明治時代

沖田総司の死因は結核?

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[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]新選組屈指の実力者も病気には勝てなかった・・![/voice]

新撰組一番隊隊長沖田総司。彼は剣の天才と呼ばれていました。また、鬼の子とも異名を持っていました。そんな沖田総司はどうやって亡くなっていったのでしょうか。今回の記事では沖田総司の死因にせまります。

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沖田総司の死因 肺結核

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沖田総司はいつ肺結核を発症していたのでしょうか

肺結核の末期症状が吐血です。沖田総司は池田屋事件のときに吐血しています。肺結核の余命は半年から1年とされています。池田屋事件から沖田総司が死ぬまでには4年の月日が流れています。本当に肺結核となって4年も生きることができたのでしょうか。

肺結核で亡くなった人物

同じ時代に肺結核となって亡くなっていった人物は他にもいます。長州藩士である高杉晋作です。高杉晋作は吐血した9ヶ月後になくなっています。これは、余命半年から1年半に当てはまっていますね。他にも歌人・詩人である石川啄木です。

石川啄木は25歳で肺結核を発症し、27歳で死亡しています。また、俳人・歌人である正岡子規は21歳のときに吐血し、発病。その後、14年間生きながらえ、35歳で死亡しています。

先ほどご紹介したように、沖田総司は池田屋事件の翌年に山南敬助を介錯しています。その直後、これまた脱走した隊士である酒井兵庫や浅野薫を処断した記録も残っているようです。

1868年に鳥羽伏見の戦いの前後に沖田総司が肺結核を発症したとする永倉新八の証言が残っているのですが、こっちの方が正しく、池田屋事件の吐血は疑わしいのかもしれません。永倉新八の証言が正しいとすると、沖田総司は肺結核発症から4〜6ヶ月で死亡したことになります。

次に、沖田総司の歴史や伝説についても触れておきます。

 

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沖田総司の歴史

沖田総司は、1842年に、陸奥国白河藩藩士・沖田勝次郎の嫡男として、江戸の白河藩屋敷(東京都港区西麻布)に生まれました。幼い時の名前は宗次郎といいます。

沖田総司と剣の出会いは9歳のときです。後の新撰組組長である近藤勇がいる天然理心流の道場である試衛館に入門します。ここで近藤勇や新撰組副長である鬼の土方歳三らと同じ釜の飯を食べることになります。

これが沖田総司の人生の中ではとても大きなものになりました。沖田総司はわずか14歳で、試衛館の塾頭になってしまいました。まさに天才です。巧みな剣術が門下である剣豪たちを恐れさせてしまいます。

 

 

新撰組一番隊隊長

沖田総司が20歳のときに、浪士組に参加するために上洛します。のちに、近藤勇、土方歳三らと新撰組を結成し、新撰組の一番隊隊長となります。山南敬助、原田左之助らが加わり、芹沢鴨を暗殺し、近藤勇が筆頭組長になり、試衛館が新撰組を掌握します。

1864年、かの有名な池田屋事件です。近藤勇や永倉新八が池田屋に斬り込みます。このとき、もちろん沖田総司も参戦しています。しかし、戦闘中に昏倒し吐血、戦線を離れることになってしまいます。昏倒の原因は、激闘による熱中症か、体調不良かは不明なようです。

1865年、新撰組には鉄の掟がありました。脱組は許されません。その掟を山南敬助が破ってしまいました。山南敬助は、実力があり、新撰組のみんなに好かれていました。そんな山南敬助の裏切りは、新撰組には衝撃的過ぎました。これは許しておけるべき問題ではありません。山南敬助は捉えられ、切腹をさせられました。切腹の介錯をしたのが沖田総司です。

 

 

沖田総司伝説

沖田総司には色々な伝説がついて回ります。

・短気狼藉
・先陣を切って斬り込む新選組一番隊隊長
・刀術の天才は白皙の美剣士
・目にも止まらぬ速攻剣技の三段突き

師範である近藤勇よりも恐れられ、「刀で斬るな。体で斬れ」と恫喝していました。また、周りからは沖田総司の剣は猛者の剣と言われていました。ちなみに、三番隊隊長である斉藤一は無敵の剣と言われていました。

永倉新八は晩年、「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては沖田総司に子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」と語っています。それだけ本当に剣の才能は抜きん出るものがあったのでしょう。

沖田総司は美形でもあったということから、色々なドラマや漫画で取り扱われています。私の大好きな「るろうに剣心」でも沖田総司は出てきます。めちゃくちゃ速く、めちゃくちゃ強いです。そして体が弱いです。

これはどんなドラマや漫画でも、めちゃくちゃ強いけど体が弱い沖田総司は共通しているかもしれません。日本を震撼させた新撰組一番隊隊長であり、美形であり、そして、病に倒れ若くして亡くなった沖田総司の人生は物語にしやすいのかもしれません。

伝説となった人物には色々な尾ひれがついてしまっているのかもしれません。それこそ、真実は闇の中です。

 

 

まとめ

・沖田総司は剣術の天才だった
・鳥羽伏見の戦いの前後に吐血した
・肺結核でなくなった

新撰組一番隊隊長沖田総司。新撰組の中でも特にファンが多いのが沖田総司でしょう。若くして一番隊隊長を任され、京都の街を震え上がらせた人物です。新撰組で戦ったら一番強かったかもしれません。沖田総司はそれだけ剣の才能に恵まれていました。

小さい頃は鬼の子とも言われていたほどです。そんな鬼の子ですが、残念ながら戦いでは死ねず、不二の病である肺結核にかかっていまい、晩年は療養生活を強いられてしまいました。新撰組が薩長同盟に負けるころには、沖田総司は床に伏せていたのです。

鬼の子の最後は布団の上でした。どんな顔でなくなったのでしょうか。何を思って亡くなったのでしょうか。真相はわかりませんが、きっと新撰組として最後まで戦えなかったことに対しては悔いが残っていたのではないでしょうか。

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