戦国時代

忍者の服装って実際どんなの?装束の構造とかってどうなってる?

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「アイアム ニンジャ・オブ・ニンジャ!」

忍者コスで華々しくコスプレイヤーデビューしようとしている若者に問いたいことがひとつあるのです。

「あなたは正しい忍者装束を知っていますか!?」

ただなんとなく、黒い布を巻き付けてはいませんか?

草履にするか草鞋にするか、迷っていませんか?

おこそ頭巾のかぶり方はわかりますか?

手持ちの武器は何にしますか?

そんな悩ましい忍者の服装について、もう迷わないようにくわしく調べていきたいと思います!

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忍者らしい服装と言えばコレ!

(戦術、時代背景がよくわかるカラー版戦国武器甲冑事典 ユニバーサル・パブリシング株式会社より)

忍びの服装と聞いて誰もが思い浮かべるのは、真っ黒い着物、真っ黒い袴、黒い手甲に黒い脚絆(きゃはん)。草鞋(わらじ)も黒い紐で、頭には黒い頭巾をかぶる。

そういう姿ではないでしょうか。

ですが、じつは黒装束を忍者は使わないものだったそうなのです。

 

忍者とは戦場で敵軍に潜行したり、情報収集をはじめ、変装や心理学を駆使した密偵術や、様々な道具を使った潜伏術などなど。

昼夜問わず、場所も問わずの活動をするのです。

戦場を駆け抜ける時に黒装束。昼日中の町なかで黒装束。

目立ってしょうがありません。

 

では、黒装束はいつ着ていたのか?

というと、じつは黒装束の忍者コスチュームは近世以降の歌舞伎や、お伽草紙といわれる江戸時代のマンガのような本による創作だということなのです。

 

たしかに、こんなに「忍者・忍者」した格好でいて、もし捕まった時には、なんの言い訳も通用しませんよね。

「通りすがりの農民です!」

「うそつけ!」

ってなります。

 

では、この黒装束がニセモノかというと、そうでもないのです。

装束をセットにしたら怪しさ満載ですが、ひとつひとつは確かに潜伏に向いたものなのです。

ひとつずつ、どう「忍者・忍者」しているのか考察してみましょう。

 

 

黒い着物は不向きだって!?

闇に隠れるには黒い着物。と、思いきや。

じつは、黒は暗闇の中では逆に見えやすいそうなのです。

暗闇の中、ぼんやりと輪郭が浮いて見えるのが黒い服。

現代の軍服やサバイバルゲームの服装にも真っ黒というのは、まずありません。

自然界に真っ黒なものは意外と少ないのです。そのため、自然に溶け込めず目立つのです。

 

ですので、闇に隠れたい時には濃紺や濃茶。忍者ももちろん、そういう色合いを選んでいたと言われています。

濃紺や濃茶ならば、日中に堂々と道を歩けます。そのまま夜まで待って身を潜めれば完璧です。

 

 

黒い袴はオシャレじゃん……

前述のとおり、黒は用いられることはなかったでしょう。

濃紺や濃茶でしょうが、袴は主に身につけていたと思われます。

江戸時代以前には下級武士が使っていた膝丈の袴に、脚絆というすねを覆う布を結んでいたと思われます。

足をむき出しでうろうろすると、草間に隠れた時に傷だらけになってしまいますからね。

 

江戸時代以降はやはり膝丈の、大工や左官が使っていた、たっつけ袴が使われていたのではないかと思われます。

現在でも、お祭りなどで使われている袴+脚絆の組み合わせ、動きやすそうですよね。

 

 

黒い手甲ってカッコイイでしょ!

肘から先、手首までを保護する手甲は、農民によく使われるものです。

今でも、茶摘み娘のコスチュームでは手甲が使われていますよね。

手首から先は「腕さし」という名前のもので、中指に和状の糸をかけて手先まで保護する役割があるものです。

腕全体をカバーする、一体化した防具ではなかったんですね。

江戸時代以降は黒いものもあるようです。が、忍びは使ったかどうか……。謎です。

 

 

黒い頭巾は悪事のシルシ!

