江戸時代

新選組の最期は?生き残りはいたのか!?

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幕末の京都の治安を守るために結成された新選組。しかし、時代は大きく動きます。明治維新へとつながる戊辰戦争に、彼らは幕府側として参戦しました。

はたして、新選組の最期は・・・?生き残った人はいたのでしょうか?

いたとしたら、明治の世をどのように生きたのでしょう?

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新選組の最期

戊辰戦争が勃発したのは1868年。この年は、元号が慶応から明治に変わった、江戸時代最後の年です。一年半にわたる戊辰戦争の期間中、新政府軍は鳥羽伏見(京都市)→関東→東北→箱館と進軍していきました。

五稜郭陥落で戦争が終結するまで、多くの新選組のメンバーが戦死、処刑、あるいは病死という形で亡くなっていきました。戊辰戦争終結の四日前に新選組は降伏し、解散となります。以下、おおまかに見てみましょう。

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  • 1868年1月3日 : 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争勃発)。
  • 1868年3月 : 新選組は甲陽鎮撫隊と名前を変えて甲府城に進軍しますが、甲州勝沼の戦いで敗退。江戸にもどったところで、永倉新八と原田左之助が離隊して靖兵隊を結成。
  • 1868年4月 : 新選組は下総流山(現在の千葉県流山市)に布陣。しかし、すぐに新政府軍が包囲。局長の近藤勇は投降し処刑されました。副長の土方歳三は数名の隊士と旧幕府軍に合流。その他の隊士は斎藤一と共に会津へ。
  • 1868年5月 : 原田左之助が上野戦争での負傷がもとで死亡。療養中だった沖田総司は肺結核で病死。
  • 1868年8月24日 : 斎藤一ら13人は会津に残留。以後、会津藩と行動を共にしました。
  • 1868年10月26日 : 旧幕府軍、箱館・五稜郭に入城。
  • 1869年5月11日 : 土方歳三が狙撃され戦死。
  • 1869年5月14日 : 相馬主計が新選組局長に就任し、降伏。
  • 1869年5月18日 : 旧幕府軍降伏(戊辰戦争終結)。

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箱館では土方歳三が戦死したので、相馬主計が急遽局長となって新選組の幕を閉じました。新選組解散まで生き残っていた幹部は永倉新八と斎藤一の二人だけです。

新選組隊士たちの行動を大きく3つのパターンに分けてみました。

パターンA : 近藤勇投降前に離隊した人たち

・パターンB : 会津戦争で投降した人たち

・パターンC : 箱館戦争で投降した人たち

 

パターンごとに生き残った人を見ていきましょう。

 

 

パターンA:近藤勇投降前に離隊した人たち

甲州勝沼の戦いから江戸へ敗退してきた段階、つまり近藤勇投降前に離隊した幹部は永倉新八と原田左之助です。甲州勝沼での負け戦で、いろいろ不満があったのかもしれません。

「やってらんねえな?俺たち抜けちゃおうぜ。今なら暗殺もされないだろうから」と相談したかどうかは分かりません。二人は靖兵隊を結成して、さっさと離隊してしまいました。

この後、原田左之助は靖兵隊とも別行動をとり、彰義隊に入って上野戦争に参戦。宝蔵院流槍術免許皆伝の腕を見せつけて大暴れしたことでしょう。でも、残念ながら負傷してしまい、その傷がもとで亡くなっています。

 

生存者 永倉新八の場合

一方、永倉新八(ながくら しんぱち)の方は靖兵隊として北関東で戦いました。その後、米沢藩滞留中に会津藩の降伏を知り、江戸に帰還。若い時に松前藩を脱藩していましたが、松前藩士としての帰参が認められました。

藩医の杉村介庵の娘と結婚して婿養子となり、杉村治備と改名。小樽や東京に転居して、剣術を教え続けたようです。

我武者羅で有名だった彼は暴れ足りなかったようで、日清戦争開戦時に抜刀隊に志願。しかしながら55歳という年齢もあり、「お気持ちだけ」と丁重に断られたとのこと。大正4年(1915年)1月5日、虫歯を原因とする骨膜炎、敗血症を発症し、小樽にて死去。享年77歳。

晩年に『小樽新聞』の取材を受けて回顧録を口述。それをまとめたのが『新選組顛末記』です。それまでの「新選組は悪の人斬り集団、悪の使者」という固定観念を覆しました。

 

その他の生存者

戊辰戦争勃発前に新選組を離隊した人も含めると、パターンAで生き残った人は他にもいます。分かっている人を亡くなった順に列挙しておきます。()内は没年です。

大石鍬次郎(1870)、三浦啓之助(1877)、阿部十郎(1907)、篠原泰之進(1911)、鈴木三樹三郎(1919)、近藤芳助(1922)、井上泰助(1927)。

 

 

