大久保利通はよく、冷徹人間とか言われています。
実際の性格はどんな性格だったのでしょうか。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]数あるエピソードから大久保利通像をチェックしていきたいと思います![/voice]
大久保利通の性格をエピソードをから探ってみる
1:ずっとハゲ頭を気にしていた
大久保利通は頭頂部が大きくハゲていました。そして、それを気にして常に髪で偽装工作して隠していたそうです。早朝にお客様がおいでになっても、ハゲをさらしたくないため、髪を整えるまでは、お客様の前に現れなかったと言われています。
このことから、大久保利通は周りの目を気にしていたカッコつけだと思います。日本の歴史に名を残す権力者も、そこはやはり一人の男なのでしょう。権力者ほど多くの人と会わなければならず、現代のようにワックスなどもないでしょうから、髪をセットするには非常に時間がかかって大変だったと想像できます。
2:日本最初期のヘビースモーカーだった
大久保利通は、日本で初めて栽培されたタバコを愛用していたヘビースモーカーでした。子ども達が朝と晩にパイプの掃除をしなければ、すぐ詰まってしまうほどのヘビースモーカーでした。愛用のタバコは、大正4年〜終戦までの期間に皇室御用達のすばらしいタバコでした。
このことから、大久保利通は依存性のある人物だったと想定できます。
タバコにハマるのはタバコを吸いたいからではなくて、何かにすがりたい気持ちがあったのではないでしょうか?日本を背負っている立場でしたので、相当なストレスがあったことでしょう。そして、権力者になればなるほど相談する人がいなくなってしまいます。そうした時に心の安堵を求めたのがタバコだったのかもしれませんね。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]煙草臭して超臭かったんだろうなぁ[/voice]
3:日本産の紅茶栽培を提案した
大久保利通は非常に先見の目があった人物です。当時の日本の輸出物は主に、緑茶と生糸でした。しかし、海外では緑茶よりも圧倒的に紅茶の方が需要がありました。そのため、利通は、日本の次の輸出品として紅茶を考えました。
そして、栽培方法と作り方マニュアル、そして「紅茶製法書」を作ったのです。当時の紅茶の製造方法は中国をパクったものでした。最初にできたものはとても紅茶とは呼べないお茶だったそうです。
このことから、大久保利通は、先見の目があったと考えられます。そして、明治維新を成し遂げた人物だけあって、固定観念にとらわれません。
通常、人間は、新しいものを提案された時は否定から入りがちです。そんなものは無理とすぐに思ってしまうのです。でもそれでは、人間は思考が停止してしまいます。新しいものをどんどん取り入れていかなければ発展はありません。やはり、大久保利通は経済人としても素晴らしい才能を持っていたことが想像できます。
4:1億円の借金を作った
1億円の借金を作ったといっても、決して豪遊をしてとか、ギャンブルにつぎ込んでとかそういう訳ではありません。国の予算がつかない公共事業に私財をつぎ込んでいたのです。
死後の彼の財産は140円でした。そして、借金は8,000円もあったのです。これが現在の貨幣価値に換算すると1億円ということになります。債権者も大久保利通がどういう人物で、どういうものにお金を使っていたのかを全て知っていたため、遺族にお金の返済は求めなかったのです。なんという美談でしょうか。
このことから、大久保利通は、骨の髄まで日本のことを考えていた人物であると確信できます。そして、例え自分がどれだけの苦労をしようが他人ことを本気で考えられる心優しい人物なのではないでしょうか。普通は国のために、借金までして人生をささげられるのでしょうか。ほとんどの人は無理だと思います。
ですが、大久保利通はそれをやってのけたのです。これが政治家の理想像ではないでしょうか。そんな精神の持ち主だからこそ後世にまで名が残る人物になったのだと思います。
5:利通の名言は「為政清明」
大久保利通の座右の銘と言ってもいいほどの名言です。国の政治に関わるものはこういう心構えでなければならないと言っています。言葉の意味は、心も態度も清く明るくあらねばならないという意味です。
これをきちんと実践していたのが誰でもない大久保利通です。大久保利通の政治精神は、まっすぐまっすぐ貫いていました。それが、あらゆるところに垣間見えます。あとにも先にも大久保利通ほど骨の髄まで政治に尽くした人物はいないのではないでしょうか。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]今の政治家に聞かせてやりたいよ、ホント[/voice]
6:囲碁が趣味だった
大久保利通は、唯一囲碁が趣味だったと言われています。「退屈したり、頭を酷使しすぎた時には囲碁をやっていた」と言われています。当時、大久保利通が愛用していた碁盤と碁石は国の重要文化財に指定されています。
大久保利通ほどの人物になると、自分の時間はほとんどなかったのでしょう。そして、囲碁が趣味といっても、現代人の趣味の概念とは少し違うかもしれません。
現代人の趣味と言えば、休日を楽しむものであったり、自分を高めるものであったりすると思います。ですが、大久保利通の場合は、日本のことを考え続け、アイディアが詰まった時や、一度頭の中を整理したいときに囲碁をやっていたのではないでしょうか。
つまり、囲碁を趣味としてやっていたというよりは、日本のために囲碁を意図的に利用していたという言い方の方が正しいかもしれません。そこまでプライベートの時間がなく、日本のために活動していたのではないでしょうか。
7:子煩悩な性格だった
寡黙で人を寄せ付けない威厳を持っていたとされる大久保利通ですが、家庭では非常に子煩悩な優しい父親であったと言われています。仕事が忙しくても、必ず子どもをあやす習慣はつくっていたそうです。普段は家族とゆっくり食事をできないため、休日には妹も呼び寄せて、家族で夕食を囲むことも頻繁に行っていたようです。
このことから大久保利通は子煩悩で非常に家族を大事にした人物であるということがわかります。日本国民を大事にしていたのですから、自分の家族を大事にしないわけがありません。自分のことは二の次で、家族、そして、日本を大事に大事にしてきたのでしょう。
まとめ
[aside]
・ハゲを気にするなど、周りの目を気にする普通の男だった
・日本のことを骨の髄まで考えていた優しい人間であった
・子煩悩だった
[/aside]
このように知れば知るほど世間のイメージと違う顔が見えてくるのが大久保利通という男です。知恵を武器にし、仕事一筋の鬼のように冷たい人間かと思いきや、とてもそうではありません。
子煩悩で家族思いであったり、政治だけかと思いきや、経済人としても素晴らしい才能を持っていたり、国のことを考えすぎて1億円の借金をしたり、一見馬鹿馬鹿しい行動も、大久保利通のことだから、すべてが意図的だったのだと思います。
現代には、大久保利通のような、自分を犠牲にしてでも国のことを考えられる人が本当に必要なのかもしれません。大久保利通が現代に生きていれば何をしたのでしょうか。とても気になるところです。