平安時代

平将門の乱とは?「怒り」と「女」が原因だったのか!?

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みなさんあまりなじみがない方が多いのではと思います。

そこで、将門とはどんな人だったのか?

平将門の乱とはどのようなできごとだったのか、迫ってみます!

将門の乱を説明するまえに彼の生い立ちからお話をさせてください。

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平将門の生い立ち 将門は天皇の子孫だった?

実は将門、桓武天皇の子孫だったのです。桓武天皇のひ孫にあたるのが、高望王という人。高望王は、時の宇多天皇の命により「平」の姓を賜り、臣籍降下(皇族の者がその身分を離れ、姓を与えられ一般庶民になること)した人でした

なぜ臣籍降下しなければならなかったのか?みなさん疑問ですよね?現在と違い、昔は多くの皇子が誕生していました。実際に天皇になれるのは長男などごくわずかで、兄弟でも下のほうになってくると、皇位継承の道はないものに等しかった。

さらには、皇位の身分を利用して悪さをするやんちゃな皇子 苦笑 もいて、そんでもって一定のお金も与えられていたため、国家財政を圧迫。要はただ飯食いですね。苦笑

そこで始まったのが、皇位継承の見込みがなくなった皇子たちに姓を与えて臣籍降下させられる案でした。その皇子の中の1人が高望王でした。高望王は、上総国(現在の千葉県)に上総介(かずさのすけ)という国司の役職で京から赴任。いわば1つの国を取り仕切る長官って感じです。高望王は、3人の息子たち(長男・国香、次男・良兼、三男・良将)を連れて赴任していました。

高望親子は、任期が過ぎても京に戻ることはなく、上総国にとどまり、息子たちを地元の有力者の娘たちと結婚させます。当時上総国は未開の土地だったため、高望王は、息子たちを地元の娘たちと政略結婚させることによって、平氏の勢力を上総国で強大にする野望があったのです!そして生まれたのが「武士」という者たち。3人の息子のうち、末っ子の良将こそが将門のお父さんでした。

 

親戚同士で権力争い?

良将はほどなく結婚するのですが、相手の名はなんと県犬養春枝女(あがたのいぬかいのはるえのむすめ)長い!笑 春枝女が将門の母に当たるわけです。やがて、待望の男子が産まれます。この男子こそが将門!

将門は成人すると、朝廷で中級の官人として働き始めます。さらにはコネを作るため、摂関家であった藤原忠平の下で、付き人になったりしています。すべては、京でのノウハウを地元上総で生かして、父の右腕として活躍したいという気持ちが将門にはあったと思いますね。

将門が一時的といえども、上総を離れたことが、後の「平将門の乱」の要因となったことは確かだと思います。将門は父・良将の死をきっかけに上総に舞い戻ります。故郷へ戻った将門はがく然とします。

父が亡くなったことをいいことに、父の所領を伯父・国香と叔父・良兼にほとんど横取りされてしまっていたのです!ショックと怒りの中で、将門は拠点を下総国豊田(現在の茨城県)に移すことになりました。

しかし、もう1つ乱の原因があるといわれています!

それは「女論」です。女論って感じですよね?わかりやすくいうと「女関係をめぐる争い」です。笑

女をめぐって将門の乱が起きた!?嘘だろって思いますよね。苦笑 どうやら、将門が叔父・良兼の娘を妻(つまり将門には従妹にあたります)にしようとしたところ、常陸国(現在の茨城県)の有力武士・源護(みなもとのまもる)の長男・扶(たすく)が横恋慕して、一族入り乱れての将門の乱に発展したのではという説ですね。

昔の大河ドラマ「風と雲と虹と」では、この辺の出来事が描かれていましたね。主演の将門役が若き日の加藤剛さんで、馬に乗ったまま、良兼の娘役の真野響子さんを家臣たちから強奪していましたね。笑

あながち嘘ではないと思いますが、私は、源一族が平氏を牛耳ろうとしたことが発端ではと考えます。それは、国香良兼兄弟はそれぞれ源護の娘を妻にしていますが、将門の父・良将だけは他の家の娘。この辺から良将は孤立してしまったと思いますね。そんでもって兄たちより早く亡くなってしまい、将門も京にいたので、国香らに国を奪い取る絶好のチャンスを与えてしまいました。国香らに将門を倒せとけしかけたのは、源護だったと私は推測しますね。ラスボス的な感じというか。

 

打たれ強い将門?

