安土桃山時代

織田信長の名言!現代にも通ずる名言がココロに響く

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[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]織田信長の名言は他の人とちょっと違った感じの印象を受けます[/voice]

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]本質を見抜いているような感じで、現代にも通ずる名言がたくさんあるよ![/voice]

「本能寺の変」で2度と後世の人が忘れる事が出来ない程のプラチナ級インパクトを与えてくれました。いえ、その前から既に“とことん戦国時代を駆け巡った”感は200%と言い切っても構わないと言うくらいの武将です。

信長に関しての書物は沢山あり過ぎて目が眩むほど出版されています。今や日本中の誰もが知っているのでは?と思われる程の知名度を誇る戦国時代の武将と言えば、織田信長で決まりではないかと言うくらいです。

私は信長の破天荒と言われる生き様が好きですが、彼に関しては割と賛否両論分かれる様ですね。

今日はそんな織田信長の遺したと言われる、「名言」について見ていきたいと思います。信長の駆け抜けた時代に思いを馳せながらどうかご一緒によろしくです

 

 

織田信長の名言

1“絶対は、絶対にない。

これは、「世の中に絶対的なものなどないから、どんな状況であるにせよ、頭を常に使え!現状に溺れるな!」と言う現実主義で有名な信長の処世感を端的に言い表した言葉になります。

そうですよね、これを例えば乗り物に置き換えて見ましょうか。

飛行機の事故確率は、0.0009%です。これは8200年間毎日飛行機に搭乗しても1度事故に遭うか遭わないか⁈位低い確率のレベルになります。

新幹線はどうか。今のところ、新幹線発足以来死亡事故は有りませんから、「開業以来の旅客死亡事故ゼロ」は続いています。三島駅で起きた駆け込み乗車による死亡事故は確かに有りましたがそれは「正規の乗車方法ではない」と言う理由からカウントされない模様。

でも、数年前に起きた車内での自殺行為などで巻き添えになった方は居ますし、北陸新幹線の撮影で線路内に入った人が「かがやき」に撥ねられていますが、新幹線の車体自体がどうこうで事故が起きて人が亡くなった事は有りません。

それに対して乗用車の事故確率はどうでしょうか。死亡事故は100人に1人で、0.1%。事故死してしまう確率は300人に1人で、0.33%

事故で怪我をさせてしまう確率は3人に1人!で66.6%とどんどん上昇します。こう見ると、どんな乗り物も何かしらリスクは存在するわけで、絶対絶対「ゼロ」ではないのですよ。

ここで前述の信長のお言葉です。世の中には絶対〇〇と言えることって多分ない。事故にしろ、健康にしろ、人の心ですら‥です。明日の自分なんて分からない。でも今を当たり前に思わず全力で生きる方が気持ち良くないですか?

公共広告機関ACのCMで流れていた、「あなたが過ごした“今日“は、誰かが死ぬほど生きたかった今日」と言う静かなキャッチコピー、とても好きです。だからわたしは前しか向いてません(笑)凹む事あっても、でも一生懸命生きる事が生まれて来た意味そのものであると思うから。信長はそれを知っていたんだと思います。

だからこそ、漫然とせずに現状にあぐらをかくな!と、自分にも家臣たちにも戒めの言葉として発したのではないでしょうか。

 

 

2.必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ

ニュアンス的に先に述べた言葉と被るものがありますね。

これは「どんな状況でも、どんな場面でも持てる力を総て注いで必死になって生きるれば後悔もないだろう。そして輝けるものになるであろう」と言う意味になるかと思います。

信長はとかく冷酷だの、魔王だの(後世の書物による所が多い)悪いイメージも付きまといがちな人です。戦国BASARAでも超人的に怖いです(マニアックですみません)。反信長派の人は多いかと思いますが、その理由は至極単純で明快な理由の上に成り立っていると感じます。

それがあったから信長は嫌われる様になった、それはひと言で言うと信長が行った残虐とも言える殺戮行為で十分説明はつくでしょう。その行為だけをピックアップするからそうなっても仕方ないですけどね。でも背景をキチンと理解すれば単純に“殺戮行為“ではないのは分かるのではないかと思います。