頭巾にもやはり、黒はあまり使われなかったと思われます。

この頭巾「おこそ頭巾」という名前があり、防寒用に一般に使われる頭巾の巻き方だったようです。

ストールのような大きな布でも巻けますし、忍者が持ち歩いていたという三尺手ぬぐいでも十分に用が足ります。

 

 

黒い足袋・草鞋、今もある!

足袋は安土桃山時代には武士が防具として用いるようになったようで、江戸時代には平民の間でも使われるようになったそうです。

主な用途は防具か防寒。

江戸時代中期までは皮製が一般に流通していたそうですから、わざわざ黒には染めていなかったのではないかと思われます。

 

同様に、草鞋も稲のわらで作るもので、黒く染める理由がありませんから、捕らえられた時のことを考えるならば天然のわらの色、麦わら色だったのではないでしょうか。

黒が闇の中で目立つことを考えると、そこら中にある草と似たような色の草鞋にしておけば、かえって見つかりにくかったかもしれませんね。

 

 

ズバリ!忍者のコスチュームの付け方とは!?

忍者の黒装束をそれぞれ見てみると、一般的に使われていたものの集合だと分かりました。

着物は着るだけ。袴ははいて帯紐を結ぶだけ。手甲と脚絆は腕や足を覆って、ひもで縛るだけ。

案外、簡単に身につけられます。

 

その忍者衣装のなかで、もっとも着用方法が謎な「おこそ頭巾」の付け方を調べてみました。

 

 

おこそ頭巾をつけてみよう!

まず、幅広で1メートル近い長さの布を用意します。

布を頭にかぶって顔の右側の布で鼻と口を覆います。

左手で口布を押さえたまま、顔の左側の布を取って顎に巻きます。

左右の布を首の後ろで結びます。

おわり。

 

思ったより、簡単ですね。

おこそ頭巾は、日本舞踊などでも見ることができる、伝統的な頭巾の一種だそうです。

道端で見かけても怪しまれないものだったようですね。

 

 

忍者の普段の服装はコレ!?

日中、忍者は目立たないように行動すべく、様々な変装を用いていました。

農民、虚無僧、曲芸師、山伏、商人、猿楽師、出家僧、この七種類が七変化ですね。

忍者は陰に隠れるもの。

表には出ず、なにかあれば逃げます。逃げの一手です。

そうすると重い鎧や武器などもってのほかです。

身軽が一番!

物語に出てくるような鎖帷子や鉄製の防具は使わなかったようです。

 

 

忍者らしくない忍者コスチュームがある!?

忍び装束を見ていると、気になるのがくノ一の服装ですよね!

腕も足も大きく出して、胸元が見えそうなほど着物の襟が広く、ミニスカートのような衣装。

 

はい、残念。

そんな女忍者は存在しておりませんでした。

それはそうですよね。

当時の衣装から考えれば、見つかったとき、そもそも日本人だとはみなされません。

怪しすぎます。

 

では、くノ一も農家の女性のような服装だったかというと、くノ一の仕事は男性のものとは少し違ったようなのです。

女中や下働きとして敵方に入り込み、情報収集をする。

それが女忍者のおもな仕事だったといいます。

 

ということは、くノ一が身につけていたのは普通の着物であり、普通の生活をしていたと思われます。

噂話に目がなくて、人のふところに入り込み情報を聞き出し、それを人(上司であるところの忍者)に言いふらす。

あなたのそばにも、くノ一は潜んでいるかも!?

 

 

忍者の服装について まとめ

・じつは忍者は黒装束ではない!

・忍者の頭巾、おこそ頭巾は現代でも見ることができる!

・くノ一はセクシーコスチュームじゃない!

このように、調べてみるとかなり、しょんぼりな結果になりました。

ですが、希望を捨ててはいけません。

頭巾、着物、袴、手甲、脚絆、草鞋、武器、すべてをまとめて身につけた忍者はいなかったかもしれません。

しかし「いなかったかもしれない」ということは「いたかもしれない」ということです。

可能性はゼロではないのです。

 

忍者が跳梁跋扈していた時代に、ふと「そうだ、これらをすべて身につけたら動きやすいんじゃないか?」と思った変わりものの忍者がいなかったとは限らないのです。

 

そんなオリジナル忍者を思いつつ、忍者コスプレを完成させてみるのはいかがでしょうか?

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