源護は、将門の命を狙います!そこで、扶、隆、繁の3兄弟を常陸国野本にいる将門の襲撃に向かわせます!将門危うし!

しかし将門は、自分を殺しにきた3兄弟と壮絶な戦いとなり、なんと全員を返り討ちに!すごいです。笑 逆に逃げる扶を追いかけ護のいる常陸国真壁に攻め入って、周辺を焼き払ってしまいます!将門は源一族のみならず、伯父・国香が統治していた常陸国石田にも攻め入り、国香のいた館に火をつけると、国香を焼死させてしまったのです。

この頃の戦いって、戦国時代より地味だけどなんとなくエグイ感じがして苦手ですね。平安時代より前の時代の話なので、感覚的に人間というより動物に近い感覚で戦いを行っていたのではと。だからこそ残酷さもすごいというか。

 

二人のキーパーソンの出現?

この2人の男との出会いが、私は将門の人生を変えたといっても過言ではないと思います。1人目は、平真樹です。真樹は、将門のいた常陸国及びその中にある新冶郡を束ねる豪族でした。真樹はある人物と土地をめぐってたびたび争いを起こしていました。なんと将門の天敵・源護だったのです。

土地をめぐる争いの調停として、真樹は将門に仲裁を依頼します!そこから急速に将門と真樹の間には強い信頼関係が生まれたのです。将門にとって真樹は、よき理解者となっていきました。それに将門は真樹の娘を正室にむかえています。だからこそ、実父を亡くした将門にとって真樹は第2の父のような存在だったのではないでしょうか。

もう1人が、「興世王」という人物です。王というぐらいなので、皇族の1人でした。

平氏の祖である桓武天皇の皇子・伊予親王の玄孫にあたる人。この伊予親王というのが、謀反の疑いをかけられて毒を飲んで自害した経緯があったので、その子孫である興世王は、王以上の位(天皇の皇位継承)は望めない不遇の生活を強いられていました。

そんな中、興世王は武蔵国(現在の東京都、神奈川県、埼玉県の一部)の国司として京から派遣されます。同じく派遣された源経基とともに、土地調査に乗り出します。国司派遣以前、土地調査は行われてなく、足立郡の郡司(国司の下の役職)武蔵武芝が調査を断固拒否。すると、興世王と経基は、郡家(今でいう役所)を襲撃してしまいます。武芝は逃げ延びると、文書でお金や物の返還を求めます。けれど、興世王や経基は聞く耳を持ちません。苦笑 むしろ威嚇するなど徹底抗戦の構え。

そこで、元来正義感が強く、人つてにことの事態を知った将門が人肌脱ぎます!軍を携えて山で立てこもっていた興世王らと武芝を和解させようと試みます!

ところが、単なる連携ミスなのか、武芝の作戦なのか、武芝の軍勢が経基の営所(兵がつめている場所)に押し寄せてしまうのです。びっくりした経基は、あわてて京へ逃げ帰ってしまいます。

京へ帰った経基は、なんと興世王、武芝、将門の3人が結託して謀反をはかっていると、将門のかつての上司・藤原忠平に直訴!忠平は賢い人なので、詳しく事実を調べていくと、経基の虚言だということがわかり、将門ら3人は「私たちは無実です」と証明書を忠平あてに送ると、疑いは晴れ、逆に経基のほうが虚偽告訴等罪で、左衛門府という朝廷などを警護する役所で拘束の身に。

朝廷は、関東での将門の評判を知り、官位を与えようと考えたりしていたようです。このころまでは朝廷と将門の関係は良好だったといえますね。将門が一番輝いていたときだと思います。

 

頼まれたら断れない?実際は周りに巻き込まれた感が強かった?

