安土桃山時代

桶狭間の戦いの場所はどこ?現在はどうなってる??

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桶狭間の戦いは、織田信長と今川義元の直接対決で、義元が討ち取られた有名な戦いですね。

今回は桶狭間の戦いの場所や現在はどうなってるのかをご紹介していきます!

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桶狭間の戦いの場所は名古屋にある?

まず、この桶狭間の「狭間」(はざま)という言葉に注目してみましょう。これは、どこかとどこかの間という意味なのです。よって、現在の愛知県名古屋市緑区と愛知県明豊市にまたがる地域にあったとされています。

そもそも、桶狭間という地名は室町時代の「尾張国知多郡桶廻間村」を発祥とされており、現在も名古屋市緑区には、桶狭間や桶狭間山の上という9つの地名があります。

名古屋市緑区桶狭間、名古屋市緑区桶狭間上の山、名古屋市緑区桶狭間北2丁目など数々の「桶狭間」の名前が!名古屋市には桶狭間ワールドが広がっていたのです。笑 また、公園や史跡など桶狭間を名乗る物も多くあるようです。

 

新たな桶狭間の戦い?名古屋市VS明豊市!?

地名や史跡にやたら名前をつけた名古屋市に、待ったをかける市が!そうですもう1つの桶狭間の場所とされている「明豊市」です。

戦いの発端となったのは、1937年に国から「桶狭間古戦場伝説地史跡」が認定を受けたことからでした。地元の桶狭間古戦場祭保存会の会長は、国から認定を受けたと声高々に宣言しました。

桶狭間古戦場伝説地は、名鉄の中京競馬場前から数分のところで、場所は明豊市側

にあるのです。江戸時代に義元や戦死した家臣やたちが亡くなった場所として石碑も建てられ、明治時代には今川義元の墓が建てられところなのです。

そこで、待ったをかけるのが名古屋市なのです。笑 上記の織田信長と今川義元の銅像があるのが、名古屋市にある「桶狭間古戦場公園」なんのです。ここが、明豊市の桶狭間古戦場伝説地と1キロほどしか離れてないのですよ。笑

しかも、石や小道など作って、桶狭間の戦いを再現したジオラマを再現したほか、義元が飼っていたとされる馬をつないでいたといわれる、ねずの木や墓碑までも作ったのです。

名古屋市側は、2008年に作られた「桶狭間古戦場保存会」の会長は、「信長が義元を討ち取り後、村人に戦死者を埋葬するよう命じた塚がある」と語っているのです。

両者譲らず。笑 しかもそれぞれの地で「古戦場まつり」が開催される始末。結局今日までどちらが「桶狭間の戦いの場所」なのかは決着がついていない状態なのです。

私はどちらも、桶狭間戦いの地でいいと思いますね。地形的に偶然またがった場所で戦ってしまったのならそれでいいのではと。笑

桶狭間古戦場伝説地史跡や桶狭間古戦場公園の他にも、大河ドラマで話題となった「おんな城主直虎」の主人公・井伊直虎の父・直盛が陣取っていた「巻山」や義元の本陣があった「おけはざま山」などがあります。

 

 

まとめ

  • 桶狭間の戦いの場所は、愛知県の名古屋市と明豊市にまたがった場所にある。
  • 現在は、名古屋市、明豊市それぞれ「桶狭間古戦場公園」と「桶狭間古戦場伝説地史跡」で桶狭間の戦いの歴史をそれぞれの地で語り継いでいる。

考えてみると、名古屋市や明豊市に住むみなさんは普段の生活の中に古戦場があるってなんだかすごいですよね!私は、自分が住んでいる土地がその昔どんな場所だったのか気になったりしますね。時には、自分の住んでいた場所がどのようなところだったのか、いにしえの時代に思いをはせるのも楽しいと思いますよ!

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