徳川家康の名言集をご紹介。
果たしてどのような名言が飛び出すのか!
徳川家康の名言集
「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る」
この名言の意味は、「勝ってばかりいて、負けることを知らなければ、足元をすくわれてしまう」です。
関ケ原の大一番を勝利して、徳川幕府を開いた家康らしい言葉ですよね。重みがあります。根底には、幼少の頃の今川家人質として養育されていた辛い過去があるから出た言葉だと思いますね。
「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」
この名言の意味は、「人の一生というものは、思い荷を背負って遠い道を行くようなものだ」です。
私は、家康が嫡男・信康を自害に追いやった後悔の念を、名言から感じられました。一大名から将軍になった後も、家康は「遠い道」を歩き続けていたと思います。
「世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ」
この名言の意味は、「世の中で恐ろしいのは、一見勇者のほうが怖そう見えるが、臆病者のほうが用意周到に動いていて、先走って物事を進めないため、返って恐ろしい」です。
実は、家康の自虐が込められているのです。家康には、戦国最強の騎馬隊を誇った武田軍に惨敗した苦い過去がありました。当時、家康は織田信長と同盟関係にあり、援軍を待っていました。自分たちだけは、圧倒的な武田軍の戦力に対抗できなかったからです。
信長の援軍を待っている間、籠城作戦をとっていました。ところが、武田軍は家康のいる浜松城を素通りしたのです!家康は「今だ!」と、援軍を待たずして武田軍へ向けて突撃攻撃をしてしまうのです。
武田軍は徳川軍の倍の数。すべて武田軍の作戦だったのです。武田軍は素通りと見せかけて家康の誘き出しに成功。苦笑 あげく脱糞しながら命からがら逃げのびた苦い思い出が。笑
武士の名にかけてと「勇者」心を出した結果、酷い目にあった家康は、三方が原の戦い以降熟慮を重ねて、行動するようになったのだと思いますね。
「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」
この名言の意味は、「忍耐は永久に続く基本である、怒りは敵だと思いなさい」です。家康人格形成のベースになっているのは、やはり「忍耐」とか「耐える」ですね。この名言、家康ともう1人、信長を現したものだと思いました。
いろいろな苦労を耐えて、天下人まで登りつめた家康。かたや、天下人まであと一歩、「怒り」が原因で家臣に謀反を起こされ自害した信長。対照的な2人ですよね
「いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、枝の倒れたほうへ進む」
この名言の意味は、「いくら考えてもどうにもならないときは、十字路に立って枝の倒れたほうへ進む」です。
普段の生活の中で、いくら考えても答えが出ないとか、煮詰まってしまうことってありますよね?そんなとき、家康は悩むくらいなら、十字路に立って枝の倒れたほうへ進むほうが得策だといっているのです。波乱万丈な生涯を送った家康がいうと重みがある言葉ですよね。
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」
この名言の意味は、「届かないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている」です。
家康は、戦いにおいて相手を倒すために、やり過ぎてしまってはいざというとき、引き返すことができない。しかし、足りない状態であれば、作戦を練り直すことも可能だといっているのですね。
「得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ」
この名言の意味は、「得意になって絶好調のときこそ、隙が命取りになることを思い知れ」です。
自分は決して「隙」を見せず、逆に相手の「隙」をついて、百戦錬磨の戦いに勝利してきた家康らしい名言ですね。
「人は負けることを知りて、人より勝れり」
この名言の意味は、「人は勝ちばかりで、負けることを知らないと、逆境のときそれを乗り越えることができない」です。
現代でも、職場や学校などで、順風満帆のエリートより、挫折を経験している人のほうが強かったりしますよね。
「決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である」
この名言の意味は、「決断するのは実はそんなに難しいことではない。難しいのは、むしろ思慮深さだ」です。
家康らしい名言ですね。確かにポンポン決断するのはたやすいけれど、なにも考えず決断しても意味をなさないと、私も思いますね。家康は、安易な決断ではなく、考え抜いた先に光明が差すのだと語りたかったのではと思いました。
「平氏を亡ぼす者は平氏なり。鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり」
この名言の意味は、「平氏を亡ぼす者は平氏自身。鎌倉を亡ぼす者も鎌倉自身」です。つまり、栄華を誇った平氏と鎌倉幕府を立ち上げながら、内部崩壊してしまった2つの組織。平氏は、清盛亡き後あっという間に滅亡。鎌倉幕府も直系は3代まで、後は北条氏の疑心暗鬼なグダグダ執権政治。
家康は、本当の敵は内部にあるということを説いたかったのだと思います。しっかりとした組織づくりが大事だということですね。現代でも、某家具会社のお家騒動が思い出されますよね。敵対したのは、ライバル会社同士ではなくまさかの親子でした!
人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」七文字で言えば「身のほどを知れ」
この名言の意味は、「人生で大切なことは、五文字で言うならば上の人間(信長や秀吉)を見るな。七文字で言うならば自らの現状をわきまえろ」です。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで戦国乱世を勝ちあがった「織田信長」がいました。天下取りも終盤、将軍宣下目前で家臣・明智光秀に謀反を起こされ、まさかの自害!すぐさま光秀を倒し、関白まで昇りつめた秀吉。家康には常に上の存在がいたのです。
そこで家康は、自分の立場や能力を考え必要以上の行動は慎んだのでした。家康も信長を暗殺することも可能だったと思います。しかし慎重派の家康は、軽率な行動はとらずじっと自分の立場が好転するまで待ったのですね。家康実に食えない男ですね。笑
「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがる」
この名言の意味は、「反対意見を言う部下は、最初に功績をあげた兵士よりも値打ちがある」です。一見、一番槍(戦国時代、敵に向かって一番に槍で勝利をあげた者)のほうが、強く勇ましいイメージですよね?
