江戸時代

新選組メンバーの愛刀とその特徴について!

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[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]新選組のメンバーはどんな刀を使っていたんだろう?[/voice]

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]凄腕集団だから名刀がたくさん使われているのかな?[/voice]

幕末の剣士の集団、新選組。治安を守ることが仕事ですから、真剣での斬り合いが常でした。勝敗は、腕前もあったでしょうが、刀の良し悪しも関係したはず。一体、彼らはどんな刀を使っていたのでしょうか。

新選組のメンバーの愛刀と、その特徴を調べてみました。

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近藤勇の愛刀

まずは、局長の近藤勇の愛刀から。

■「長曽祢虎徹(ながそねこてつ)

 近藤の刀としては一番有名。池田屋事件の後に養父宛の手紙に「刀が虎徹だったから無事でした」と書いています。でも、偽物説が有力。現物が残っていないので、何とも言えません。

■「陸奥大掾三善長道(むつだいじょうみよしながみち)」 :

作風が虎徹に似ていることから「会津虎徹」とも呼ばれています。これは、会津藩主松平容保から褒美にもらったもので、現存しています。

■「播州藤原宗貞(ばんしゅうふじわらむねさだ)」 

甲州行きの時に所持していました。老中板倉周防守から拝領したもの。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"] 近藤勇は「虎徹が血を欲しがっている」とか言っていたらしいよ・・・コワッ![/voice]

 

土方歳三の愛刀

■「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」 

室町時代にも同名の刀工がいましたが、こちらは江戸末期に会津藩で活躍した刀工。会津兼定とも呼ばれています。土方歳三資料館に現存。

■「越前康継(えちぜんやすつぐ)」 

越前北ノ荘藩主結城秀康(徳川家康の次男)のお抱え鍛冶。家康より「康」の字を賜り「康継」と改銘。茎に葵の御紋を切ることを許されたため、「葵御紋康継(あおいごもんやすつぐ)」とも呼ばれる。甲州勝沼戦後に佐藤源之助(佐藤彦五郎の長男)に贈られ、佐藤彦五郎資料館に現存。

 

芹沢鴨の愛刀

■「備後三原守家正家(びんごみはらのかみけまさいえ)」 :

新選組初代局長の芹沢鴨は、大阪で力士と乱闘事件を起こしていますが、この時に力士たちを斬ったのがこの刀です。芹沢は泥酔であったにもかかわらず無傷でした。暗殺された時に持ち去られたようで、行方不明。

 

沖田総司の愛刀

■「加州清光(かしゅうきよみつ)」 

池田屋事件で用い、帽子が折れて使い物にならなくなったのが、この刀。沖田が亡くなった日に捨てられたため、現存せず。

■「菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)」 :

子母澤寛の伝記に「沖田の刀は“菊一文字細身のつくり”」と書いてあるので、この刀をもっていたのではないかという噂があります。しかしながら、本物であれば当時の大名でさえ入手困難な代物。沖田が持っていたとは到底考えられないというのが定説。

例えば、「山城守国清(二代目)」は茎に菊の紋を切り、その下に「一」を刻みます。「菊一文字」とはこれのことではないか、という説もあります。

 

永倉新八の愛刀

■「播州住手柄山氏繁(ばんしゅうじゅうてがらやまうじしげ)」 :

池田屋事件の時に使っていたのが、この刀。激しい戦闘でボロボロになったようです。「手柄山」という名前は縁起が良いので人気がありました。現存せず。

 

斎藤一の愛刀

■「摂州住池田鬼神丸国重(せっしゅうじゅういけだきじんまるくにしげ)」 :

池田屋事件の二日後に刀研師が手入れをした記録が残っています。小さい刀傷が無数にあったという記述があり、激しい戦闘を物語っています。現存せず。

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日本刀の基礎を勉強しよう

新選組のメンバーの愛刀を見てきましたが、分かりにくい言葉が有りませんでしたか?しっかり理解していただくために、日本刀の基礎知識をまとめておきました。

日本刀は、作られた時代で古刀・新刀・新々刀の3つに分けられます。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]実は日本刀って種類があるんだよ~[/voice]

 

・古刀(~1595年製)

古刀は、慶長元年(1596年)より前に作られたものです。時代区分としては600年間くらいになるので時代背景も多様ですし、地方色も色濃く表れているのが特徴。

芹沢鴨の愛刀「備後三原守家正家」が古刀です。

 

・新刀(1596年~1763年製)

新刀は、慶長元年以降、明和元年(1764年)より前に作られたもの。慶長年間頃は天下も落ち着き、地方色が無くなりましたが、材料(鋼)の均一化や製法の革新などがあり、古刀とは明らかに区別できます。

新選組のメンバーが愛用した刀は、ほとんどが新刀です。江戸初期から中期に作られたものですから、太平の世を百年以上眠り続けた刀ということになります。

 

・新々刀(1764年~1867年製)

新々刀は、明和元年から慶応三年(1867年)までに作られたもの。新刀の約束ごとに捕らわれない自由な作刀をしようという動きが興りました。その一つが、簡素化された新刀の製法を見直し、砂鉄から制作した鎌倉時代の製法に戻ろうという復古主義です。他に、刀の形やデザインも多様なものが出ています。

