群雄割拠の戦国時代。
「甲斐の虎」と呼ばれ、恐れられた武将・武田信玄。
風林火山の旗指し物・黒字に梵字一文字の軍配・ツノ付きの兜など、装備もカッコイイ武将です。
武田信玄が用いた旗指物で有名なものが風林火山ですが、これ以外にも家紋を描いた旗もかざして戦っていたそうです。
その家紋、名前はずばり「武田菱」と呼ばれています。
名前に「武田」と付くということは、武田信玄が最初に使ったのでしょうか?それとも別の武田さん?
果たして由来は他にあるのか? 誰が最初に使い始めたのか? 気になるところです。
紋章好きとして胸熱です。おもしろい歴史があるならぜひ知りたい!
早速、調べてみることにしました!
武田信玄の家紋「武田菱」とは
先にも述べましたが、武田信玄が用いた家紋は「武田菱」といいます。
武田菱には他にも呼び名があり、「四つ菱」あるいは「割り菱」とも呼ばれています。
ただ、「四つ菱」「割り菱」は「武田菱」にくらべてバツ型に交差している線が少し太いのです。
これは「武田菱」をもともと使っていた「四つ菱」「割り菱」と区別するための措置だと言われています。
菱の正体は意外なアレだった
さて。家紋に使われている「菱」と言うのは水生植物を記号化したもの。
「菱」は池などにプカプカ浮いている水草のコト。
その菱の実の形を模したのが、菱紋です。
菱の実は、「菱型」という言葉がある通り、横長の四角い形をしています。
そんな菱の実の殻はとても固くて、四隅は鋭く尖っています。
忍者が使う、まき菱というものがありますよね。
菱という言葉が入っていますが、その原型はこの菱の実だそうです。
余談ですが、菱の実製のまき菱が進化して鉄製になると、鉄菱と言ったそうですよ。
細くとがった菱型、それを三つ寄せると「三つ菱」。
四つになったら「四つ菱」。わかりやすいネーミングですよね。
ちなみに、三菱グループのマークは「スリーダイヤ」ですが、同じ形で「寄せ三菱」と呼ばれる家紋もあります。
武田信玄の家紋の意味や由来はインターナショナル?
「菱紋」は、奈良・東大寺の正倉院という宝物庫のなかにも多く見られる紋様で、とても歴史が古いものです。
正倉院の宝物は外国からの渡来物も数多く収蔵されています。
そんな外国製のものにも「菱型紋」は多く使われているんですよ。
現在でも、中国・インドなどの織物・染色・陶芸などで菱型をつかった様々な紋様を見ることが出来ます。
菱は繁殖力が強いことから、子孫繁栄・無病息災を願っていろいろなものに使われることが多い紋様です。
ひなまつりの菱餅も、そんな意味合いを考えて使われているのでしょうか。
ほかにも様々なお目出度い席に使われているのでしょうね。
武田氏の家紋、最初に使った人物は鬼退治をしたのか!?
武田信玄は甲斐武田氏と言われる家系の出身です。
そもそもの武田氏の祖先は源頼義。
鎮守府将軍・八幡太郎として有名な平安時代中期の武士です。
源頼光という鬼退治をしたと言われる武士の甥にあたりますが、八幡太郎は鬼退治はしていないようです。
残念!
その八幡太郎・源頼義の鎧についていた「菱紋」を代々引き継いでいたものを、武田家の家紋として使うようになったため「武田菱」と呼ばれるようになったという説があります。
説があると言ったのは、もう一つの異説、武田の「田」の字を紋様化したという説もあるためなのですが。
なんだか「田」の字を変えたというのは、こじつけっぽいと感じるのは私だけでしょうか。
武田信玄の「家紋」は一つじゃない
「武田菱」を使っていた武田信玄はまた、「花菱」という家紋も共に使っていました。
武田家の総領(跡取り)は普通の「武田菱」ではなく「花菱」を使うことも多かったそうです。
特別な意味があるものなのかもしれませんね。
「花菱紋」は菱形を四枚の花弁を持つ花に見立てていて、非常に優雅なものです。
その優雅さを武田家の女性も好んで使ったということです。
「武田菱」、「花菱」。
もしかしたら、鎧には「花菱」、着物には「武田菱」などと、場合によっても使い分けていたのではないでしょうか。
武田菱という名前は結構ニューフェイス?