信長は比叡山焼き討ちで全山包囲の上、4千人を殺していますが、その前に比叡山延暦寺は、1536年に僧侶と近江の六角衆とで京都市中になだれ込み、法華宗の寺院および僧俗併せて1万人を殺すと言う、「天文法華の乱」を起こしてます。

この時代は僧侶も武力を強化していて、寺院は一種の要塞化しています。そして戦国時代なのです。今のモラルに当てはめる事自体に無理がある事をどうして分からないのかわたしは疑問に思うのです。数だけで言えば信長の叡山焼討ち死者数は、天文法華の乱の足下にも及ばないと言う事です。

敢えて信長の名誉の為に言うのなら、彼は無駄な戦もしていないし、彼の最終的な夢は「戦のない、誰もが国内何処へでも行く事ができ、好きな商売を好きな場所で出来る、生き生きとした世の中」です。これが彼の目指した「天下」でもあった訳ですが、この辺りは信長熱が高じるのでこの辺りで(笑)

因みに彼の叡山焼討ちの目的は“比叡山僧侶の武力解除と商業権放棄、そして彼を裏切った朝倉義景・浅井長政をこちらへ渡す事“にあり、言う事を聞かない叡山に信長が”鉄槌を下した“と言うのが最近の歴史学会での見解です。信長のしたことの正当性が認められている訳です。

彼の言葉に戻りましょう。必死に生きる。これは現代でも大変な事です。ストイックとは少し意味が違います。どんな小事に対しても全力で、必死に生きて行けばこそその先に得られるものがあり、望みも叶うだろうと言う、今で言う「引き寄せの法則」に近いようなものを発しています。

そうですよね、ただ漫然とタラタラ生きていてこうなりたいあぁなりたいなんて叶うわけもなく、すぐ上手くいかなくてもとにかく必死に一生懸命に生きる事で夢は夢で無くなるのですから。

一生懸命に、必死で生きる事の大切さを信長は自分の後ろ姿を見せる事で、家臣たちに教えていたのかもしれません。そして彼はその言葉通り、“必死に生きた“からこそ”その生涯は500年以上経った今も光り輝いた存在になったのですから。

 

 

3.理想を持ち信念に生きよ。

理想・信念を失ったものは戦う前から負けている。そんな者は廃人同然

信長の言葉には、信長の生き様がそのまま転写された様なものが多いです。

これは、常に自分の理想や夢を持て。そして諦めてはいけない。自分の力を信じて常に前向きに進んでいけ。

思うに信長と言う人は破天荒とも言われますが、自分にも他人にも厳しかった人です。そして天才的に頭の回転の良い人だったのですね。

信長は父、織田信秀の葬儀の場で父の位牌に焼香の灰を思い切りぶちまけたと言う逸話が、「信長公記」にあります。これは父の死を悲しんでやったというより、元々“尾張の大うつけ(おバカさんみたいな意味です)”と言われていた様に奇行や突拍子も無い行動が多かった信長が父の亡くなった後揉めるだろうと予測して、わざと家臣団や一族の前で見せた一種のパフォーマンス的な行動と考えられています。

どう言うことかと言うと、信秀の死は嫡男である信長派と弟である信勝派に分かれて、家督相続へ一触即発の状況でした。信長は実はこの葬儀には呼ばれていなかったのですが、ヅカヅカと現れて焼香をぶちまけたのは、嫡男の自分が織田家を背負って行くのだから、こんなままごとのような葬儀は認めない!と自分の意思を信勝派にはっきり目にもの見せたと言うことになります。

事実その後、弟の信勝とは家督争いで対立が深まり、最終的には清洲城で信勝は自刃したとも暗殺されたとも言われています。だから信長は、父の跡を継いで行くのは自分であると言う事の正当性の為戦った訳ですが、周りの目を欺いておくなどは頭の回転が良い人間でないと無理です。