土方歳三の愛刀「和泉守兼定」が新々刀です。

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・鑑定では茎がポイント

」という字が何度か出てきましたが、これは「なかご」と読みます。普通の人は、絶対読めませんね。刀身の根元、柄(つか)に隠れる部分を言います。

茎は普段は見えませんが、刀工の銘(めい)が刻まれます。流派によって形や模様など個性を表現。鑑定の際は重要なポイントです。

土方歳三の愛刀「越前康継」の茎には葵の御紋、沖田総司が持っていたかもしれない愛刀「菊一文字則宗」の茎には菊の御紋が刻まれていたわけですね。

見えないところにブランド名を記すところは、洋服のタグと似ています。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]ブランド名みたいなのが刀に入っているんだね[/voice]

 

・受領銘は国家資格

茎に刻む刀工の銘ですが、この銘には、受領銘(ずりょうめい)というのがあります。

受領銘は朝廷にお金を払って頂くものです。国家資格の認定証みたいなものですが、「第1級刀鍛冶師」みたいな分かりやすい名前ではなく、なぜか律令時代の地方官職名が使われています。

刀工が許された受領は「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」の三種類。新選組メンバーの愛刀では、近藤勇の「陸奥大掾三善長道」、土方歳三の「和泉守兼定」、芹沢鴨の「備後三原守家正家」に受領銘が付いていますね。

 

・鎬を削る

刀身の横の部分が鎬(しのぎ)。激しく争うことを「しのぎを削る」と言いますが、この「しのぎ」のことです。

鎬を使った鎬技が得意だったのが、永倉新八だと言われています。相手が打ち下ろす刀を、下段から鎬で受けて跳ね上げて、上段から打ち下ろして…バサリ!

池田屋事件の時は永倉の愛刀「播州住手柄山氏繁」がボロボロになったということですが、まさに鎬を削った結果ですね。

竹刀剣道では鎬技を利かせることは難しいのですが、実戦経験(文字通りの真剣勝負)が豊富な剣術者は鎬技がうまかったようです。

 

・帽子は大事

刀の先の方、切先の焼刃を帽子(鋩子とも書きます)と言います。ここは刀工の技量が顕著に表れる場所。作り込みが大変なのです。

例えば、刀の長さを短くしたいという場合、先っちょを折ると簡単なように思いますが、折った先っちょに帽子を作ることはできません。根元の方を切って作り直すことになります。

沖田総司は連続突きを得意としました。有名な「三段突き」は、構えから踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に3発の突きを繰り出すというものです。スローで見てみたいですね。

技としては凄いですが、帽子にかかる負担はおそらく3倍以上。池田屋事件では、愛刀「加州清光」の帽子が折れてしまいました。鍛冶屋に修理を依頼していますが、断られています。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]さすが沖田総司・・刀が技に耐えられなかったのかもしれません[/voice]

 

・新刀は反りが浅い

最後に、刀身の形について。刀身の根元、鍔(つば)が付いている辺りから切先まで直線で結んだ時、この直線から刀身の真ん中へんがどのくらい前に出ているか、これが「反り」になります。

新選組メンバーが主に使った新刀は反りが浅いのが特徴です。真っすぐに近い刀は、永倉が得意の鎬技や沖田が得意とする突き技に向いています。

鎬技も突き技も、甲冑着用を前提とした戦国期には未発達で、江戸期に入ってから磨かれました。新刀も江戸期に入って、この技の変化に呼応する形で反りを浅くしていったと考えられます。

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まとめ

[aside]

  • 近藤勇の愛刀は、長曽祢虎徹、陸奥大掾三善長道、播州藤原宗貞など。虎徹は偽物の疑いあり。
  • 土方歳三の愛刀は、和泉守兼定、越前康継など。和泉守兼定は新々刀。
  • 芹沢鴨の愛刀は、備後三原守家正家。古刀。
  • 沖田総司の愛刀は、加州清光。菊一文字則宗を持っていたとも言われているが、高価なため考えられない。菊一の異名を持つ山城守国清あたりではないかと思われる。
  • 永倉新八の愛刀は、播州手柄山氏繁。
  • 斎藤一の愛刀は、播州住池田鬼神丸国重。
  • 日本刀は作られた時期から、古刀(~1595年製)新刀(1596年~1763年製)新々刀(1764年~1867年製)に分けられる。
  • 新選組のメンバーが使っていたのは、ほとんどが新刀。
  • 茎(なかご)には刀工の銘が切られ、鑑定の際のポイントとなる。
  • 刀工の銘には、受領銘という、朝廷からもらう認定証のようなものがある。
  • 永倉新八は鎬技が得意だった。
  • 沖田総司は突き技が得意だった。
  • 刀の先端の帽子が折れてしまうと修理できない。
  • 新刀は反りが浅く、鎬技や突き技を使いやすい。

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刀の名前というか、刀工の銘は、凄い名前ばかりでビックリしました。

テニスで言ったら、ラケットのブランドとか型番みたいなものでしょうか。相手のラケットを見た時、それが欲しかったけど高くて諦めたラケットだったりしたら、その瞬間「負けた!」と思っちゃいますね。

真剣勝負の場合、負けは死を意味しますから、刀は吟味したでしょうし、手入れも入念だったでしょう。近藤勇は愛刀を「虎徹」と呼んで手入れを怠らなかったようですが、偽物だったら笑ってしまいますね。

なんだか、刀が欲しくなってしまいました。あなたは、誰の刀に興味を持ちましたか?

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