江戸時代

【新選組】主要メンバーの名前や人物像について!エピソード付きでご紹介~

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新選組。おそらく誰もが名前くらいは聞いたことがあると思います。でも、「そのメンバーは?」となると、意外と知らない人が多いのではないでしょうか?

幕末の京都の治安を守るために結成された新選組は、最大で200名くらいの規模になりました。その中から選りすぐりの主要メンバー9人をピックアップしました。ゲームのモンスターストライクや薄桜鬼などでもおなじみの、ある意味現在も活躍中のメンバーです。その人物像とは!?

では、局長の近藤勇から見ていきましょう。

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局長:近藤勇(こんどういさみ)

剣術は天然理心流宗家四代目を襲名。天然なんて言うとボーっとしてる感じがしますが、違うんでしょうね。

愛刀の長曽祢虎徹を「虎徹」と呼んで可愛がっていました。怖いです。しかも「今宵の虎徹は血に飢えている」と言うのが口癖。吸血鬼みたいです。

新選組の初代局長は芹沢鴨でしたが、意見が合わなかったので暗殺しました。きっと、虎徹が血を欲しがったのでしょう。

そんな近藤の生没年は1834~1868年。武蔵国多摩郡上石原村(現在の東京都調布市野水)の百姓の三男として生まれました。天然理心流剣術道場の試衛館(現在の東京都新宿区)の仲間と一緒に、浪士組(最初は新選組とは呼ばなかった)に入隊しました。

 

 

副長:土方歳三(ひじかたとしぞう)

副長の土方は、規則に厳しかったので「鬼の副長」と呼ばれていました。隊の規則を決めたのも土方で、裏切者やはみ出し者は容赦しませんでした。

剣術は天然理心流を習っていたので、それで近藤と知り合いました。剣術の腕前はそれほどでもないようなのですが、セオリーに反するテクニックをいろいろ知っていたので、実戦ではやたら強かったようです。

色白で引き締まった顔立ちをしていて、しかも当時としては長身だったので、女性からはモテました。芸者や舞妓からもらった恋文を大量に箱詰めして、郷里の友達に送り自慢したそうです。はっきり言って、嫌な奴ですね。

生没年は1835~1869年。武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)の農家に10人兄弟の末っ子として生まれました。天然理心流に正式に入門してからは、ずっと近藤の右腕となっていました。

 

 

参謀:伊東甲子太郎(いとうかしたろう)

伊東は北辰一刀流の伊東道場の婿養子。剣だけでなく学問にも優れていました。その上、容姿端麗、弁舌巧み。伊東道場はかなりの門弟を抱えていた大道場でしたから、新選組などには入らなくとも良かったのでしょうが…。

新選組には、伊東道場の門弟の藤堂平助(後述)の仲介で入隊しました。いきなり参謀(局長、副長に次ぐポスト)に抜擢という破格の待遇で迎えられました。

しかしながら、伊東は水戸藩仕込みの尊王派(天皇を中心とすべきという考え方)で倒幕を考えていたので、幕府を守ろうとする近藤や土方とはすぐに意見が合わなくなりました。

やがて伊東は新選組を離脱し、御陵衛士を結成しました。これを近藤は許せなかったのでしょう。伊東は近藤に呼ばれて、妾宅で接待を受けました。酒に酔って家に帰るところを新選組によって暗殺されました(油小路事件)。

生没年は1835~1867年。常陸志筑藩士の長男として生まれています。水戸に遊学して、水戸藩士から剣術(神道無念流剣術)や水戸学(勤王思想)を学びました。後に、江戸深川中川町の北辰一刀流剣術伊東道場に入門。その後は上記のとおりです。

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総長:山南敬助(やまなみけいすけ)

山南は小野派一刀流免許皆伝。さらに北辰一刀流の千葉周作の門人でした。試衛館に他流試合を挑み、近藤勇に敗れたのがきっかけで、試衛館の門人と行動を共にするようになりました。文武両道に優れていたので頭脳面での活躍も期待され、局長、副長に次ぐ総長となりました。

ところが、伊東甲子太郎が入隊すると状況が一変しました。伊東とキャラがかぶってしまったんですね。伊東も山南と同じ北辰一刀流で、後から入隊したにも関わらず参謀(総長より上)という破格の待遇で迎えられたため、山南は居場所がなくなってしまいました。

山南は「江戸へ行く」と置手紙を残して失踪!失踪した者の末路はですが…新選組では脱走=切腹という決まりになっていました。山南が弟のように可愛がっていた沖田総司(後述)に捕縛され、そして切腹したのです。介錯も沖田が泣く泣く行いました。

生没年は1833(推定)~1865年。仙台藩の脱藩浪士と考えられています。

 

 

一番隊組長:沖田総司(おきたそうじ)

沖田は天然理心流と北辰一刀流の免許皆伝でした。新選組の撃剣指南。仲間内では「本気で立ち会ったら師匠の近藤もやられるだろう」と言われていました。

凄腕の一番隊組長という顔とは裏腹に、いつも冗談を言って笑っているような陽気な人物でした。屯所界隈の子供たちともよく遊んでいました。小説などでは「病弱で色白の美少年」として描かれることが多いのですが、「ヒラメ顔で笑うと愛嬌があり色黒」とか「肩の張り上がった」「猫背」と書いた文献もあります。残念ながら写真は残っていないようです。

近藤や土方のように花柳界で遊ぶようなことはあまりなかったようです。試衛館で手伝いをしていた女性から告白されたことがありましたが、「修行中の身ですので」と断ったそうです。真面目ですね!

