戦国時代

最強?武田信玄の家臣「武田四天王」について!バラエティ豊かな四天王の生き様を見よ

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今回は武田信玄を支えた家臣団「武田四天王」をご紹介!さあ、どんな面々だったのでしょうか!

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  • 醜いが武勇に優れた「山県昌景
  • 女性のみならず男性からも愛されたイケメンの「高坂昌信
  • 同僚からも評価が高かった知将「内藤昌豊
  • 不死身の鬼美濃と恐れられた「馬場春信

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花より男子のF4顔負けの四人のメンバーです。笑

トップバッターは山県昌景からです!

 

 

武田四天王に登りつめたのは、小柄で醜形だが文武両道の男だった

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  • 身長約140センチ
  • 唇が避けていて見た目はよろしくない
  • 武術、政治面でも有能

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山県昌景は身長が140センチ代ぐらいで小柄。しかも唇が裂けていて、見た目は決して良くなかったそうです。けれどなんだかおかしい。私が初めて認識したのは、大河ドラマ「武田信玄」の篠田三郎さんのさわやかで長身なイメージだったのですが、、、大河ドラマ補正ということで。笑

そんな昌景ですが、幼名を飯島源四郎と言いました。後に飯富三郎兵衛と名乗り、武田信玄のお付きとして、初陣で城一番乗りになるなど功績をあげます!武術だけじゃなく、政治面でも力を発揮してめきめきと頭角を現していくのです!

もともと、25歳年上の兄・飯富虎昌が信玄の父・武田信虎の家臣だったことから取り立てられます。現代でいうところの「コネ入社」ではありますが、予想以上の力を発揮します!

この兄弟、最近になってかなり歳の差があるので叔父と甥ではないかとの説もあるのです。本人たちはすでに亡くなっているので直接聞くことはできませんが。笑

私は兄弟だと思いますね。昔は兄弟が多く一番上と一番下の兄弟ではかなり年の開きがあっても不思議ではありませんでした。私の祖母の兄妹がそうですね。祖母の長兄が25歳の時に末妹が生まれています。飯富兄弟と同じです。笑

武田の家臣の立場ゆえか!?活躍の陰に悲しき兄弟の別れあり!

文武両道の昌景。けものみちを切り開き、橋をかけたりして安房峠の大峠から北アルプスを越えて飛騨へ攻めいったり獅子奮迅の活躍を見せます!とうとう飛騨神岡を統治していた江馬氏を降伏させます。その際、「平湯温泉」を発見!戦の後にちゃっかり温泉です。笑

一方で信玄と嫡男・義信の仲は悪く、突如謀反を企てたとして義信は寺に幽閉されてしまいます。しかも信玄暗殺計画の張本人として、虎昌ら側近2名が謀反の首謀者として捉えられてしまいます。

では誰が信玄に謀反を密告したのか!?こともあろうに弟である昌景だったのです!えーなんで!って思いました。

信玄から見れば自分に家臣の謀反を教えてくれた忠実な部下であり、虎昌から見れば自分を裏切った裏切り者です。うーん人生難しいですね。昌景はどんな思いで密告したのでしょうか?

実は義信から謀反の相談を受けていて、虎昌が言い出したことではなかったのです。謀反を止めてほしいため弟の昌景に謀反のことを話してしまいます。昌景もそれを信玄に言ってしまうのです。

「お館様に言えば兄を救ってくれるだろう」このような考えがあったのではと思いますが相手が悪すぎました。信玄ですよ。見逃してくれるわけないですって。

結局、虎昌は責任を取らされて切腹させられるのです。義信も幽閉されたのち、今川義元の娘である妻と離縁させられて同じく切腹となったわけです。

信玄は昌景が裏切り者として生きていくのは忍びないと、姓を「飯富」から「山県」に改名させています。そこは信玄が見せた唯一の配慮だったと思いますね。

兄の死後昌景は、兄から「赤備え」という甲冑などの武具が赤や朱を主体とした騎馬軍団を譲り受け、長篠の戦いで名誉の戦死をとげています。戦国時代ならしょうがないのかもしれないけど、なんともやるせないですね。

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【高坂昌信】武田四天王の一人にしてイケメン武将だった!?

