戦国時代

戦国時代の姫の生活ってどんな日常?意外と知らんけどやっぱ勝ち組なのかな?

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戦国時代の姫って皆さんどう思われますか?

エライ殿様や武将の元に嫁ぐのですから、何となく勝ち組な感じがしますよね。

ですが勝ち組になるには、それ相応の能力が必要だって知ってましたか?

姫君たちがどうやって生き抜いたか?またどんな生活だったのかを調べてみたいと思います。

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姫さまの1日

お姫さまの一日。優雅な匂いがしそうですが、実は優雅からかけ離れています

このころにはすでに花嫁修業が存在しており、「礼法」「歌学」「茶道」「書道」「芸事」などに励んで教養をつみ、嫁ぎ先にその免状を持参するのが一般的だったようです。つまり、免状が取れないと良いところに嫁にいけない!なんて嫌なルールでしょう。

姫さまはもしかすると殿様よりも勉強量が多かったかもしれません。

ここですでに負け組でいいです。と申告したくなりました。

 

政略結婚の姫さま

室町幕府の力が弱くなると、近隣の国との関係が緊迫すると姫さまの出番です。姫さまは同盟の証として人質という名のお嫁さんになります。有無も言わせず遠い国に嫁がされます。ですが、姫さまは落ち込みません!

政略結婚に選ばれたということは、いわば外交官兼スパイで賢く役に立つ女性だと認められたことになります。

ここからが賢い姫さまの活躍です。実家のために嫁ぎ先の動きを監視し、報告する。役目のせいで夫には不信感を抱かれ、人質として肩身の狭い思いをしたりすることも多かったようですが、超一流の姫さまをご紹介いたします。

外交官としても、スパイとしても一流の彼女の名前はお市の方

皆様ご存知の織田信長の妹です。はさみうちの情報を、小豆を入れた袋の両端を縛って、兄に差し入れして伝えたり、旦那様の子を5人も生んだりと大活躍しました。姫さまの血は綿々と続いていきます。

              

姫さまのお仕事

戦国時代の姫さまというと子供を産む道具にされた。というイメージがあります。事実それもありました。男と女の比率が7:3と圧倒的に男性が多かったのもあります。

姫さまはおポンチやぼんやりさんだと、政略結婚に向いてないとされ、国内の有力者のもとに嫁がされました。

姫さまの一番の仕事は家を守り子供を産み育てることです。この『家』。家族ではなくて『家制度』のことなんです。

『家制度』とは武家階級の家父長的な家族制度です。わかりやすく言うと家長の言うことは絶対で、次男よりも長男、女よりも男という制度です。お姫さまはこの家長の言葉に縛られています。嫁いでからも。家長の言葉から解き放たれるのは自分を縛った家長が亡くなり、自分の息子が婚家の家長になったときです。そして新たに自分の息子の、家長の言葉に縛られます。

その為か現存するこの時代の手紙の内容は、夫・子供・実家・預かっている人質などのことばかり…。お姫さまのお仕事、大変です。

私なら国内でも嫁ぎ先がなくてきっとお寺預かりになっていたでしょう。

 

姫さまの子供

この時代まだ小さいうちに婚約することもあります。初潮がくるまでは当然夫婦になりませんが、いざ夫婦になると男子を出産するまで妊娠を続けなくてはならない、体力勝負です。

また、幼い子供の養育も姫さまの大事なお仕事です。

家庭教師を探すのは母親である姫さまのお仕事です。特に跡継ぎの嫡男についてはコネをフルに活用し、高僧に来てもらいます。姫さま自身が教師になることもあるようでした。

一体どれくらい優秀なんでしょうか?!

