大久保利通の妻である大久保満寿子はどんな人物だったのでしょうか。大久保利通のエピソードを踏まえて、大久保満寿子の人物像を想像していきたいと思います。
まず、大久保満寿子のプロフィールを見てみましょう。
大久保満寿子の概要
- 名前:大久保満寿子(旧姓早崎)
- 生年月日:1836年
- 結婚年:1857年(21歳)
- 東京へ引っ越し:1874年(38歳)
- 没年月日:1878年12月7日(42歳)
- 亡くなった原因:病気
- 出身地:薩摩
- 父親:早崎七郎右衞門
- 兄弟姉妹姉:弟早崎七郎(海軍少佐)、弟、早崎源吾(海軍少佐)
- 子供:大久保利和、牧野伸顕、大久保利武、石原雄熊、芳子
大久保満寿子は薩摩で生まれ、21歳のときに大久保利通と結婚します。大久保利通は、明治維新の英雄とまで言われている人物ですが、そんな大久保利通の妻である大久保満寿子はどのような人物だったのでしょうか。
大久保利通のエピソードはたくさん残っていますが、大久保満寿子のエピソードはほとんど残っていません。そこで、大久保利通の性格から、大久保満寿子の人物像を想像してみたいと思います。では参ります。
大久保利通はよく、冷徹人間とか言われています。実際の性格はどんな性格だったのでしょうか。数あるエピソードから大久保利通像を作り上げたいと思います。
1:神経質な夫を支えていた満寿子
大久保利通は頭頂部が大きくハゲていました。そして、それを気にして常に髪で偽装工作して隠していたそうです。早朝にお客様がおいでになっても、ハゲをさらしたくないため、髪を整えるまでは、お客様の前に現れなかったと言われています。
大久保利通は、このようにとても神経質でした。そんな大久保利通を支えていた満寿子はとても細かいことに気の利く人だったのではないでしょうか。いつでも大久保利通の先手、先手に周り大久保利通をサポートしていたと考えられます。
2:ヘビースモーカーにも耐えた満寿子
大久保利通は、日本で初めて栽培されたタバコを愛用していたヘビースモーカーでした。子ども達が朝と晩にパイプの掃除をしなければ、すぐ詰まってしまうほどのヘビースモーカーでした。
大久保利通はある意味で依存症の部分がある人物だったと想像できます。つまり、大久保利通は満寿子に対しても依存的な部分があったのかもしれません。
タバコは基本的に吸いたいから吸うのではなく、何かにすがりたいから吸う気持ちの方が大きいと思います。日本を背負っている立場だったので、当然といえば当然かもしれません。そのストレスを抱えている夫を毎日見ている満寿子も非常にストレスを抱えていたのではないでしょうか。
大久保満寿子はとても忍耐力があったのかもしれません。今の日本人にはタバコを少し吸うだけで毛嫌いする方も多いと思います。時代も時代なので仕方がないと思いますが、ただ自分は吸わないのに、タバコの匂いが充満した部屋に文句一つ言わず家事をしている姿が想像できます。忍耐力がないととても務まるものではないでしょう。
3:先進的な思考を持っていた満寿子
先見の目があった大久保利通は新しい方、新しい方へと進んでいきます。そんな大久保利通ですから、妻は保守的は人物だと大久保利通の妻はとても務まらないでしょう。
大久保利通は誰よりも早く紅茶に目をつけました。当時の日本の輸出物は主に緑茶と生糸であったのにもかかわらずです。実は、海外では緑茶よりも圧倒的に紅茶に需要があったのです。そして、利通は紅茶の栽培方法と作り方マニュアルと作りました。
緑茶や紅茶は家庭的な飲み物でもあります。特に緑茶はお客様がいらっしゃったときに出す飲み物でもあり、満寿子も緑茶には慣れ親しんでいたと考えられます。普通の妻であるならば、夫が紅茶といったよくわからないものに手を出したときは否定から入るでしょう。
