歴史の役職

征夷大将軍とは?関白の違いも分かりやすく解説!

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「日本で一番偉い人はだれ?」と江戸時代にタイムスリップして江戸っ子に聞いたら、「そりゃあ、江戸の将軍さんよ!」と答えるような気がします。

では、平安時代の平家の人に聞いたら「関白殿でおじゃる」って答えるのでは?

「え、そこ、天皇じゃないの?」

なんて、どうでもいいことを考えていましたが、そう言えば、将軍とか関白って日本史で習ったけど、具体的にはなんだったっけ?

将軍と言われるのが征夷大将軍だということは、かろうじて覚えているけれど、それって何をする人だっけ?関白ってなにか重要な仕事をする人だっけ?

こんなことを、ふと考えるのは私だけじゃないはず!

思い立ったが吉日。今こそ、復習のとき。ここはぜひと思い、調べてみました!

よろしければご一緒に、ちょこっと歴史の復習しませんか?

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征夷大将軍とは

征夷大将軍の意味

「征夷」とは「夷(えびす・えみし)」を征伐する任務を帯びた大軍を率いる将軍のこと。

「夷」は中国の言葉で「東方の敵」を意味します。

古代中国の場合、自国の東方の敵が「東夷(とうい)」、西が「西戎(せいじゅう)」、北が「北狄(ほくい)」、南が「南蛮(なんばん)」と言いました。

征夷大将軍は征東大将軍と呼ばれることもあり、都から東方面へと敵を攻めていく任務を負いました。

都から東に向かって、何度も征夷大将軍は派遣されています。

そのたびに領土を広げていって、関東あたりから最後は北海道最南部あたりまでを日本の領土としていったそうです。

 

征夷大将軍はいつからいつまでいたの?

古事記・日本書紀の中ではヤマトタケルノミコトが東征に向かっています。古事記では相模の国まで赴いたとありますから、関東をすっかり領土としたということのようです。

 

ですが史実として認められている初代の征夷大将軍は巨勢麻呂(こせのまろ)という人物

この時の官職名は「鎮東大将軍」でした。

和銅2年(709年)、陸奥・越後の蝦夷(えみし)を平定するために任命されたそうです。

あれ?と思いました。待てよ、たしか学生時代には最初の征夷大将軍は坂上田村麻呂だと教わった気がするぞと。

調べ直すと、これは征夷大将軍という名前がついた時期が問題になっているのだそう。

 

征夷大将軍という官職名を最初に使った人は大伴弟麻呂という人で、坂上田村麻呂の上司にあたるそうです。

弟麻呂は初めは征東大使という官職だったのですが、征東が途中から征夷に変わりました。

ですので、任命された初めから征夷大将軍だったのは弟麻呂の次に大将軍になった坂上田村麻呂だと言われたのですね。

今では歴史学的な解釈がかわり、征夷大将軍の初めは大伴弟麻呂。

実質的に征東に出た大将と考えるなら巨勢麻呂ということになっているんだそうです。

 

それから長い年月を通して鎮東大将軍等も含むと60人近くの征夷大将軍がいました。

最後の征夷大将軍は徳川15代将軍 徳川慶喜です。

その後、明治時代以降は周知のとおり「征夷大将軍」は存在していません。

【こんなにいたの!?】初代「征夷大将軍」とその一覧!

 

征夷大将軍の仕事はどう変わっていったの?

初めは朝廷からはるか東の対極勢力(夷)を平らげることを目的に臨時的に任命されていた征夷大将軍。

大将軍といっても、軍事の頂点に立っているだけで官位としては、天皇に面会できるギリギリであまり高くない身分でした。

 

それが変わったのが、源頼朝の時代から。

頼朝は征夷大将軍の官職をみずから願い出て、なかば強引に認めさせたそうです。

その理由は東で大きな力を持つ木曽義仲や奥州藤原氏を倒すことを正当化するためです。

 