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姫さまの側室探し

姫さまが側室を探して連れてくることもあります。目的は妊娠してもらうことと、繋がる家を増やすためです。(現代ではとても考えられませんよね・・・^^;)

子供の数は多ければ多いほどいいと言われました。一夫多妻制なので側室も正式な奥さんですが、旦那様が妻でない女と関係を持つと奥さんたちは怒り狂います。

家長と言えどこの怒りには抵抗できない人のほうが多いです。

結婚によるつながりを無視するのは、『家制度』の重大なルール違反なのかもしれないですね。

 

姫さまの裏方仕事

姫さまにはほかにいろんな、裏方の仕事があります。

例えば他家への贈答品の手配をしたり、戦の物資の手配もしていたようです。家同士の関係や、庶務的な事情を熟知していないと出来ない難しい仕事です。

冠婚葬祭に通じていないとなかなか難しいです。

冠婚葬祭は現代でもなかなか難物です。姫さまって…。

 

姫さまの戦

旦那様が戦に向かった時、姫さまは城に残って何をしていたのか?ここが見せ場です!

城代(じょうだい)としての役目があります。基本的な政務は旦那様の残していった留守居役(るすいやく)が行いますが、城代である姫はその政務の決済承認を行います。

基本は臨時城主としての役割をします。

旦那様が戦に敗れた場合は旦那様の受け入れの準備を整えたり、もし旦那様が戦で打ち取られるようであれば、幼子の後始末、自身の後始末、家の再興の段取りなど、状況によって変わってきます。

そこまでするんか!!という感じです。

 

旦那様の戦中

当時の男性は出陣する3日前から禁欲することが決まりで、女性を一切遠ざけ、生死を分ける戦の前に、精神を統一する意味合いもあったようですが、いざ出陣となるとこれは解禁(?)。御陣女郎(ごじんじょろう)と言われる女性が、兵士を接待しました。主に中級と下級武士がお客様でした。陣営の中は女人禁制なので近くに小屋を建てて接待をしました。

ただこの御陣女郎が曲者でなかにはくのいちというか、スパイも入り込んでいたようです。

 

姫さまの敗戦

この時代、敗北が決定すると姫さまと女児は助けられ実家に帰されます。顔見知りの高位の武将がいれば辱めを受けずに実家の陣営に帰れますが、顔見知りも居らず、自分が姫さまであることを証明できなければ、女子として最悪の最後を迎えることになります。

姫さまが優秀な場合は敗戦が濃厚になると実家の陣営から使者が迎えに出向いて姫さまとお子様(女の子)はご実家に迎えられます。

それがこの時代のお約束でした。

 

姫さまのその後

実家に帰ったから終わり・・・ではありません。姫さまが優秀な人材だと、次の勤務地に嫁がされます。そしてまたくりかえしです。

いくら優秀な外交官でも疲れます。お市の方は二人目の旦那様の柴田勝家と一緒に自害します。これは戦国時代の姫さまに珍しいケースです。

ですが彼女の3人の娘は逃がされます。3人の姫さまは三者三様の最後を迎えます。

長女の茶々は淀君として大阪城で自害。母親のお市の方と同じ最後をたどります。

次女のお初は京極高次(きょうごくたかつぐ)に嫁ぎ子供がいませんでしたが、一番平穏な生涯で三姉妹の中で一番長生きをしました。

三女のお江は3度の婚姻の後徳川将軍家に嫁ぎます。子供は徳川秀忠の間に2男5女をもうけます。しかも2度目の結婚でも女の子を1人産んでます。この女の子も京都の名門に嫁いでいます。

 

 

まとめ

  • 戦国のお姫さまは賢くなくてはいけない
  • 嫁いだら、外交官兼スパイの上に、嫁ぎ先の庶務もこなさなくてはならない
  • ことによっては側室も探す
  • 敗戦したら実家に戻れるがまた嫁がなくてはいけない
  • これが勝ち組なら、正直、負け組でいいかも…

代表的な名前の残っているお姫さまを主に調べてみましたが、いかがでしたでしょうか?

普通は「○○の」娘とか、妻とか、母とかで、名前が出てくることはまれです。単純に名前が出てきたら勝ち組かな、と思って調べてみましたが、すさまじい結果になりました。

私は負け組でもいいや…。と思ってしまいましたが、皆さんはどう思いましたか?

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