将門は、次第に関東のリーダー的存在になっていきます。強いからいろんな人から頼りにされます。

まず、頼りにしてきたのが興世王。興世王は、新たに京から受領としてやってきた武蔵守百済王貞連(くだらのこにきしさだつら)と不仲になってしまいます。貞連って人変わった名前ですよね?実は、祖先を朝鮮の百済王に持つ渡来人系の人でした。興世王としては、自分が武蔵を守っていたのに、急にわけのわからん者がきたと憤慨するのですね。そこで興世王は、将門に頼るわけです。

同じころに、今度は常陸国の藤原玄明という常陸の豪族も将門を頼ってきます。この玄明って人あまりいい人ではないのですよ。農地を耕してはいましたが、勝手に収穫物を横領!常陸を取り仕切る役人、常陸介藤原惟幾に税を収めず、むしろ戦いを挑む始末。苦笑

惟幾もただ黙っているわけではありません。惟幾は、玄明をかくまう将門のもとへおもむきます。将門は情に厚い男だったようで、引き渡しを断固拒否!結局平行線に終わり、とうとう戦いへ突入してしまいます。

 

我は新皇なり!消えた幻の都!

将門は、1000の兵を率いて惟幾のいる国府(今で言う県庁が置かれた政令都市のような場所)へむかいます!惟幾は将門軍の倍の3000でむかえ撃ちますが、将門軍の勢いはすさまじく、惟幾軍はひとたまりもなく敗北。

将門は、国府を攻撃してしまったことで、朝廷に反旗をひるがえす「逆賊」とされてしまったのです。地元では「英雄」とたたえられましたが、国府を攻撃したのは絶対にやってはいけないことでした。

その後、将門の側近となった興世王が、将門に「今こそ兵を上げてわれらの国を作ろう」と助言するのですね。

将門は兵を上げて、常陸からまたたく間に、下野国(現在の栃木県)と上野国(現在の群馬県)に攻め入り、それぞれの長が所持していた鍵や印綬(役人が身分や位を表す意味がある組みひも)を奪い取り、命は奪わず国外へ追放させます。

国府のトップがいなくなり、関東一帯を支柱におさめた将門は自らを「新皇」(新しい天皇という意味)と名乗り始めます!

現在の茨城県坂東市あたりに独立国を建て、政権も勝手に作っちゃいます。笑 将門の行動を心配した弟・平将平は兄の新皇宣言に「兄者それはまずいよ!」と反対します。

真樹や興世王、玄明ら取り巻きたちは、他人ですよね?やっぱりいいことしか言わないし、将門の味方ではあるけど、いざとなったら責任は負わないよって人たちだと思います。それに対して、将門には将平や数人の弟たちがいました。将門が弟のいうことを聞いていたらと悔やまれる気がしましたね。本当に思って言ってくれるのは血を分けた兄弟だと。

私は、将門自身横暴で朝廷から政権を乗っ取ってやろうという人間ではなく、あくまで熱血漢で情に厚いだけの男で、悪い男ではなかったと思います。むしろ取り巻きや親類に恵まれず、やむなく戦っていたのではと考えられるのですよ。

将門謀反の一報は、すぐさま京へ伝わります。、朝廷は「一体どういうことなの!」と困惑しますが、朝廷もなすがままではありません。将門謀反を朝廷に密告した経基に従五位下という位を与え、朝廷の参議の役職についていた藤原忠文を、征夷大将軍に任命。将門を討つべく追討軍を向かわせるのです!

