。

各地の大名が下剋上を起こす世の中で政権を握っているのは大変だったのでしょう。

征夷大将軍という役目、嬉しいことばかりじゃないんですね。

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