また、征夷大将軍は陣地で徴税・徴兵・行政執行する権利を朝廷からもらっています。朝廷から遠い敵地で、自力で生き延びなければならなかったからです。

軍事・警察力、徴税、人事。すでに一国の政治機関のように頼朝は力をつけました。

頼朝は鎌倉に幕府を開きましたが、幕府という言葉の意味は、もともと進軍の時の駐屯地のようなものを指します。

戦をしていない時でも幕府はたたまなかったため、征夷大将軍の任務を解かれることもなく、源義経探索・討伐が全国に及ぶという理由をつけて、征夷大将軍の力を全国的に使えるように工夫しました。

 

この後の幕府を開いた北条・徳川も、頼朝のやり方を踏襲したのだそうです。

法の抜け道を利用するような方法で日本を動かした、すごい策略ですね。

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関白とは

関白の意味

天皇の補佐をする官職であり、官位の最高位。

関白と似た官職に「摂政」がありますが、摂政は幼かったり、病弱だったりして政務が難しい天皇を補佐するものでしたが、関白は成人した天皇の補佐役です。

 

天皇の言葉を「関(あずかり)」「白(もうす)」というのが語源です。

現在では関白と言うと、権威のある人という意味も表すようになりましたよね。

「亭主関白」なんていう言葉もありました。そういうタイトルの歌もあるほど、良く知られた言葉ですよね。

 

関白っていつからいつまでいたの?

初代の関白は藤原基経で仁和3年(887年)、平安時代のことです。

その当時、強い権力を持っていた藤原氏が長く関白職を独占していました。

公家が担っていた関白職を武家で最初に任命されたのは豊臣秀吉でした。

秀吉の嫡男、秀次も関白職につきましたが、それ以降はまた藤原氏から派生した五摂家が独占的につく官職に戻りました。

 

最後の関白は二条斉敬で、江戸時代のことです。明治維新の王制復古の大号令(将軍から天皇に政治の実権が戻ることを宣言したもの)で摂政・関白が廃止されたので、それが最後になりました。

 

関白の仕事はどう変わっていったの?

幼少の天皇を補佐する摂政は天皇の仕事そのものを代わって行うのですが、関白は補佐に専念するアドバイザー的な立場でした。

天皇が読むべき書類に先に目を通す仕事も与えられていたため、関白が通さないと天皇に見てもらうことが出来ないという点で、権力を握ることが出来ました。

それが平安時代中期になると関白が自分の娘を天皇に嫁がせることで権威を増し、天皇の意見を左右するほどの力を持ったと言われています。

 

とくに有名なのが藤原道長。関白の中でも最高の権力を振りかざしたみたいですね。

「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」

という「俺はすべてを手に入れて、この世も俺のものだと思っている」と、なんとも図太すぎる和歌を詠んでいます。

この道長の時から後、天皇を退位した上皇が政治を行う院政が始まったので、関白の権威は小さくなっていきました。

 

 

征夷大将軍と関白の違いを分かりやすく

征夷大将軍と関白、仕事内容の違いは?

関白は天皇に任命されて大きな権力を持っていても、あくまで天皇の補佐という立場です。

征夷大将軍は天皇に任命されることは同じですが、幕府を開き、政治そのものを行っていました。幕府には鎌倉・室町・江戸幕府がありますね。

 

征夷大将軍と関白、どっちがえらい?

これは、時代によってかわるようです。

征夷大将軍が東征だけしていた時代には関白の方が権力を持っていたでしょう。

しかし、武家時代になってからは、関白もそれほどの権力を握れなかったようです。

 

 

まとめ

・征夷大将軍は武家の最高権力者。

・関白は公家の最高権力者。

・どちらも天皇から任命される。

征夷大将軍・関白どちらにも言えるのは天皇がいないと就けない官職ですが、天皇を上回る権力を手にすることができるようになったということ。

違うのは、関白は京都の朝廷で政治を動かしましたが、征夷大将軍は京都以外の場所に幕府を構えて、そこで政治を行ったこと

 

征夷大将軍と関白には、似ているところも違うところもありますが、栄枯盛衰は世の常。二つの官職は完全になくなってしまいましたね。

もし日本が江戸時代から変わらず鎖国状態のままだったら、征夷大将軍・関白どちらが政治の主権を握っていたでしょうか。

それとも第三の新勢力が台頭してきたでしょうか。

歴史を見直すといろいろな空想が生まれてくるのも、大人になってから復習する楽しみの一つなのかな、と思いました。

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