おバカなフリをして周りを安心させておいたのが18歳の時。危機感を常に持って生き続けて来たのです。彼にとっての信念や理想と言うものは、彼が激しい戦国時代に生き延びて行くための手段の1つにもなっていた訳ですから、本当に意思の強い人だと言う事が伺えます。

某アニメの中にも同じ様な意味合いの言葉が出て来ますね。

諦めたらそこで試合はおしまいなんだ」と言う。

まさに信長もこの事を言っているわけで、やりもしないうちから諦めるな!自分の力を信じよ!と言っていたんです。信長家臣団と言うのは非常に強かった事でも知られています。様々な要因がありますが、そのうちの1つにこの信長の力強い鼓舞する様な言葉が、きっといつも家臣団の心の中に流れていたのではないかなと思います。諦めることはいつでも出来ます。でもその前に出来る事もきっと沢山あるはずです。

挫けそうになったり、自分を見失いそうになってしまった時に思い出して下さい。信長はみんなに力を与えてくれるはずですから。

 

 

4.人を用ふるの者は能否を択ぶべし。何ぞ新故を論ぜん。

この言葉は人事関連に際して発した言葉と言われています。

これは、人を雇う者は能力の有無を基準に選ばなくてはいけない。勤務年数の長さなどは判断基準にはならないものであると言う意味になります。

木下藤吉郎(のちの羽柴秀吉)を信長が家臣として登用する時に、重臣たちが苦い顔をしているところに、平然と言い放った言葉です。

今はどうでしょうか。現代は「アイデンティティー」が漸く陽の目を見る時代となって来ました。人と同じが良いのはもう昔の話となりました。秀吉を登用しようとした信長は、彼の中にある非凡な部分に目をつけたに過ぎません。この言葉は人事関係の方に是非覚えておいて頂けたらと切に願います。

わたしの個人的見解ですが、1つのところに勤続年数が長いと言うのは確かに性格としては真面目な方なんでしょう。人間本質的に変化を嫌う生き物ですから、それに逆らわず生きるのも安定するのである意味良い事です。

でもだからと言って転職を繰り返す人がいけないとは思いません。人間の可能性というものは個人レベルで測れる程ちっちゃなものではないから。自分の可能性や好奇心・探究心に素直に生きて行く事がこれからの時代に求められる本当の意味の個々のアイデンティティーではないかと思います。

人と違う事を恐れないで!あなたにはあなたしか出来ない事が必ずありますから。能力の有無と言うのはそう言った総合的ビジョン全てを含めて言った、信長の人事に対する考え方です。

先見の明のある信長に感心するばかりです。

 

 

5,【勝負は時の運だ】

この言葉も信長の言葉だということには、ビックリ!!普通に使ってました。

正確には『およそ勝負というものは時の運によるのであるから、前もって計れないことである。功名は武士の本意であるといいながら、それも内容次第のことだ。

これは長島一向一揆討伐の時に、蒲生氏郷(がもううじさと)が大剛(だいごう・非常に強いこと。または強い人)の敵の首を取って実検(合戦の戦功に関する報告が正しいか確認すること・首実検)にもってきたとき、信長が嘲笑った冒頭の言葉です。

信長は続けて「いまの汝の功名は軽率な挙動だ。ひとかどの武を志す程の者ならば、けっしてこのような功名を望んではならぬ。身の危険を顧みないのはそれ程の功とはいえぬ。今後はこのことを忘れるな。」と言って蒲生氏郷を戒めています。

この言葉、よく調べると世界規模の言葉でした。

『勝ち負けとはそのときの運によるもので、必ずしも強い者が勝ち、弱い者が負けるとは限らない。
勝ちにも負けにも、絶対はないのだから、勝ったから驕るべきでもないし、負けたから落胆する必要もない。敗者には慰めの言葉、勝者にとっては自戒の意味を込めて使います』

ほとんど同じ意味なので逆に?となりましたが語源はどうも「太平記」らしいです。信長は「敦盛」も知っていたことから、太平記を読んでいた可能性が高いです。きちんと理解していないと、言葉は出てきませんので、やはりすごい人なんだと感じます。

 

 

6【城を頼るな】

この言葉の意味が深い!

