[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]刀とか実際役に立ってたのかな?武将の鎧とか貫通しなそうだよね?隙間狙えば別だけど[/voice]
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]防御力高そうだけど、実際どうだろうね?俺は兜のほうが気になるな。「愛」とかオシャレな前立とか超邪魔そうなんだけど・・笑[/voice]
武士といえば甲冑をつけ、合戦では刀を振り回して戦っているイメージはありませんか?
実際の戦国時代の武器や刀、鎧(甲冑)や兜はどのようなものだったのか、歴史マニアの私が調べまとめてみました!
【戦国時代の武器編】意外過ぎる事実が目白押し
刀があまり役に立っていなかった
武将の武器と言えば「刀」ですよね?でも実は、合戦で最も頼りになる武器は刀ではなく「槍」だったのです。
というのも、戦国時代は甲冑などの具足類が鉄製や皮革製のものになった時代。従来の刀では太刀打ちできなくなったからです。そこで鎧のすき間をついて相手を殺傷できる槍が、刀よりも重宝されました。
また、戦い方のスタイルが集団による合戦形式になったことも大きく影響しています。遠くまで飛ばせることの出来る槍の方が、刀よりも効率的だったのです。
それでも兵士は大刀二本と短刀一本を携帯していました。大刀は、相手を叩いて倒すため。そして短刀は、接近戦になった時に喉を狙うためでした。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]さっそく意外な新事実だね。当時のメイン武器は刀ではなく槍だったワケだ[/voice]
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]兵士たちの鎧に合わせて、有効な武器も変化していったんだね。刀では有効な攻撃にはなりにくいと。[/voice]
じゃあ槍はどうやって使うの?
戦国時代の槍は騎馬武者が3m以上のものを使い、足軽は7mもの長い槍も使う事もありました。
使い方は振って叩いて敵をひるませ、乗馬している武将を落とすやり方をしていました。
逆に敵からの槍を槍で払う防御のやり方もあります。
そして姿勢を崩した敵兵を槍で刺し倒します。
槍は弓矢や鉄砲などの飛び道具があっても合戦では一番多く持ち込まれた武器でした。
刀で戦うイメージだったので、これは本当に意外でした。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]槍って振って叩いて使ってたんだ・・・槍撃でドスドスドス!とやるのかと思ったら、エイエイっ!って叩いてたんだね・・・笑[/voice]
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]っていうか足軽が使っていた槍の長さにビックリ!場合によっては7メートルもあったって・・・半端じゃない長さ![/voice]
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他にはどんな武器で戦ったの?
徳川家康と今川義元は東海道一の弓取りと讃えられました。戦国時代では武将の強さを讃える言葉は刀や剣ではなく、弓または槍が多いです。これは戦国時代が槍と弓が重要視されていた事を意味します。
弓はそうした意味、敵と槍を合わせる前に的に打撃を与えられる武器でした。
飛距離は至近距離で狙うなら50mで、遠くの敵には200mから300mほど届いたと言われています。弓は敵の軍勢の上に向けて放つ事が多く、これは弓なりに矢が飛び敵兵の頭上から攻撃できる長所があったからです。
鉄砲は鉄製の筒に弾と火薬を詰めて、着火している縄で火薬を点火し火薬の炸裂で弾が発射される仕組みです。戦国時代の飛び道具が弓矢ぐらいしかない中、鉄砲が天文12年(1543年)に種子島へ漂流したポルトガル人より伝来します。
戦国時代の鉄砲は確実に当てられる距離が50mと短いですが、弓矢よりも鉄砲は扱いやすく、威力も鎧を貫き発砲の音は敵兵や騎馬を脅かす効果もありました。
しかし火薬の原料の一つである硝石を海外から輸入したりしなければならず、(塩硝石の国内製造もありました)鉄砲は費用のかかる武器でもありました。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]弓矢が上から降り注ぐシーンをアニメとかマンガでよく見かけるけど、実際遠くまで飛ばすと200メートルも届いたのか![/voice]
こんな武器も合戦ではアリ⁉
合戦で使われた意外な武器に石があります。大きさは手のひらに収まるぐらいの小石です。その石を人の手または長い布で勢いをつけて投げてました。
戦国時代で投石を武器に戦う軍勢として、武田家の小山田信茂の軍勢が知られていますが、足軽が石を投げて戦うのは珍しいものではなかったようです。
日本の中世において、一般の民が集まって喧嘩をする際も石を投げ合う事をしていたので、割とよく使う武器だったのかもしれません。
硬い石をぶつけられれば、兜や陣笠をかぶっていても平気ではないですし、敵の足並みを乱すには良い武器といえます。
合戦で石を投げてるシーンがあったらなんだかカッコ悪いですね。イメージってすごく大事です…
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]石が当たったら地味に大ダメージなのはわかるけど、まさか石が有効活用されていたとは・・・[/voice]
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]チンピラのケンカやん[/voice]
戦国時代の甲冑ってどんなだったの?