追討軍の他にも、将門を討とう兵を上げる者たちが出現します。その人物こそが、将門の従兄弟である貞盛でした。貞盛が京で官人として出世街道まっしぐらのころ、平氏一族の内紛によって、父・国香が将門に殺されてしまいます。

復讐に燃えた貞盛かと思いきや、意外と冷静で、むしろ将門と和睦を望んでいました。

しかし2人は、幼いころのような仲の良い従兄弟同士には、引き返せない状況にいました。貞盛は心ならずも将門と対決する姿勢を見せざる負えませんでした。

将門は将門で、単に偉くなりたいとかで新皇を名乗ったわけじゃなくて、当時の下々の者たちは、徴兵や微税が酷く苦しい生活を強いられていたのです。そのような苦しむ人々を助けるため、理想の国家を作ろうと純粋な思いを持っていました。なので、将門に近寄ってきた人物が悪かった感じがしてなりません。

まもなく、貞盛は下野国の押領使(現在の警察官僚)の藤原秀郷とタッグを組み、将門を討つべく挙兵!将門と貞盛・秀郷連合軍との全面戦争に突入します。

将門軍の先鋒をつとめる、玄明の親類である藤原玄茂が攻撃され、将門軍は一時撤退します。

そして、貞盛・秀郷連合軍に惟幾の息子・藤原為憲も加わって連合軍の数は将門軍を上回っていきます。この戦いは、旧暦の2月中旬(現在の4月上旬)でかなり風が強い時期に行われた戦いでした。春一番が吹き荒れ、将門軍は追い風を見方につけて、戦いを優位に進めていました。

貞盛・秀郷連合軍は、勝ち目がないなと一時撤退しようとしたとき、風向きが急に変化します。追い風から向かい風に変化!貞盛・秀郷連合軍にとっては、急にチャンス到来。一方の将門にとっては、たちまち劣勢に変わってしまったのです。

そのとき、軍の先頭で指揮をとっていた将門の額に、1矢が命中!まもなく将門は討ち死にしてしまうのです。

強力なリーダー将門を失った、独立国はたった2か月で崩壊。将門の作ろうとした理想郷は、幻の都となったのでした。

残った興世王や玄明やの部下たちや将門の弟たちは、次々と処刑されます。将門は、無残にも斬首されると、その首は京へ運ばれてさらし首に。しかも、日本史上最古のさらし首が将門だったのです。

将門が亡くなり、勝者となった貞盛や秀郷は、それぞれ従四位下、従五位下という位を朝廷から与えられ、この世の春をむかえます。ちなみに、貞盛の子孫がのちの平清盛で、興世王から寝返った経基の子孫が源頼朝なのです。なんか考え深い。そうして、平将門の乱はあっけなく幕を閉じたのでした。

 

 

まとめ

1 将門は天皇の子孫でもともとは、高貴な血筋だった。

2 父が亡くなると、領地を伯父たちに横取りされるなど、平氏の内紛が絶えなかった。

3 将門はただ強かっただけでなく、今までかかわりのなかった者たちをかくまうなど優しさがあった。

4 将門自身が、朝廷を倒して日本を支柱に収め独裁政治をしようとしていたわけではなく、周りの取り巻きたち(興世王や玄明ら)に巻き込まれて、打倒朝廷になってしまった。

5 日本で、最古のさらし首は将門だった。

 

私は、平将門を主人公とした、大河ドラマ「風と雲と虹と」の加藤剛さんのイメージが強いですね。正義感が強くて、かつ優しい。当時美男美女大河といわれたドラマでした。

私はまだ産まれてないので、10年ぐらい前、自転車を漕いて隣町のTSUTAYAまで、風と雲と虹を借りにいって初めて観た記憶があります。 笑 史実と違うところもあり(結構貞盛が悪役だったり、ならず者な玄明が当時のイケメンの代名詞だった草刈正雄さんだったり)面白く、一気に観ましたね。笑

関東では「英雄」、京では「逆賊」となってしまった将門。明治維新以降、将門は逆賊として、世間的には地位が低い存在で、一時期神田明神の御祭神が外れていたのですが、 昭和59年に復帰!復帰の要因となったのが、風と雲と虹とでの加藤剛さんの影響でした。おそるべし大河ドラマ!

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