戦国時代

「御館様」って何?この呼び方、ずっと気になっていたんだけどさ

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昔の人って位が高い人を呼ぶ際、名前で呼ばないですよね?

「殿」とか「御館様」とかよく耳にします。

殿は何となくわかりますが、御館様はなぜ「御館様」なのでしょう...??

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「御館様」の由来

平安時代が終わりを迎え、10〜11世紀にはいよいよ武士の時代が始まります。この頃から各地に「堪武芸之輩」や「武勇之人」と呼ばれる人々が現れ、彼らが武門の源流となります。それを統率する人物のことを「武門之棟梁」と呼ぶようになりました。

武家の棟梁は、その「家」を代表し、統率し、存続させる責任を負います。言い換えれば「棟梁=家」となるのです。

棟梁は家=館を代表するものです。従って武家の棟梁のことを「御館様」と称するようになったのです。

 

「御屋形様」と書かれていることもあるけど…?

御屋形様も基本的には上述の「御館様」と同じ意味です。この呼び名は室町幕府成立以降にできたそうです。

「屋形」とは「屋形号」という室町時代に、守護大名が特に許されて称した尊称のことです。この「屋形」という称号を持っていないと、召抱えている武士に烏帽子・直垂・素襖を着用させることができなかったそうです。

当初は将軍のみが大名に対してこの称号を与える免許権を持っていましたが、後に鎌倉公方である足利満兼が関東の諸大名に免許を出したことで、将軍・鎌倉公方による免許制になりました。

屋形号は室町幕府でも守護以上の身分と遇される足利一門や、代々有力守護であって幕府の重職につく家や特に功績のある家柄、また室町幕府の建設に功労ある家柄に許されたそうです。

「屋形」を名乗れる家柄が増えてくるにつれて、御館様が次第に、「御屋形様」になっていったんでしょうね。

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実は御館様以外にも色々な呼び方がある!!

小説や映画を見ていると、「御館様」以外にも位が高い人への呼びかけ方があることに気がつきます。

その中から二つ、興味深い由来を持つ呼び方のご紹介をします。

 

「大御所様」

歴史好きならこの呼び方聞いたことありますよね!?この呼び方は、江戸幕府において征夷大将軍職を退いて隠居した、前将軍の敬称です。

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正式にこの呼び方が使われるようになったのは、江戸幕府を開いた徳川家康が、1605年に将軍職を子の徳川秀忠に譲って隠居した時からです。

ここで歴史好きは引っかかるものがあるはず。

御所」とは天皇の居所(皇居)を表す言葉でもあるのです。それに更に「大」を用いるということは、天皇よりも上の者を意味するとして、当時はその名に対して批判も多かったそうです。

ですが、家康はこの批判に対し、昔の幕府の隠居した将軍の中にも大御所を使った者はいると言っていたそうです…(ホントに??笑

 

 

「北政所(きたのまんどころ)」

「北政所」と言われ、豊臣秀吉の妻・寧々を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか?

寧々は秀吉がまだ百姓身分だった時から彼を支え、秀吉の家臣の加藤清正らも彼女を慕っていました。「戦国時代の武将の妻」といえば、彼女の名前は筆頭にあがるでしょう。

2016年の大河ドラマでは鈴木京香さんが、美しく強い天下人の最高の伴侶を演じました。

彼女が「北政所」と呼ばれるようになったのは、秀吉が天下を取り摂関家出身者以外で初めて関白となり、同時に従三位が授けられた頃からです。

「北政所」は、もともとは平安時代の三位以上の公卿の正室の呼び名です。平安時代の親王や三位以上の公卿の邸宅には、自身の家庭などに関する私的な諸事を司る事務所のような場所がありました。「家政を司る場所」として「政所」と呼ばれるようになりました。

当時の貴族の屋敷は「寝殿造り」と呼ばれる邸宅に居住しており、そこでは公の場所でもあった「寝殿」とは別に、その北に「北対」と呼ばれる私的な居住空間があり、そこには主人の正室が家政の諸事万端を司っていました。

その正室の呼び名を「北の方」と呼ばれていました。(源氏物語には「北の方」と表される女性がたくさん出てきます。)それから公卿の正室の呼び名を「北政所」と呼ぶようになったのです。

 

 

まとめ

さて、ここまで「御館様」と始めとして、位の高い人への呼び名について調べてきました。

  • 「御館様」という呼び名は、武家の棟梁が「家」を守る責任があったことから派生した呼び名
  • 「御屋形様」とも書くことができる。
  • 「大御所様」という呼び名は徳川家康以降江戸幕府で使用されるようになった。
  • 「北政所」は「北対」を司る公卿の正室の呼び名から。

こうやってよく見ていくと面白いことに気がつきます。それぞれの呼び名は全て「場所」を表す言葉が由来となっています。

そういえば、豊臣秀吉の側室・茶々は「淀の方」と呼ばれていました。(淀殿と呼び始めたのは1960年に井上靖が小説の中で使い始めた時から一般化しました)もちろんこの呼び名は秀吉が、彼女と息子の秀頼のために与えた淀城から取られたものです。

現代でも、非常に非常によく耳にする呼び名も場所が由来していることに気がつきます。

「奥様」

家の「奥」、深いところを守るということですね。ここからは飽くまで私の考えですが…日本人は自分達の空間、つまり家を、昔から「聖域」のように扱っていると思います。

日本人は必ず「家」に入る時に靴を脱ぎますよね。靴を脱いだ瞬間から「あちらの世界」から「こちらの世界」へと移っていく、つまり「境界」をまたいだことになるのです。(この概念は民俗学で「異界」について考える時のお馴染みの考え方です。)

昔の人も、無意識のうちに自分達の「空間」を「外」から守る主人の呼び名に、その空間を表す名前をつけていたのではないでしょうか。

私の考えが正解とは限らないし、色々な考えはあるだろうし、そしてどこかに正解はあると思います。ただ、「もしかしたら」という仮説を立てながら物事を考えていくのも、たまには面白いものです。

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