江戸時代

京都二条城の歴史と見どころ・アクセスについて!

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京都二条城の歴史や見どころってどんなの?

いきなり言われると知っているけど…次がなかなか浮かびませんよね。

一応、世界遺産だっけ…とかぐらいですよね。

私もそうでした。

ちょっと参考になる京都二条城の見どころや歴史をここでは解説させていただきます!

二条城に行ってもいいかも…という方の参考になればうれしいです。

 

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まずは京都二条城ってどこ?アクセスについて

京都にあるのは知っているけど細かい位置が不明って結構ありますよね。

そこでまずは京都二条城の行き方から説明させていただきます!

乗り物で移動の方法は3つ。

バスで移動します!という方

3通りの路線があります。

1つ目はJR京都駅から駅前バスターミナルのB1乗り場・9系統「西賀茂車庫前」行きに乗って10番目の停留所「二条城前」で下車。

2つ目は同じく駅前バスターミナルのB2乗り場・50系統「立命館大学」行きに乗って12番目の「二条城前」で下車。

3つ目はB2乗り場・101系統「北大路バスターミナル前」行きに乗って6番目の「二条城前」で下車

時間は道がすいていたら10分くらい、普通は20分~30分位で着くそうです。

ちなみにB2乗り場の101系統のバスは洛バスと呼ばれる急行便です。

バス代はすべて230円です

 

電車で移動派の方は

地下鉄烏丸線に乗り換えて「烏丸御池」で下車。

東西線に乗り換え「太秦天神川」行きに乗り1つ目の駅の「二条城前」で下車。

10分~15分ほどで着きます。

料金は260円!

1番出口を出ると二条城です。

 

タクシーで移動される方は

早ければ10分ほどで到着。

料金は約1200円です。

道が混んでいる場合は20分ほどかかり料金も2000円くらいになります。

 

 

京都二条城の歴史

二条城は京都市中京区二条通堀川にある、江戸時代に作られたお城です。

実は二条城と呼ばれたお城は複数あります。

そもそも足利将軍(尊氏から義満)3代が二条に屋敷を構えたため将軍家の屋敷を「二条陣」または「二条城」とよんだそうで、これが二条城の始まりだそうです。

 

その後、13代将軍の足利義輝が幕府の重鎮・斯波(しば)氏の屋敷跡に築いた「二条御所武衛陣の御構え」を二条城と呼んだり、織田信長の助けによって15代将軍になった足利義昭の居城を二条城と呼んだりしました。

さらに信長は二条家の邸宅の庭の眺めが気に入り、そこに「二条新御所」と作りました。豊臣秀吉も、信長が本能寺の変で倒れて以来、二条新御所を「二条第」として京の拠点として構えました。これらすべてが二条城と呼ばれていたそうです!

 

現在の二条城は徳川家康が京都に滞在するために作ったお城だそうです。

二条城と呼ばれたお城は

足利将軍→織田信長→豊臣秀吉→徳川家康へと引き継がれ現在の二条城が誕生したのです。

かの大政奉還もこの二条城で行われました。

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京都二条城の見どころ!

お城全体が国の史跡で、二の丸御殿(6棟)は国宝!!

22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財!!

二の丸御殿庭園は特別名勝に指定されているとか…。

うっかりくしゃみもできそうにない空間です(笑)

そして1994年ユネスコの世界遺産に古都京都の文化財として登録されているそうです。

ここに住んでいたお姫様や殿様はもちろんのこと各種のプロフェッショナルな方々が手を抜かずに維持管理をされていたので、現在「世界遺産、二条城すごい…!」と見学できるんだなぁつくづく感心してしまいました。

入城料は一般の方は600円・中高生350円・小学生200円です

 

ここで細かく見どころを紹介させていただきます。

まず本丸御殿

落雷や火事によって焼失したため明治時代にに京都御苑今出川御門内にあった旧桂野宮邸の御殿を本丸内に移築したものです。

この本丸御殿には一時、十四代の将軍徳川家茂のお嫁さんの皇女和宮が暮らしていた華やかな場所です。

 

