最強の日本刀はどれだろう?名刀の中からいくつかピックアップして考えてみた

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[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]名刀って言われる刀はたくさんあるけど、どれが最強だろう??[/voice]

日本刀の中にもランクがあり、やっぱり名刀といわれる日本刀が最高位です。名刀と呼ばれるものの中から最強の刀を選んでみました。

  • 「瓶割刀」
  • 「へし切り長谷部」
  • 「宗三左文字」
  • 「鉄砲切り兼光」
  • 「菊一文字則宗」
  • 「妖刀村正」

それぞれに纏わるエピソードを元に、BEST日本刀をセレクトしていきたいと思います。

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1,【瓶割刀】別名「鬼夜叉」

瓶割刀は戦国時代に一刀流剣術の祖・伊東一刀斎大事にしていた刀です。

一刀斎とはどんな人物だったのか?

一刀斎は14歳のとき、格子一枚につかまって、伊豆から三島まで泳いでたどりついたのだとか・・・思わず「ホントかよ?」と言いたくなりそうなスゴイ話です。さらに三島神社にて、地元で富田一放という兵法者として君臨していた男に刀での勝負を挑み、勝利したという伝説も残っています。

そのほうびとして、一刀斎は神社の神主から宝刀を贈られました。ある日神社に盗賊が侵入。盗賊は大きな瓶に潜むわけですが、見つけた一刀斎が瓶に隠れた盗賊を瓶ごと一刀両断!瓶ごと盗賊は真っ二つになったのです。瓶ごと斬っちゃうとはすごいですね。

さすが一刀斎。その後、瓶割刀は名刀と呼ばれるようになり、直弟子たちに引き継がれていきました。

ちなみに、またの名は「鬼夜叉」ともいいます。その別名の由来ですが一刀斎のあだ名が「鬼夜叉」だったところからきているようです。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]刀もすごいけど、一刀斎のエピソードやばいですね。当時の人達ってありえないくらいの身体能力持っている人多い気がしませんか?[/voice]

 

 

2【へし切り長谷部】

へし切り長谷部は、重要指定文化財に指定されている名刀です。

へし切り長谷部は織田信長の愛刀で、こんなエピソードがあります。

ある日、信長の前で「観内」という茶坊主がしくじりを起こしたのでした。観内は城内を逃げまくります。

信長は容赦しません。観内は台所の棚の下あたりに身をひそめていましたが、見つけられてしまいます。すると信長、棚ごと観内をばっさり切ってしまったのです。

信長なので、切りかたが半端じゃなかったそうで・・・頭がぐしゃっとなるほどだったので「へし切り長谷部」と呼ばれるようになったと言われています。

現代でいえば、パワハラ上司の言動におびえるビクビクした部下ってところでしょうか。

観内は武士ではなくお坊さんなので、死に対して慣れていないというか、死への恐怖が強かったと思います。へし切り長谷部が名刀となった陰にはひとりのお坊さんの悲劇があったのです。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]実は織田信長は刀マニアでした。名刀をいっぱい所持していました。メンズならコレクトしたくなるわな[/voice]

 

 

3【宗三左文字】流浪の名刀!

宗三左文字は黒を基調とした美しい名刀で、別名「義元左文字」と言います。現在は重要指定文化財に指定されています。

宗三左文字の最初の持ち主は武田信玄の父・武田信虎です。現在の和歌山県あたりを支配していた三好長政という武将から、武田信玄の父・武田信虎にプレゼントされました。

武田信虎は息子の信玄から追放されるなど、いろいろあり、そうこうしているうちに刀は敵の今川義元の手に渡ってしまいます。

今川義元は武士でありながら、ほとんどお公家さんって感じになっていました。今川義元は宗三左文字をたいそう大事にしたそうです。麿眉毛でほほほって笑いながら宗三左文字を磨く義元が目に浮かびますね笑

義元といえば「桶狭間の戦い」。

当時既に武士ではなくお公家さんと化していた義元はあっさりと首を討ち取られてしまいます。討ち取られると同時に刀もある人物の手に!そうです信長です。

信長も宗三左文字を愛刀にするのですが、トンデモナイことをします。刀の茎の部分に「永禄三年五月十五日義元討捕刻彼所持刀」と金で文字を入れてしまいました!いくら戦利品として手に入れたからってこれはないですね、、、そこが信長らしいとも言えますが。

本能寺の変で、信長亡き後は秀吉の元へ渡り、さらに我が子・秀頼が所持し、豊臣家を滅ぼした徳川家康の手に渡ります!明暦の大火で焼失しますが、再刀されました。

信長はさすが覇王と呼ばれるくらい強いですが、名刀所持率も1番なのでは?持ち主だけじゃなく、宗三左文字も波瀾万丈ですね。それぞれの持ち主たちの魂が入った名刀だといえます!