この画像の家紋は「花菱紋」です。武田家だけではなく、多くの家系で使われています。
ですが、「武田菱」という名前は武田氏の子孫の家に集中して使われているようなのです。
では、この家紋は、いつから「武田菱」という名前で呼ばれ始めたのでしょうか?
生まれも育ちも菱型です
もとはこの菱型が四つ集まった紋は「割り菱紋」ですとか、「四つ菱紋」と呼ばれていました。
武田氏の子孫に伝わっていると書きましたが、武田氏といっても本当に全国に広く家系がわかれていて、家紋も「菱紋」ではなくなっているところもあります。
武田氏の人たちすべてが「武田菱」に特別なこだわりを持っていた、というわけでもなさそうなのです。
武田菱の名前が定着したのは年月が経ってから
実は、「武田菱」という名前が定着したのは江戸時代。
色鮮やかな木版画である錦絵や、風俗画の浮世絵などで描かれる武田信玄の絵の中に描きこまれていたことが発端だそうなのです。
「これ、武田信玄の絵なんだよ」と、一目でわかるように「四つ菱紋」が描き込まれていたのです。
「武田信玄の絵の中にある家紋」=「武田の家紋」=「武田菱」。
というわけで、ここから「武田菱」と呼ばれることになったのだそうです。
え、それじゃあ、家紋がないと誰の絵かわからないような由緒のわからない肖像画を江戸時代の人は買っていたの!?それで満足出来ていたの!?
とも思いましたが、現代の情報化社会とは程遠い江戸時代。
肖像画が広く知れ渡っていたわけでもないのなら、どんな顔でも描きたい放題だったのでしょうね。
ちなみに、甲府市の市章の菱形は「武田菱」を由来としているそうですよ。
現在に生きている武田菱!
甲斐武田氏からは多くの支族が派出しました。
宗家は甲斐武田氏。武田信玄の家系です。
その他に、安芸武田氏、若狭武田氏、上総武田氏、真里谷武田氏、河窪武田家、仁科武田家、油川武田家、米沢武田家と盛りだくさん。
これらの傍流の家系では、宗家に遠慮して「武田菱」は使わない、「花菱」や「松皮菱」など他の「菱紋」を使うというところもあるそうです。
その他にも日本各地に数多くの武田一族の子孫と名乗る家があって、 その家系でも様々な「菱紋」を用いています。
さらに、武家社会においては、「花菱紋」を、功績を挙げた部下に与えていたこともあるそうです。
そのため「菱紋」は甲斐、現在の山梨県を中心に広く使われるようになっています。
武田信玄の家紋、その意味と由来についてまとめ
・武田信玄の家紋には「武田菱」だけでなく「花菱」もある
・「武田菱」は「菱紋」の一種で江戸時代に使われ始めた呼び名
・平安時代の源氏武士の鎧が「武田菱」の由来
現在では「武田菱」として有名になっている武田信玄の家紋ですが、その名前の由来が江戸時代にあったり、「菱紋」の種類が多数あったりと、菱、水草なのに恐るべしと感じました。
家紋はお目出度いもの、縁起のいいものを題材に、美を追求したマーケティングサインなのかもしれません。
武田信玄には代々つたわってきた家紋を大切にするという気持ちがあり、武田信玄という宗主を敬う気持ちの大きな子孫の方々の思いがあり、武田家の末裔であることを誇りに思う方たちがいて、「武田菱」は今なお大切に伝えられているのですね。
このように、一つの家紋にも多くの歴史ありでした。
我が家の家紋をもう一度見直してみるのも、自分の来歴を知ることに繋がるような気がします。
自分探しは家紋から。家紋から明るい未来が開ける可能性もあるかも!?