パターンB:会津戦争で投降した人たち

甲州勝沼から江戸へ敗退してきて、態勢を立て直すべく布陣したのが下総流山(現在の千葉県流山市)です。しかし、すぐに新政府軍が包囲。局長の近藤勇が投降し処刑されました。近藤は他の隊士たちの助命嘆願をしたのでしょう。土方歳三は隊を二つに分けて、その一つを斎藤一に託します。この人たちが会津戦争に参戦しました。

生存者 斎藤一の場合

斎藤一(さいとう はじめ)らは会津藩の指揮下に入り、白河口の戦い、母成峠の戦いなどに参加しました。緒戦に敗退した会津藩は1868年9月22日に降伏しましたが、斎藤らは戦いを続行。会津藩主松平容保の使者による説得で、やっと投降しました。

会津藩は改易され会津松平家は家名断絶。しかし、下北半島で斗南藩として再興を許されました。斎藤は斗南藩士として同行しています。そして、結婚。3人の子供をもうけました。

1874年、東京に移住。警視庁に採用され、警部補まで昇進しました。1915年(大正4年)、胃潰瘍のため死去。享年72歳。

生存者 池田七三郎の場合

池田七三郎(いけだ しちさぶろう)は、斎藤一と共に会津戦争に参加しました。投降後は東京に護送され、その後放免となりました。1938年(昭和13年)、90歳で死去。新選組隊士中、最も長生きで、亡くなったのも最後。「新選組最後の生き残り」と言われました。

その他の生存者(パターンB

他に会津で投降して生き残った人は、斎藤一諾斎(1874)、松本捨助(1918)がいます。()内は没年です。

 

 

パターンC:箱館戦争で投降した人たち

下総流山で近藤勇が投降した後、土方歳三は旧幕府軍に合流しました。これに同行した人たちは箱館に渡り、新政府軍と最後の戦いをしました。会津で戦った後、箱館に渡った人もいます。

生存者 島田魁の場合

島田魁(しまだ かい)は、鳥羽伏見、甲州勝沼、流山、会津、宇都宮、仙台、箱館と転戦しました。降伏後は名古屋藩預かり。謹慎が解けると、京都で剣術道場を開きました。晩年は、かつて新選組の屯所となった西本願寺の夜間警備員を勤めましたが、1900年(明治33年)勤務中に倒れ死去。享年73歳。

『島田魁日記』など様々な記録を残しており、後世の新選組研究に貢献しています。

生存者 大野右仲の場合

大野右仲(おおの うちゅう)は戊辰戦争の最中、仙台で新選組に入隊。土方歳三直属の部下となり、最後まで補佐役を勤めました。

降伏後は、なんと新政府に仕えました。どういうわけか千葉、長野、青森各県の要職を歴任しています。1911年(明治44年)死去。享年76歳。

箱館戦争の記録『函館戦記』を書き残しました。

その他の生存者(パターンC

箱館戦争で投降して生き残った人はたくさんいます。分かっている人を亡くなった順に列挙しておきます。()内は没年です。

森常吉(1869)、横倉甚五郎(1870)、安富才助(1873)、市村鉄之助(1873)、中島登(1887)、尾関雅次郎(1892)、立川主税(1903)、関川代次郎(1909)、山野八十八(1910)、谷口四郎兵衛(1911)、田村銀之助(1924)、佐々木一(1926)、高木貞作(1933)。

 

 

まとめ

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  • 新選組は戊辰戦争に参戦し、メンバーは様々な場所で、戦死したり投降したりした。
  • 行動パターンは以下の3つに大別できる。(A)近藤勇投降前に離隊した人たち (B)会津戦争で投降した人たち (C)箱館戦争で投降した人たち。
  • 局長の近藤勇は下総流山で投降し、処刑された。
  • 近藤投降前に離隊し、生き残った人たち(パターンA)の中には永倉新八(幹部)がいた。
  • 会津戦争で投降し、生き残った人たち(パターンB)の中には斎藤一(幹部)、池田七三郎がいた。
  • 池田七三郎は、「新選組最後の生き残り」と言われた。
  • 箱館戦争で投降し、生き残った人たち(パターンC)の中には島田魁、大野右仲がいた。
  • 副長の土方歳三は箱館戦争中、狙撃されて亡くなった。
  • 生き残った人たちは新選組に関するいろいろな記録を残し、それまで新選組に下されていた悪い評価を覆した。

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幕末の混乱期に集められた浪人たちの集団、新選組。個性派ぞろいで、様々な生き方(死に方?)をしていますね。

局長の近藤勇は残酷だという評判もありましたが、隊士たちを守るために投降。トップとして立派です。副長の土方も生き残ることは考えていなかったようですね。勝利か死か、それ以外には無いという覚悟が感じられました。

逆に生きたければ、投降して生き伸びることは難しくなかったようですね。永倉新八の我武者羅ぶりは笑ってしまいました。島田魁は若き日の思い出にひたりながら晩年を過ごした感じですね。大野右仲は昨日まで敵だったのに、どうやって新政府の要職に就けたんでしょうか。処世術を学びたい!

あなただったら、どんな生き方を選びますか?

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