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と・・・日本統一した人物の手に渡り続けた刀は宗三左文字だけでした。ある意味日本一とも言える刀ですね~   [/voice]

 

 

【鉄砲切り兼光】別名「雷切」

「鉄砲切り兼光」は越後の龍こと、上杉謙信が愛した刀です。変わった名前ですよね「鉄砲切り」って。

鉄砲切り兼光にもエピソードがあります。

激闘をくり広げた川中島の合戦で、謙信は兼光を腰に下げていました。単身武田の陣へ攻め入ったとき、武田方の鉄砲兵をなんと鉄砲ごと一刀両断!瓶割刀・へし切り長谷部と同じく、人とモノを同時に斬っちゃっています。 それほど切れ味は抜群ということなのでしょうか。

また、鉄砲切り兼光には「雷切」という別名もあります。

雷切の由来ですが・・・謙信の手に渡る前、越後の農民が雷雨にあった際、刀を頭上にかざして雨除け代わりにして逃げたことがありました。すると雨が止んだのです。しかし刀を見るとなんと血が・・・!最強というか「最恐」な日本刀ですね。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]別名・・雷切!名前だけで既にカッコイイ![/voice]

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儚き命の天才剣士が持っていた日本刀!

「菊一文字則宗」は新選組の沖田総司が持っていた刀です。

菊一文字則宗は、一万両という当時の超高値で売られていました。総司を弟のようにかわいがっていた、新選組副長・土方歳三が日ごろがんばっている総司に「ちょっくら褒美でもやるか」と、購入しようとします。

が!一万両なため土方歳三はためらってしまいました・・・笑

そんなとき刀屋の道伯という男に「沖田さんが腰に差すのだったら売ってもいいよ」とあっさりOKをもらったのです。

沖田は遂に名刀を手に入れました。が、しかし「この刀で人は切れない」としばらく使いませんでした。けれど一度だけ、菊一文字則宗を使ったことがあります。

隊の仲間が殺されたとき仇討ちに使用しました!仲間を殺した敵を見事に斬ります。その際、刃こぼれ一つなかったと言われています。さすが名刀・・・!天下の新選組隊士が持っていたなら最強なのではと思いますね。

→ 新選組の主要メンバーの名前や人物像について

→ 新選組の最後は?生き残りはいたのだろうか?

 

 

【妖刀 村正】

村正が切れ味が鋭く、実戦を追求された日本刀です。しかしこの村正。

妖刀と聞くと物凄い刀なイメージを持ってしまいますが、実は最初はスタンダードな刀でした。たとえば洋服だったらブランド服ではなく、ファストファッション的な位置づけ。

では、なぜ村正は名刀と呼ばれるようになったのか・・・?それは徳川家、特に家康への因縁があったからです。その因縁とはどんなことなんでしょうか?

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  • まず、家康の祖父・清康と父・広忠の命を奪った刀が村正であること。
  • さらには、信長の命により、我が子・信康が切腹時に使用された刀も村正。
  • しかも家康自身も駿河にいるときに村正によって怪我を負います

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大事な身内が村正によって命を落としています!。もう呪われているとしか考えられません!

怖くなった家康。これ以降、村正を徳川家で持つことを禁止。村正は長く表舞台から姿を消します。それ以後、徳川家では「妖刀」と呼ばれ、嫌われてしまします。

時は流れ、現在の大河ドラマ「西郷どん」でおなじみの幕末の時代へ。長く続いた幕府を倒そうと勤皇の志士たちが、続々と立ち上がります!その中に西郷隆盛も含まれていました。その志士たちが身につけた日本刀こそ「村正」だったのです。やはり因縁を感じずにはいられません!

志士たちのみならず、有栖川宮 熾仁親王という宮様も村正を持っていました。普段は宮家の人は村正なんて持ちませんが、幕末の動乱期に東征大総督という、軍の司令官ということで持っていたのだと思います。

有栖川宮は打倒幕府に奔走していました。それには理由があって、かつて婚約破棄にあっていたのです。その相手がなんと和宮でした。和宮はその後、徳川14代将軍・家茂の正室に。幕府によって有栖川宮と和宮は仲を引き裂かれていたのです!

そして徳川幕府は崩壊・・・恐ろしき村正!切れ味も鋭く、怪しくもある村正。まさに、名刀にふさわしい日本刀といえます。

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まとめ

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  • 瓶割刀、へし切り長谷部、鉄砲切り兼光は対象人物だけではなく物ごと斬ってしまっているから最強ではないのか?
  • 新選組隊士の沖田総司の愛刀で、刃こぼれ一つない菊一文字則宗では?
  • 切れ味抜群で、呪われた伝説の残した村正か?

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ピックアップした中で、最強の日本刀として私が選ぶなら、沖田総司が所有した「菊一文字則宗」ですね。人を斬っても刃こぼれ一つないというはまさに名刀の証!

実は刀って、切るとスグに刃こぼれを起こしたそうです。また人の血に含まれている鉄でスグに錆びてしまうのだとか。そんな中菊一文字法宗は刃こぼれ無しですから、やはり最強の日本刀なのではないかと思います。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]豆知識!名刀は使うのがもったいなくて、あまり使われないことが多かったみたい。名刀だからこそ使わずにとっておく・・・というのが実際のところのようですよ[/voice]

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]使わなきゃ刀の意味ないやん!って言いたくなるけど、でもやっぱりイイモノだから使わずにとっておきたい気持ちもわかるよね。現代人も当時の人もそういう考え方は変わらないな~[/voice]

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