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  • イケメン
  • 名前が5回も変わっている
  • 信玄からラブレターをもらっている(笑)
  • 女性だけでなく男性にもモテた

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続いてご紹介するのは、武田四天王の一人・高坂昌信です。私は通称の高坂弾正になじみがありますね。この人イケメンで有名だったのです!

映像化でも、大河ドラマ「武田信玄」での村上弘明さんや、近年は「風林火山」の田中幸太朗さんなど、やはりイケメンな人が演じていました。

意外なところだと、日テレの「風林火山」で大御所・里見浩太朗さんが昌信と醜形で有名だった山本勘助の二役を演じましたね。里見さん自身は若い頃二枚目でありましたが、「おいおいそれは欲張りすぎだろう」と思った記憶があります。笑

イケメンな昌信ですが、結構な改名をしています。昌信、昌宣、昌忠、晴昌、晴久と5回も変わっています。笑 ここでは昌信で統一したいと思います。

昌信はもともと武士ではなく、農民の子として生まれます。父が亡くなると姉夫婦と遺産を巡って骨肉の争いとなってしまいます。最後は姉夫婦に邪険にされて身寄りがなくなります。実の姉弟なのに山県昌景といい、戦国時代の家族ゆえの出来事なのでしょうか。

独り身となった昌景は、信玄の側にお仕えすることが決まります。人生捨てたもんじゃありません!

主君が家臣への手紙にこめた熱い思いとは!?

信玄の使番(戦などで伝令や敵への使者などの役職)として働き始め、さらには足軽大将へ昇格します。やるじゃん昌信ですよね。笑 ところが笑ってもいられない事態が!

信玄から絶大な信頼を寄せられていた昌信ですが、いつしか「愛」も寄せられてしまっていたのです。笑 びっくりですよね!

この時代、衆道といって、主従関係の中に同性愛も含まれることは珍しくはありませんでした。しかも信玄は己の熱き思いを自筆で手紙にして昌信に渡しているのです。いわゆるラブレターです。笑 イケメンゆえなのでしょうか。昌信は男性からもモテたんですね

昌信は「逃げの弾正」という異名もあります。これは女性からモテまくって逃げ回っていたから名付けられたという説もある程、昌信はイケメンでした。

モテる男も辛いですね。笑 本来の由来は撤退戦に強いことから名付けられた異名なのです!

家臣はつらいよ!煙たがれる年寄り!?

信玄の死後、昌信は武田家の家督を継いだ勝頼の家臣となります。嫡男・義信が謀反を企んだとして廃嫡になり、代わって嫡男となったのが勝頼でした。この勝頼に昌信は嫌われてしまうのです。

昌信は勝頼に「お館様、この戦はこうした作戦のほうが良いでござる」とか色々アドバイスをしていたらしいのです。ところが勝頼はまだ若造。「いちいちうるさい!わかってるよ!」という感じで昌信を煙たがっていました。口うるさい老人が若者に嫌われてしまうのは現代にも通じる永遠テーマですね。

長篠の戦いで、昌信の長男・昌澄が戦死してしまいます。親としては我が子を亡くすのは悲しいはずです。実はこの戦いで、武田四天王のうち唯一生き残ったのが昌信なのです!自分の代わりに息子の昌澄が戦地に赴きました。悲しみは計り知れなかったと思いますね。

長篠の戦いで、歴史的大敗を喫した武田軍。敗走した主君・勝頼を昌信は甲冑などを自分たちの物と交換して、敗軍の将に見えないようにしたのです!心遣いが素敵です昌信!

じじい黙れって嫌われているのに、普通の人はそこまでやりませんよ。武田家を思うからこそ、亡き信玄からの熱い思いにも応えたいっていうのがあったと思いますね。笑

武田家の行く末を案じながら52歳の生涯を終えます。戦国時代は人生50年と言われた時代。平均年齢での寿命でしたが、今だったら52歳はまだまだこれからって感じですよね。

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【内藤昌豊】武田四天王の中で知将と呼ばれるほど人望を持っていた!?