しかし、満寿子は利通を肯定していたのでしょう。自分の夫は正しいといつも信じていたのかもしれません。満寿子も利通と同様に固定観念にとらわれない器の大きい人物だったのかもしれません。
4:1億円の借金をも我慢した満寿子
久保利通は1億円もの借金を作りました。1億円の借金を作ったといっても、決して豪遊をしてとか、ギャンブルにつぎ込んでとかそういう訳ではありません。国の予算がつかない公共事業に私財をつぎ込んでいたのです。死後の彼の財産は140円でした。そして、借金は8,000円もあったのです。これが現在の貨幣価値に換算すると1億円ということになります。債権者も大久保利通がどういう人物で、どういうものにお金を使っていたのかを全て知っていたため、遺族にお金の返済は求めなかったのです。なんという美談でしょうか。
大久保利通は骨の髄まで日本のことを考えていたと思いますが、妻である満寿子も日本のことを骨の髄まで考えていたのかもしれません。普通は1億円の借金を抱える夫の妻であり続けることには抵抗があるでしょう。ましては、国のためになぜ自分が借金をしなければいけないのかとも思うかもしれません。
基本的には普通の妻であれば離婚問題の大騒ぎです。1億円の借金なんて一般人には中々できないものでしょう。いくら政府の首脳陣とはいえ、1億円は巨大過ぎます。これに耐えた大久保満寿子はとても肝の据わった人物なのではないでしょうか。ある意味、大久保利通よりも肝が据わっているかもしれません。
5:まっすぐ誠実な満寿子
大久保利通の政治精神は、まっすぐまっすぐ貫いていました。それが、あらゆるところに垣間見えます。あとにも先にも大久保利通ほど骨の髄まで政治に尽くした人物はいないのではないでしょうか。
大久保利通はまっすぐまっすぐ進む人物でした。そのため、大久保満寿子もまっすぐまっすぐ進む人だったのではないでしょうか。大久保利通は日本のためにまっすぐまっすぐ進み、妻である満寿子は夫の利通のためにまっすぐまっすぐ突き進む。
夫婦で同じ方向を目指しながら、ともに生涯を歩み続けていたと考えられます。
6:温かい家庭を築いた満寿子
大久保利通はとてもとても子煩悩でした。寡黙で人を寄せ付けない威厳を持っていたとされていますが、家庭では非常に子煩悩な優しい父親であったと言われています。仕事が忙しくても、必ず子どもをあやす習慣はつくっていたそうです。普段は家族とゆっくり食事をできないため、休日には妹も呼び寄せて、家族で夕食を囲むことも頻繁に行っていたようです。
もちろん、この夕食を作っていたのも妻である満寿子でしょう。利通が人を呼ぶといったら嫌がらずきちんと支度をしていたのでしょう。しかし、大久保家は借金を抱えている身です。外からは政府の首脳陣であるからお金持ちに見えていたかもしれませんが、家庭の経済事情は火の車であったと考えられます。
それでも嫌がらずに家庭を温かく支えていた満寿子はさすがとしかいいようがありません。
大久保満寿子もきっと太陽のように子どもを守り、見守っていたのではないでしょうか。大久保満寿子が居たからこそ、大久保利通も全力で政治に取り組むことができたのだと思います。
まとめ
・細かいことに気がつく人だった
・忍耐力がある人だった
・太陽のように暖かく優しい人だった
歴史的英雄を支えていた大久保満寿子はとても一般人の感覚では大久保利通の妻は務まらなかったでしょう。1億円の借金なんて論外です。
そんな生活に耐えてきた大久保満寿子はやはり『すごい』の一言につきますね。真似たくてもとても真似できないのではないでしょうか。妻の鏡と言っても過言ではありません。
ただ、大久保満寿子の苦労は一般人がとても想像できない苦しいものがあったと思います。憧れはしても、自分がその生活をしいられたとしたらとてもではないですが耐えられないでしょう