正確には『人、城を頼らば、城、人を捨せん』

人が城を頼ったとき、落城する」という意味です。信長が言いたいことは、城が人を守るのではなく、人が城を守るのだ、ということです。つまり勝利するのは守る人の力量だ!ということです。

 

 

7【臆病者の目には、常に敵が大軍に見える

「桶狭間の戦い」で2万5000の兵を擁する今川義元をわずか2000の軍勢で強襲し、討ち取った信長らしい言葉です。(数字には諸説あります)

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」と同意語ですね。腰が引けている人には、小さな音も影もすべてが敵(幽霊)に見えるという意味です。観察して冷静に判断すれば、何とかなるという言葉です。ただこれは凡人には、不可能かもしれませんね。

 

 

8,【仕事は探してやるものだ。自分が創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ。】

これって、結構痛い名言ですよね。でもこの名言は実行すると、確実に自分のスキルを磨けます。(キッパリ)新入社員の時に、先輩に言われた言葉で、この言葉のおかげで仕事の時は、手すき時間が減り、手持ち無沙汰に悩まされることが、ありませんでした。

 

 

9【組織に貢献してくれるのは優秀な者よりも、能力は並の上だが、忠実な者の方だ。】

信長って、理想の上司かも、短気でなければね。という典型な名言です。能力は努力で、上乗せできますし、自分の適所が見つかれば、何とかなります。この名言はまさにそれ。

大抵の人は能力は、並なのではないでしょうか?普通という意味で。でも組織を維持するのは、大抵普通の人です。その普通の人が、組織を維持しています。その維持能力に忠実が加われば、その組織は安泰です。

今の会社組織も、このようにして成り立っているということを、社員や経営者はもう一度、考えなくてはいけないかと、思います。

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《誤解されている言葉》

ここでは信長の言葉と思われているんだけど、本当の出所は違うんだよと言う、代表的なモノ2つについて書いてみます。

 

A:「人間50年 下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり一度生を得て 滅せぬものあるべきか」

これは名言ではなく、謡曲平家物語の中の“敦盛”の一節であります。

信長はこの歌がとてもお気に入りで、1人でも良くこの歌を舞いながら歌ったりしていた様です。

この敦盛というのは、実在の人物であの平清盛の甥っ子で源氏との戦いとの戦いの1つの一ノ谷の戦い(1184年3/20に現在の兵庫県神戸市・中央区須磨区などで行われた)で平敦盛を討ち取った、熊谷直美の台詞と言われてます。史実的な側面から見れば、あくまでも平家物語という物語の中での一場面の台詞。

→ 平敦盛は美少年だった?平家物語で語られるSTORYと最期

そうですね、今で言うところの、映画や人気のあるドラマの中の一節みたいなものと考えて頂ければわかりやすいかもです。

映画「君の名は。」の中で、最後の場面で東京で偶然とも言える再会を果たせた、瀧くんと三葉が長い坂の上と下で同時に発した言葉が、「君の名は?」でしたがそんな感じです。あくまでもニュアンスですよ。

人の世の無常感を見事にまとめた台詞ですが、信長が好んだとうのもなんだか分かる気がしませんか?本能寺の変の時に燃え盛る炎の中で踊ったとか言われてますが、それはないです。本当にあったのは、桶狭間の戦い出陣前に熱田神宮で舞い。湯漬けを食してから出て行ったと伝わります。既に遁世感があったのか?それは分かりかねますが、人の世の儚さを感じていたのでしょうね。

 

B:鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス

有名な言葉です。信長の短気な性格を表しているとか言われますが、全く出所は違うのをご存知でしたでしょうか。

この言葉は、江戸時代の長崎平戸藩主だった“松浦静山”という人物が作った随筆集「甲子話(かっしゃわ)」に収められている、信長・秀吉・家康と言う三英傑を風刺した言葉です。そして信長は実際は短気ではなく、寧ろ家康の方が短気そのものであったと言われています。