 

まずは、唐門を通ります。

唐門は二の丸御殿の入り口にあります。四脚門!なんです。この門は1626年に後水尾天皇が行幸した際に伏見城から移されたそうです。梁などの上には牡丹や蝶などの綺麗な色の彫刻があるそうです。

この唐門!修理の時に天皇家を表す菊の金具の下から徳川家の三つ葉葵の紋が見つかったそうです!天皇家と徳川家両方で修繕を行ったのがわかります。

 

 

二の丸御殿は江戸時代の武家風書院造の代表的なものなんだそうです。

細かく、建造物を解説!させていただきます。

車寄(くるまよせ)ここは玄関に当たります。牛車でなかに入ることも可能なんだそうです。

 

遠侍(とおざむらい)は御殿最大の面積があって、一の間、二の間、三の間、若松の間、勅使の間などがあり勅使の間では将軍が天皇の使者を迎えました!この時の座る位置は勅使が上段。将軍が下段に座ったんだそうです将軍といえど天皇家の家臣だということです。

 

式台(しきだい)老中が執務を行ったり大名と挨拶したり献上品の取次ぎをしたりするところでした。イメージでは総務とか庶務のお部屋の感じがします。

 

大広間(おおひろま)最も格式の高いお部屋です。一の間、二の間があり将軍が大名と対面しました。社長室のような感じかもしれませんね。

 

蘇鉄の間(そてつのま)佐賀藩の初代藩主鍋島勝重から献上された蘇鉄があることからこの名がついたそうです。ちなみに蘇鉄はヤシに似た葉っぱの植物で、花言葉は雄々しいなんだそうです。まさに、将軍のお住まいにはふさわしい庭木ですね。

 

黒書院(くろしょいん)小広間で将軍と親藩・譜代大名のみがはいれました。内輪の謁見のみに使われたそうです。親戚関係の密談なんかをしていたのかも…。

 

白書院(しろしょいん)居間と寝室です。将軍とおつきの女性のみが入ることができたお部屋だそうです。

 

建物全体の面積は3300平方メートルあり、部屋の数は33、のべ800畳以上の広さを誇っています。

掃除、大変そうと思ってしまいました。

 

二の丸御殿の廊下は鴬張りの廊下だそうです!

鴬張りは外部からの侵入者が音で分かるように歩くと鶯が鳴くような音がでます。調子に乗って何回も歩くと変な目で見られるので注意が必要です!

 

二条城の庭園は江戸時代に作られた二の丸庭園、明治時代に作られた本丸庭園、そして昭和に作られた清流園の3つの庭園で構成されてます。

これらの庭園はアメリカの日本庭園専門誌でベスト10に清流園や二の丸庭園がランクインするなど高い評価を受けてます!

アメリカに日本庭園の専門誌があることに驚いてしまいました。

これから緑が鮮やかになっていく季節に入ります、ゆっくりまったりご堪能してはいかがでしょうか?

 

 

【まとめ】

まとめてみると、つくづく規格外の格式の高いお城なんだなぁと思います。

 

1、まずは京都駅から確実に自分の日程に合わせて移動手段を選ぶ。

2、次に現在の二条城、徳川家康の作った城を見学する。

3、たぶん広さ的に1日で回るのが無理だと思われる方、効率的に見たい方は見たいポイントを絞っておく!

 

これが私のおすすめです。

私は有名観光地に行く!となると徹底的に、ツアコンか?と言われるくらいに調べ倒してしまうタイプなんで、こんな堅苦しい感じになってしまいました。

観光は自分のペースで見て回るのが楽しいです。頭の隅にでもこんなのあったなって覚えて頂けるとありがたいです。

 

調べている最中に、もし江戸時代に生まれて、二条城で奉公できるのならきっと廊下を磨き倒して、庭園を眺め楽しく暮らしてみたいなぁ、なんてことも思ってしまいました。

あなたは何を想像しましたか?

これを読んでちょっと気になった方、京都旅行の際に二条城見学も入れて頂けると嬉しいです。

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