生没年は1842(推定)~1868年。江戸の白河藩屋敷(現在の東京都港区西麻布)で生まれたとされています。9歳ころから試衛館の内弟子となっています。

諸説ありますが、1867年頃から肺結核を発症し、病気療養の末に亡くなりました。

 

 

二番隊組長:永倉新八(ながくらしんぱち)

永倉は神道無念流の本目録を18歳で取得した腕前。剣術好きが高じて、脱藩して剣術修行の旅に出て、試衛館の食客となりました。以後、近藤らと行動を共にしています。

とにかく我武者羅(がむしゃら)な性格。どんな相手にも刀一つで突撃し、防具がボロボロになるまで戦い続ける豪胆ぶり。

近藤に我儘な振る舞いが目立つようになると、斎藤一や原田左之助ら(いずれも後述)と一緒に近藤を諫めました。

生没年は1839~1915年。松前藩江戸定府取次役の次男として、同藩上屋敷(現在の東京都台東区小島二丁目)に生まれました。無茶な戦いぶりでしたが、新選組解散の後まで生き残りました。強かったんですね。

 

 

三番隊組長:斎藤一(さいとうはじめ)

19歳の時に江戸で旗本と口論になり斬ってしまい逃亡。父親の友人がやっている京都の剣術道場(吉田道場)に身を隠しましたが、そこで師範代を務めるまでに上達しました。人間、何が幸いするか分かりませんね。

新選組では撃剣師範となり、粛清役を多く務めたようです。伊東甲子太郎が新選組を離脱して御陵衛士を結成した時には、スパイとして御陵衛士に潜入しています。油小路事件は斎藤がもたらした情報に基づいて行われたようです。

生没年は1844~1915年。出身地は江戸とも播磨国(明石)とも言われています。新選組復帰後、戊辰戦争に参加。生き残って、警視庁の警部補になっています。『るろうに剣心』には警部補として登場していますね。

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八番隊組長:藤堂平助(とうどうへいすけ)

斎藤一と共に新選組では最年少幹部の一人。十代半ばで北辰一刀流目録を取得しています。伊東道場に出入りしていた時もあり、それが縁で伊東甲子太郎の新選組入隊を仲介しています。伊東が新選組を脱退して御陵衛士を結成した時は、行動を共にしました。

油小路事件の際に、伊東甲子太郎の遺体を奪還するために罠と知りつつ現場に向かい、待ち伏せしていた新選組隊士たちに斬られました。

生没年は1844~1867年。武蔵国に生まれて江戸で育ったといわれています。御陵衛士時代に砲術の免許を取得しました。モンストの藤堂平助が大砲を持っているのはこのためですね。

 

 

十番隊組長:原田左之助(はらださのすけ)

槍の名手で、種田流槍術(宝蔵院流槍術)の免許皆伝の腕前。モンストの原田左之助も槍を持っていますね。

龍馬暗殺の下手人として疑われたりもしました。現場に落ちていた鞘が原田の所持品だと伊東甲子太郎が証言したためです。それで仲が悪くなったかもしれません。油小路事件では伊東甲子太郎暗殺に参加しています。

生没年は1840~1868年。伊予松山藩に生まれました。鳥羽伏見の戦いは新選組として参加していますが、その後、脱退。彰義隊として、上野戦争での負傷で死亡しています。

 

 

【まとめ】新選組の主要メンバー

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  • 局長】近藤勇(こんどういさみ):邪魔者は平気で暗殺してしまう怖い人。愛刀を虎徹と呼んでペットのように可愛がる。
  • 【副長】土方歳三(ひじかたとしぞう):規則に厳しい「鬼の副長」。もらった恋文を友達に送り付けて自慢する嫌な奴。
  • 参謀】伊東甲子太郎(いとうかしたろう):文武両道、容姿端麗、弁舌巧み。新選組を離脱したために、新選組から暗殺された。
  • 【総長】山南敬助(やまなみけいすけ):文武両道で頭脳面の活躍を期待されたが、伊東の入隊で居場所を失う。失踪したため、新選組の掟に従い切腹。
  • 一番隊組長】沖田総司(おきたそうじ):剣の腕は師匠の近藤をも凌ぐと言われた。女性には真面目。肺結核で療養の末に亡くなった。
  • 【二番隊組長】永倉新八(ながくらしんぱち):とにかく我武者羅な性格。無茶な戦いを繰り返したが、新選組解散の後まで生き残った。
  • 三番隊組長】斎藤一(さいとうはじめ):主に粛清役を務めた。離脱した伊東の下にスパイとして潜入し、暗殺のための情報を入手した。新選組解散後も生き残った。
  • 【八番隊組長】藤堂平助(とうどうへいすけ):砲術の免許を持っていた。伊東を新選組に引き入れたが、一緒に離脱。伊東と共に新選組に暗殺された。
  • 九番隊組長】原田左之助(はらださのすけ):槍の名手。伊東の証言で龍馬暗殺の嫌疑をかけられたため、伊東暗殺に参加した。新選組脱退後、彰義隊として戦死。

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以上、新選組の主要メンバー9人の名前と人物像を見てきました。京都の治安を守るのが目的だった訳ですが、内紛が多く、自分たちが起こした事件の方が多かったんじゃないか?と疑いたくなるほどです。

新選組が活動していたのは、たったの6年。それなのに、新選組を題材にした小説、アニメ、ゲームはたくさんあります。一人一人がひとつの物語の主人公になれるくらい個性的だからなのでしょうね。

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