なぜこの言葉が信長の言葉となったのかは分かりませんが、江戸時代の人々は現代よりはるかに政治や政治家・世俗的なものに敏感で常にアンテナを張っているような時代でした。

ですから時の為政者に対する風刺本も多かったです。特に川柳や俳句などは沢山書き著され、当時の為政者をこき下ろしたり笑いの種にしたりなどと言うのが日常でした。言論の自由を守っているはずの現代においてならもっとこう言う類のものも出て良いのでは?と感じますが、今度は国民がそれほど政治に興味を持っていないようですね(笑)

 

《番外編》「是非に及ばず」

この言葉は前述2つとは違い、確かに信長の口から発せられた言葉です。この言葉はとても有名でありながら解釈の仕方が難しいとも言われていた言葉です。「信長公記(太田牛一による信長一代記)」にもこれは書かれています。

解釈の仕方が難しいと先に書きましたが、これは何通りにも読んで取れると言う意味で、解釈できない事と同義では有りません。

[aside] 

  • 今更どうしようもない(だから受けて立とう)
  • あの光秀の起こした謀反となら諦めるしかないだろう。
  • (光秀を)この様な事態へと追いやったのは自分の責任でもあるので、これは自分の天命だ。

[/aside]

などなど解釈の仕方には少しづつ意味合いが変わってきます。果たして本当の所は、どんな意味で信長はこの言葉を本能寺の変の時に発したのか?これはその人の思いで構わないのでは?と思います。

所詮、人の心はどんなに頑張っても奥底まで読む事など出来ません。信長は、この言葉を本能寺の変の際、小姓の森蘭丸が「明智殿にございます」と明智光秀主体の謀反であると告げた時に、それに対する返答としています。

その後、信長は応戦しながらも難しくなり、本能寺の奥深くの部屋に入りそこで生きながら焼死したと言われていて、首や遺体等は当時からずっと現在に至るまで見つかっていません。同じく二条城に居た信長嫡男の信忠も自害はしましたが、首は隠せと家臣に言い残しているのでその言葉通り見つける事は出来て居ません。

そして、この変は光秀単独説や朝廷黒幕説など、本当に諸説が今も乱立していてはっきり出来ません。出来るのはその様な事件が有って織田家が終わって行くという事実に対しての説明だけでしょう。

その為、この「本能寺の変」は大きな謎を残したまま今もなお信長の威光だけが褪せる事ないのでしょう。多分、恐らくこの先永遠に‥

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織田信長の名言

[aside]

  1. 絶対は絶対にない。
  2. 必死に生きてこそ その生涯は光を放つ。
  3. 理想を持ち 信念に生きよ。理想、信念を失ったものは戦う前から負けている。そんな者は廃人同然。
  4. 人を用ふるの者は 能否を択ぶべし。何ぞ新故を論ぜん。
  5. 勝負は時の運だ
  6. 城を頼るな
  7. 臆病者の目には、常に敵が大軍に見える
  8. 仕事は探してやるものだ。自分が創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ。
  9. 組織に貢献してくれるのは優秀な者よりも、能力は並の上だが、忠実な者の方だ。

[/aside]

これらを今回はピックアップしてみましたが、こうして並べてみると、信長自身の気概や人生に対する考え方、信念がそのまま浮かび上がってくる言葉に思えないでしょうか?

私は信長の生まれた尾張国にてこれを書いています。部屋の窓からは澄み切った青い空とちぎれ雲がたなびいています。

信長もこの空を見上げていたのだろうか、信長はあの日の朝何を思い、この世から姿を消したのだろうか。でももう真実が分かろうと謎のままだろうとこれで良いのだと思うんです。わたし。

だって信長は精一杯駆け抜けて、私たちに教えてくれた事がこんなにも沢山あふれています。

さぁ!一生懸命生き抜こう!いくつになっても夢や理想を失わずに前だけ向いて歩いて行こう!

あなたの心に信長の遺した言葉が、響いてくれます様に。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]人生の指針にしたい言葉がたくさんあったね。天下人の名言は深い![/voice]

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]最後まで読んでくれてありがとう![/voice]

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