戦国時代

最強の戦国武将や軍団は誰なのか・・逸話やエピソードから考えてみた

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最強戦国武将や軍団はいったい誰なのでしょうか。

今回は、あらためて日本の最強を考えてみました。

人によって考え方は違うと思いますが、諸説・エピソードから自分なりに考えてみました。

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最強と名高い戦国武将たち

上杉謙信

戦国時代で誰が最強だったかと言われると、必ずといっていいほど名が上がるのが上杉謙信です。確かに上杉謙信は強かったようです。

上杉謙信は幼少時代に預けられた林泉寺で教養や兵学を学びました。その甲斐あってか、毘沙門天の化身と呼ばれるほど強くなったようです。武力も知能も優れた素晴らしい武将といっても良いでしょう。

上杉謙信は領土を広げることに興味が無かったため、天下統一などの偉業とは縁がありませんでしたが、上杉謙信が本気になれば、天下を取っていたとも言われています

→ 上杉謙信の性格は?最強だったと言われる理由やエピソードも!

上杉謙信は15歳で初陣を迎え、生涯を終えるまで70回戦場に赴いたとされていますが、負けたことはたったの2回だけと言われています。

1回目は臼井城の戦いです。千葉氏・原氏対上杉軍の戦いでしたが、北条氏の援軍もあり、上杉軍は完敗だったと言われています。数では圧倒していた上杉軍でしたが、軍師の白井胤治の作戦に完敗しました。

2回目は生野山の戦いです。これは北条氏対上杉軍の戦いでした。

北条氏と上杉謙信は松山城を巡って争っていました。この戦いは川中島の合戦の2ヶ月後に行われ、上杉軍の兵士が疲弊していたとも言われています。

→ 上杉謙信に女性説!?その理由と真相について!

→ 最強?!上杉謙信の家臣(四天王)について!

→ 上杉謙信の死因は?年表で謙信の歴史を振り返る!

 

 

武田信玄

甲斐の虎と呼ばれた武田信玄。「風林火山」の旗のことは誰でもご存知なのではないでしょうか。

武田信玄の生まれは甲斐の国でした。甲斐の国の領土はもともと広くはなく、領土を広げるには戦しかありませんでした。

武田信玄は家督を継ぐために父親を追放しています。追放しても、追放した先の今川家には毎年お金を送金していました。その額は現在に換算すると1億円という大金です。

そうです。武田信玄は、戦の天才とも言われていましたが、それだけでなく、人望もあったのです。武田信玄は最終的に病死しましたが、生きていれば世の中がどうなっていたか分からないとまで言われていました。

→ 武田信玄の死因は?子孫の現在はどうなっているのだろうか?

そして、上杉謙信とライバル同士で、川中島でなんども戦を繰り広げていたのが武田信玄です。武田の騎馬隊はその名を聞くだけで震え上がる恐ろしい軍団でした。信玄は徹底的に訓練を積んでいました。

しかし、戦の天才とも言われる武田信玄も生涯で4回負けています。

1回目が上田原の戦い VS村上義晴

2回目が砥石崩れ VS村上義晴

3回目も葛尾城攻め VS村上義晴

最後の4回目が薩埵峠の戦い VS北条氏政

です。

→ 最強?武田信玄の家臣「武田四天王」について!

→ 武田信玄は城を持たなかった⁈合理的な男は考えることが違うねぇ

→ 武田信玄の一生を年表で解説!超詳細だから信玄ファンは是非♪

 

 

真田幸村

戦国きっての人気武将である真田幸村。

真田幸村は槍の名手としても知られています。大河ドラマにもなった有名な人物です。

真田幸村は戦の才に優れ、攻めも守りも戦の駆け引きが非常にうまい武将でした。真田幸村の有名なエピソードは大阪夏の陣です。あの徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めます。

そのため、真田幸村は大阪夏の陣以降、徳川家康からも賞賛されています。天下の大将軍に認められた真田幸村は最強武将としてもいいのではないかと思います。

真田幸村が徳川に一矢報いたのは奇襲が成功したからです。

劣勢になった豊臣軍は、最後は奇襲に頼るしかありませんでした。その奇襲隊を務めたのが真田幸村だったのです。

奇襲は成功し、真田幸村は徳川家康本陣にたどり着きました。奇襲を受けた徳川家康は死を覚悟したようです。が・・結果的に家康を殺すことはできませんでした。奇襲隊は本陣で包囲され、真田幸村はそこで討ち死にしてしまいます。

とはいえ、徳川家康の喉元まで迫ったのはあとにも先にも真田幸村ただ一人でした。さすが戦国切っての武将といったところでしょうか。

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朝倉宗滴

忘れてはならないのが朝倉宗滴です。信長が滅ぼした朝倉義景の曽祖父の弟です。

宗滴の有名な言葉に「武者は犬とも言へ畜生とも言へ勝つことが本にて候事(群)」という言葉があります。意味は、武士はどれだけ罵られ、悪口を言われても勝つことが全てと言っています。それくらい、勝つことにこだわっていたのが宗滴です。