戦国時代は鉄砲などの影響もあり、防御性を高めるために鉄を多用して体中を隙間なく覆う「当世具足」という形式の甲冑が作られるようになりました。
これが日本の甲冑の主流となります。
甲冑はこんな風に作られていた⁉
甲冑の材料は主体は鉄と革(牛、馬、鹿)、組紐ですが、さらに装飾や付属部品としてさまざまな資材が必要です。
革では犬・熊・猪・鮫などで、金属では金・銀・銅・銅合金(赤銅、山銅、真鍮など)などです。染織品は組紐のほか織物(錦、金襴、緞子、麻、木綿、ビロード、羅紗など)、その他木材・象牙・角・鼈甲・羽毛・獣毛なども必要になることがあります。
甲冑を作りあげるためにはいろいろ技術が必要となります。もっとも重要なのは鉄板を成形する鍛金技術と各部品をくみ上げる仕立ですが、鉄以外の金属加工、漆工、革工、木工、裁縫等の技術も必要です。
ひとつの甲冑を作り上げるには数年かかる場合があり、これらの技術のほかに大変な労力と資金が必要とされるのです。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"]やっぱり甲冑でお金と時間が大変にかかった装備だったんだ・・・武将だけが装備できる特別仕様なんだね[/voice]
甲冑の形式は大きく分けて小札製と板物製に分かれます。それぞれ、鉄または革を利用して、小札板を作り、それを上下に組紐、または韋紐で繋げます。この、上下につなげる作業を「威し」と言って、もっとも重要な作業です。
そして、数段繋げた板にいろいろな部品を取りつけて甲冑の基本となる胴、大袖、兜が完成します。この部品は、金具廻りと言って、主に鉄板で造られ、それに装飾として絵韋を貼ったり、飾り金物を付けたりします。金具廻りや兜の鉢は鉄板を打出し、組み立てて作り上げます。
また、当世具足はこのほかに腕を防御する籠手や大腿部を防御する佩楯、足の下半には臑当が付属しますが、それらも鉄板を成形して作られた部品を布地に縫い付けて作られています。
そして、これらの部品を着用するにはさまざまな紐が必要になります。おもに組紐や韋を利用しますが、それにもさまざまな組み方や染め方があり、甲冑でも重要な部品のひとつです。
あの美しい甲冑たちはこのように作られていたんですね。日本の技術は本当に素晴らしいですし、こうやって今でも現代に伝えられているのが素敵ですね。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]甲冑は技術の集合体だ!こういったところがやっぱり日本のモノ作りに影響しているのかな?[/voice]
戦国武将たちの兜は大いに派手だった⁉︎
戦国武将というと、ほとんどの方が何かしらの奇抜な兜をかぶった姿が頭に思い浮かぶのでは無いでしょうか。
戦国時代に戦働きをしていた武将達は、大勢の兵の中で己の活躍を手柄とする為にハッキリと主君に解らせる必要がありました。その為には、他の者よりも自分の戦う姿が目立つ事が大事になるのです。
そこで、目立つためにどんどんと奇抜な飾りを兜に付けて(兜の全面に付けられた飾りを前立てと言います)いくようになったのです。やがてそんな風習から、兜は武将達のトレードマークとしての認識が高まり、有名武将は自分のオリジナル兜をかぶる様になっていったのです。
そして、目立つ為に大きくなっていった兜は、動きという機能性も必要なことから、余り重い物が使えず、飾りの部分は鉄では無くて木や紙で作られて行きました。いわゆる、ハリボテです。
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]えええ?!あの前立てってハリボテだったの・・!?紙とかメッチャしょぼいやん・・・[/voice]
[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]今の再現兜とかだとキレイな金属だけど、当時の前立ては見るとガッカリするレベルだったかもね笑[/voice]
兜で有名といえば・・
伊達政宗の三日月の前立て兜ですね。他にも加藤清正は身の丈六尺三寸(約190cm)の大男で、とっても長い兜を被っていたそうです。
伊達政宗の兜・鎧(甲冑)と刀について!月型の前立て・・アレ何なん?
実はあの兜も含めた具足は、黒漆五枚胴具足(伊達政宗の兜や甲冑のコト)と言ってスターウオーズのダース・ベーダーのモデルになっているそうです。
直江兼続の『愛の前立て兜』も有名ですね。
石田三成の『乱髪兜』は髪の毛付だったり。こんな感じで、多彩なで奇抜な兜が多くありました。
戦国時代にはいろんな種類の兜があったので、お気に入りの兜を見つけてみると、楽しそうですね!
まとめ
[aside]
- 戦国時代では刀より、槍や弓などが主な武器であった。
- 日本の甲冑は素晴らしい技術のもとに作られていた、最高峰のものだった。
- 戦国武将たちは、自分の手柄をアピールするために個性的で派手な兜を被っていた。
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というのが今回のまとめです。
戦国時代の知られざる武器の秘密や、武将たちのエピソードが垣間見えました。
これからも日本の素晴らしい伝統文化が続くと良いですね!
今回は戦国時代の武器、甲冑(鎧)、兜について解説させていただきました!
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