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  • 頭がよく知将だった
  • 手柄に拘っていない
  • 弁慶もビックリ、竹槍や矢が刺さった状態で絶命する

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ここからは、武田四天王の一人「内藤昌豊」をご紹介します!昌豊は、信玄の父・武田信虎の重臣だった工藤虎豊の次男として生まれています。幼い頃から苦労が絶えなかったようです。

今川家の家督争いが起きた際に、戦に敗れた今川義元の兄・玄広恵探が信虎を頼って甲斐に落ち延びて来ました。信虎は短気な人だったようで、なんと全員に切腹を命じます!大河ドラマでの故・平幹二朗さんのエキセントリックな信虎、若干トラウマです。笑

昌豊のお父さんの豊虎は優しい人でした。「お館様、あまりもかわいそうです。なんとかお助け下され」って懇願しますが、短気な信虎は豊虎までも殺しちゃいます!あまりにもむご過ぎますね、、、

突然父を失った兄の昌祐と昌豊は、各地を放浪します。漁村などを中心に兄弟支え合って暮らしたそうです。涙なしでは語れません。

時代は流れ、信虎が嫡男の信玄に追放されると、信玄はずっと気にかけていた工藤兄弟を自分のもとへ呼びよせます。信玄は父の仕打ちを謝罪して、金銭を与えたりしました。心打たれた昌豊は信玄への仕官を決意します!

弁慶もびっくり!?これぞ武士の最期!

工藤家は兄・昌祐が家督を継ぎ、性も内藤と改められ信玄の家臣となった昌豊は、頭が良く知将ぶりを存分に発揮していきます。

それなのに無欲な人で、「感状」という戦で特に秀でた働きをした家来に、主君から渡す書状を貰わなくても、昌豊は「個人の手柄にこだわるものじゃない」と言っているのです。

信玄のみならず、同僚の山県昌景からも「いつでも戦略を考えられ、内藤殿はまさに副将の器である」と褒めたたえられています。

昌豊も「長篠の戦い」に参戦しています。織田・徳川の連合軍と激戦を繰り広げ、昌豊が率いた集団は、あの三段撃ちの織田鉄砲隊が作った三番目の柵を唯一突破した部隊でしたが、壮絶な最期をむかえます。

あの弁慶も真っ青の、体中に矢や竹槍が刺さった状態で亡くなっていたそうです。普段は知的でクールな昌豊ですが、最期に武士魂を見せつけましたね。

 

 

【馬場信春】鬼と呼ばれしその男は武田の家臣だった!

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  • 信玄の死後、信玄の息子の勝頼にウザがられる
  • 徳川軍を追い詰める功績を上げた
  • 70回以上の戦に参戦してかすり傷1つなかったと伝えられている

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最後にご紹介するのは、「馬場信春」です。信春は信虎時代から仕えた武将でした。信虎が追放されてからは、他の四天王と同じ信玄に仕えます。

駿河攻めを皮切りに、数々の戦に参戦。三方ヶ原の戦いでは徳川軍を浜松城下まで追い詰める功績をあげます!

信玄が死去、息子の勝頼が後を継ぐと信春も疎まれてしまうのです。老臣たちのアドバイスを全く受け入れない勝頼。困ったちゃんです。笑 信春も長篠の戦いで織田軍に徹底交戦しましたが、奮戦むなしく戦死してしまいます。

武田家に長期間仕える中で、70回以上の戦に参戦しましたが、最期の長篠の戦いまでかすり傷一つさえ負わなかったことで、「不死身の鬼美濃」と呼ばれたそうです。信春も武士の鏡と言える最期だと思います。

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まとめ

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  • 山県昌景は小柄で醜形の男だったが、戦上手で兄との悲しい別れがあった。
  • 高坂昌信は絶世の美男子だったゆえ、男性からも女性からもモテていて、信玄とも同性愛関係にあり、長篠の戦いで四天王唯一戦死ではなく病死で亡くなっていた。
  • 内藤昌豊は、不遇の少年時代を過ごしたが、知将と呼ばれるほどの武将だった。
  • 馬場春信は、長篠の戦いまでかすり傷一つないほど戦上手だった。

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四天王それぞれ特徴がありますね。

共通しているのは主君・信玄に対する「義」ですね。

特に昌信は他の3人と比べ人一倍の思いがありそうですが。笑 現代では失われてしまった思いですよね。上司のために「義」を重んじるサラリーマンが果たしてどのくらいいるでしょうか。

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