宗滴は頭もよく、戦も強いため、朝倉家ではまるで当主かのような中心人物でした。

宗滴の代表的な戦いは「九頭竜川の戦い」です。

朝倉家に一向宗が攻めてきました。その数約30万。それに対して、朝倉家の軍勢はわずか1万です。約30倍もの軍勢を相手に宗滴は戦わなければなりませんでした。普通に戦ったら勝てるわけがありません。誰もがそう思うでしょう。

一向宗の軍勢と宗滴は九頭竜川を挟んで睨みあいます。

一向宗も宗滴の噂は知っていたので、たとえ数が多くても簡単には攻められなかったのでしょう。しかも、九頭龍川はとても流れが速い川でした。急流を前に両者の睨み合いは続きます。

睨み合いが続いたまま夜になりました。宗滴軍は作戦会議です。そうです。このまま睨みあっていても宗滴軍に勝てる見込みはありません。30万の軍勢に攻めれれればひとたまりもありません。

宗滴は考えます。考えに考えます。そこで、一つの妙案が浮かびました。夜中に九頭竜川を渡って奇襲をかけてしまうのです。先ほども述べたように、九頭竜川は急流のため、誰も鎧を着て渡ろうなんて思いません。しかも夜となればなおさらです。

そう、それはまるで自殺行為だからです。

ですが、だからこそ奇襲の意味があります。宗滴はこれを実行しました。というか強制的に実行させました。宗滴は戦には厳しい人物なので、誰も逆らうことができません。というか、逆らったとしても、一向宗に攻められて滅ぼされてしまいますので、もう行くしかありません。部下は上司を信じます。

宗滴軍いざ出陣です。

結果として、宗敵軍はこの夜襲を成功させました。夜中に急流を渡ってくるなんてまったく考えていなかった一向宗はパニックです。「逃げろ、逃げろ」の声とともにみるみるうちに敗走していきます。

これが、伝説にもなった九頭竜川の戦いです。30倍の軍勢に勝った戦いなどほとんどありません。これが宗滴軍が最強と言われる所以です。

 

 

知力での最強

黒田官兵衛

戦は武力だけではありません。戦略も重要な要素です。そのため、最強を考える上では、軍師を外すことはできないでしょう。軍師といえば黒田官兵衛です。

黒田官兵衛は、豊臣秀吉に仕えた軍師・・・つまり、初めて日本統一を導いた人なのです。黒田官兵衛がいなければ、豊臣秀吉の天下統一はなかったと言っても過言ではありません。

秀吉の有名な戦いに高松城の水攻めが挙げられます。

高松城に攻め入った秀吉軍は、沼と堀に苦戦しました。大軍で一気に攻めることができなかったのです。そのため、川をせき止めて、城を水浸しにしてしまうというとんでもない作戦を思いつきました。

農民を多額の金で買収し、わずか12日間で全長4キロ、高さ8メートルの防波堤を完成させてしまいます。当時季節は梅雨。高松城はみるみるうちに水がたまり、水浸しになっていきました。

こうして、秀吉は高松城に攻めいることに成功したのです。もちろん、この作戦に関わっていたので黒田官兵衛でした。黒田官兵衛にはこうした逸話がいくつもあります。当の本人に武力はありませんが、知力で戦国時代を生き抜いてきた素晴らしい人物です。

 

 

まとめ

やっぱり最強武将を語るとなると、王道過ぎてツマラナイのですが武田信玄と上杉謙信は外せないですよね。

  • 上杉謙信:知能も武力も優れていた。生涯で2回の負けを経験している。
  • 武田信玄:人望と武力に優れていた。生涯で4回の負けを経験している。
  • 真田幸村:武力と戦略は申し分なかったが、なかなか認められなかった。討ち死にしてから徳川家康に賞賛される。
  • 朝倉宗滴:30倍もの軍勢に勝つ、度胸と戦略がある。
  • 黒田官兵衛:秀吉を天下人にさせて知能の持ち主。

甲乙つけがたいところですが、最強の定義を「負けたことがない」という条件にすると、選ばれる武将は堀秀政という武将になります。(さっき紹介してませんが^^;)

この武将は生涯で無敗だったと言われています。堀秀政は織田信長や豊臣秀吉に仕えた武将です。

生涯負けたことがない武将は38歳の若さで病死してしまいます。もう少し長生きすれば負けを経験したかもしれませんが、生きている間は無敗でした。考え方によっては堀秀政が最強と考えることもできるのではないかと私は思います。

現代でも負けないチームは強いです。スポーツと戦国時代では話は違いますが、サッカーでも野球でも優勝するチームは、引き分けはあっても負けはあまりありません。負けがあまり無い=最強と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

→ 上杉謙信と武田信玄…2人の仲や関係って実際どうだったのさ?

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