戦国時代

戦国時代の生活(服装・食事)はどんなだった?武将と平民ではどれくらい違ったのだろう?

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戦国時代はどんなものを食べ、服を着て、どんな恋愛をしていたのでしょうか。

そして、武将と平民での生活レベルはどれくらい格差があったのでしょうか。

今回は戦国時代の生活についてまとめてお伝えします。

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戦国時代の服装

戦国時代はどんな服装をしていたのでしょうか。武家と庶民では服装や食事にどのような違いがあったのでしょうか?

戦国時代の武家の男性の服装は、かみしもと呼ばれる服装です。

男性にとっては、正装の一種とされています。この服は、室町時代のひたたれの袖をきったものだとされています。応仁の乱以降、礼服であったとされています。

 

戦国時代の庶民の男性の服装は、主に小袖を着ていました。

夏には、暑いため袖のない服にふんどしのみで作業をしていたそうです。女性も主に男性と同じような服装をしていました。

戦国時代の服は主にどこで手に入れていたのかというと呉服屋です。呉服屋という名前は一度は聞いたことがあるかもしれません。当時は現代とちがって、服はとても高価なものとされていました。

既製品はありません。そのため、呉服屋が仕立てる服はすべてオーダーメイドです。武家や富裕層はみなオーダーメイドの服を着ていました。

では、庶民はどうだったかというと、庶民はオーダーメイドの服なんて着れるはずもありません。庶民が買っていたとされる服は基本的に古着でした。武家や富裕層がきていたお古が市場で売買されていたというわけです。1着あたりの値段は2000円ほどだったようです。

 

戦国時代の洗濯は基本的に、漬け置き洗いです。洗剤はなく、灰汁を使っていたとされています。灰汁は今の洗剤のように汚れが落ちるものではありません。そのため、当時の洗濯は非常に重労働だったとされています。

つまり、庶民が購入していた服は古着なので、汚れや匂いは結構ひどかったのではないかと予想できます。(ままぁ間違いなく臭いでしょう)現代でも古着は少し臭いなと感じることがあるからです。

現代のような進化している時代ですらとれない匂いはあります。戦国時代ならなおさらではないでしょうか。毎日のお風呂の習慣もないため、そもそもの匂いが強かったと考えられるでしょう。戦国時代の庶民は匂いのことは気にせず、我慢して古着を購入していたのでしょう。

 

下着は男性は主にふんどしでした。

女性はというと、もともと戦国時代の女性はノーパンです。現在のパンツのように履くような下着はありませんでした。一応、戦国時代に女性パンツはポルトガル人から豊臣秀吉の手に渡っています。ですが、女性がそれを履いていたとの記録はありません。

ただ、女性は何も履いていなかったというわけではありません。スカートのようなものを腰に巻いていました。このスカートは見えてもいいように、華やかな柄が使わたりしていて、女性の足元をキレイにみせるのに一役買っていました。

さて、こうなると心配なのは女性の生理です。もちろんナプキンなんて便利なものはありません。女性は生理になると、前垂れのあるフンドシ上の布を使用していました。見た目が馬ににていることから、「お馬」と呼び名がついていました。

このお馬の中にはボロ布を入れてあてがっていたとされています。布は洗ってなんども使い回していました。丸めて膣の中にいれるような、まるでタンポンのようなつかい方をしている人々もいたようです。

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戦国時代の食事とは

戦国時代の武士は何を食べていたのでしょうか。

まず、武士たちは戦となると、まず最初に陣営の構築などの土木作業が主な仕事でした。簡単にいうと肉体労働です。この時代の食事は、通常2回とされていました。

武士たちは2回では腹が減って仕事になりません。そのため、いつの間にか夜食がつくようになりました。これで計3回の食事です。この習慣が江戸時代に残り、現代まで伝わったとされています。

武士はお米を食べることができました。乾燥させて持ち歩いたりしていたのです。そして、重宝されたのが味噌と梅干しです。保存食やご飯のおかずとして重宝されていたようです。

 

天下人の食事事情

みなさんもご存知の天下人たちは何を食べていたのでしょうか。

織田信長

織田信長は、『大根の味噌漬け』や『ネギ味噌』が大好きでした。織田信長は濃い味を好んでいたようで、少しでも味が薄いと大激怒していたようですね。常に血気さかんに活動していたため、塩分を求めるのは当然だったのかもしれません。

 

豊臣秀吉

豊臣秀吉はタコが大好きでした。なかなかの美食家っぷりですね。特に好きだったのは味噌味のタコです。タコに含まれるタウリンは、脳の活性化や疲労回復に効果があり、秀頼の頭脳の活力の源になったと言われています。

また、戦の前には力をつけるため、虎の肉も食していました。戦国時代に虎の肉を食べられるとは、さすが天下人です。

秀吉は新しいもの好きでした。新商品が出るとまっさきに買ってしまうタイプに人間かもしれません。晩年に好んだとされるのはおかゆです。さすが、農家の出身だけあって、最終的にDNAがお米を欲したのでしょうか。

 

徳川家康

徳川家康は、「勝ち残るためには長寿最強である」と常々語っていた人物です。そのため、健康には人一倍気を使っていました。

好んで食べていたのが麦飯です。麦飯には、ビタミンDヤカルシウム、ミネラルが含まれています。麦飯と味噌のパワーで、人生で17人の女性を愛し続けました。

他の大名を圧倒するパワーです。みなさんも麦飯をたべることで、家康ほどのパワーを身につけることができるかもしれません。

 

庶民の食事

まず、庶民はほとんど米を食べることができませんでした。主食は、麦、あわ、ひえ、きびといったよな穀類でした。詳しくは下の記事を参照ください。

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なぜこんなに貧しい食事をしていたのかというと、戦国時代の税金は約70%もあったからです。

現在の日本のように、国で決まっている数字ではありません。それぞれを収めている大名によって決めれれていた税金でした。

現在でいうと、給料を月に20万稼いだとしても、14万円は国にとられ、残り6万円で生活するしかないといった具合です。現在は、約20%くらいでしたでしょうか。

戦国時代の税金はお米です。育てたお米を国に収めます。

 

そのため、当時の大名はそれはそれは豪華な食事をしていたようです。庶民から比べると、毎日が年末年始のような感じでしょうか。

庶民と武士の食事はあきらかに違いました。もちろん栄養分も大きく違います。税金が70%もあっては、豊かに暮らすのは無理でしょう。だからこそ、現代より、村の結束は強かったのかもしれません。

特に女性は、自宅の家事だけでなく、近所付き合いや村の付き合いというのも大事な大事な仕事でした。近所付き合いや村のつい会いを経て女性はコミュニケーションや教養を学んでいきます。

狭い世界なので、何かを失敗すれば、ずっと陰口を叩かれたりしていた世界なのでしょう。そういった中で、生き抜いてきた戦国時代の女性はやはりたくましいと思います。

 

 

まとめ

  • 戦国時代の男性はふんどしを履いていて、女性はノーパンだった
  • 平民はお米を食べることができなかった
  • 女性は周りとの付き合いが大変だった

総じて言えることは、戦国時代は戦続きで、とても庶民が豊かに暮らせる状況ではなかったということです。働けど、働けど、税金で取られ、それを戦で使われてしまっていました。

戦国時代の庶民はとても我慢強かったことでしょう。

こういったDNAがあってこその、昭和の経済発展だと思います。日本人が働くことへの意識が高いのはずっとずっとDNAで受け継がれているのでしょう。

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