家康は、敵に勇猛果敢に攻め入る一番槍より、上司に向かって「これは違うもっとこうした戦いかたがある」と意見してくる部下のほうが、よほど値打ちあると語っているのです。
深いですね。確かに、下から上の人間に反対意見とかなかなかいえないですよね?下手したらクビになりかねないし、パワハラに発展する恐れもあります。江戸時代に生きたのがもったいないですね家康は。現代社会の会社社長であってほしかった。外から見れば怖いかもしれないけれど、部下から見たらいい上司ですよね。やはり社名は「徳川株式会社」となったのでしょうか?笑
「己を責めて、人を責むるな」
この名言の意味は、「自分にとって都合が悪いことが起きたときに、人を責めるのではなく、自分に原因がないのかと考えてみることが大切」です。
さすが、家康らしい名言ですね。だんだん徳川幕府が15代も続いた根源がわかってきたような気がします。笑 人は嫌なできごとや不利なことがあると、つい人を責めてしまいますよね。
それではダメだと家康はいっているのですね。まずは、自分自身の中に落ち度はないのか、反省することが次につながるということを語っているのです。金八先生を越える家康先生ですね。笑
「天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず」
この名言の意味は、「天下は天下にいる人々の天下であり、自分一人の天下だと思ってはいけない」です。
なかなかの名言ですね。天下は自分だけのものではなく、人々あっての天下だと家康はいっているのですね。家康のこのような考えがあったからこそ、「三河の小国」といわれながらも天下人へと昇りつめることができたと思います。現代でも、自分本位の人はモテませんよね。苦笑
「一手の大将たる者が、味方の諸人のぼんのくぼ(首の後ろの窪み)を見て、敵などに勝てるものではない」
この名言の意味は、「大将なる者が、味方の後ろにいては、敵などに勝てるわけがない」です。家康は、大将が味方の後ろについては、戦いなど勝てるわけがない。大将たる者、前線で戦わなければいけないと語っています。
これは、ビジネスシーンでもいえますよね?創業年数が経って、社長はいつ会社にいるのかわからず、部下たちだけで仕事を回している会社、かたやスタートアップで、社長自ら舵を取るベンチャー企業。後者のほうが勢いはあるし、取引先としては「一緒に仕事してみたな」とかって思いますよね。
「重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ」
この名言の意味は、「自らに負荷をかけることで人格が作られるのだ。楽をしては、人格は形成出来ない」です。家康は、さまざまな苦難を乗り越えて天下統一を果たしました。
家康は、どうしようもなくなって、逃げ場がなくなったとしても、重荷を背負うことで、苦難をさけて楽な道を選ぶより、自らが鍛えられプラスにつながると説いているのですね。苦労人・家康らしい名言です。
「家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ」
この名言の意味は、「大将という者は、家臣から尊敬されているようで、たえず落ち度を探されている。だから大将は、家臣から心から尊敬されなければならない」です。
家康は、上司は常に部下から惚れられることが大事だと説いています。部下も「この上司についていきたい」と思えば仕事のパフォーマンスが上がりますよね?今がそのような惚れされる上司って少ないと思いますね。それこそ自分本位。仕事を部下に丸投げや、パワハラする上司が近年多いですよね。悲しくなります。家康の言葉を煎じて飲ませてやりたいですね。苦笑
「家臣を扱うには禄で縛りつけてはらず、機嫌を取ってもならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ」
この名言の意味は、「家臣をコントロールするには、禄(給料)で縛りつけてもいけなし、機嫌を取ってもいけず、恐れさせてもいけず、油断させてもいけない」です。家康絶妙な言葉を残していますね。笑
人を動かすのは難しいということをいっているのですね。金でつってもいずれ、大金を出す者に鞍替えされてしまう。機嫌を取れば最初は良くてもだんだんとなめられてしまう。恐れさせても信長ように謀反を起こされる恐れがある。 苦笑 油断させても、なめられてしまいには下剋上になる場合もある。人を扱うには「さじ加減」が大事だと家康は語っているのだと思いますね。
「我がために悪しきことは、ひとのためにも悪しきことぞ」
この名言は、「自分のために悪いことは、人のためにも悪いことだ」です。同じようなことを、私は祖母からいわれたことがありますね。人への贈り物のときに、「自分が食べないような物は人にもやるな」っていわれたことを思い出しました。人と人って合わせ鏡のようなところがあると思いますね。
「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える」
この名言の意味は、「最も多くの人間を幸せにした者が、最も大きい人間になる」です。家康は、自分だけ幸せになればいいという人間ではなく、多くの人間を幸せにした者のほうが、後々自分だけ幸せな者より幸せになると説いています。
よく「人に対して恩を施せば、回りまわって自分に恩が帰って来る」とかいわれますよね?人は優しくしてもらったら嫌な気はしません。そうやって幸福の輪が広がると、自分でも気づかないうちに、幸せになっているのだと思います。
人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず。
この名言の意味は、「人の心を理解したいならば、自分自身が正直になって、相手の心の底をしっかりと観察するべきだ。言葉と見た目にだまされてはいけない」です。
300年続く幕府開いただけのことはありますね。家康のいうことは最もだと思います。逆にいえば、言葉と見た目にだまされる人は、うわべだけで人付き合いしているともいえますよね?さすが家康!
「敵だというのも自制心を忘れた怒りである」
この名言の意味は、「敵だというのは自制心を忘れた怒りだ」です。
家康は、本当の敵は他が外れたときの自身の中に渦巻く「怒り」だということを説いているのですね。生きていると嫌なこと、理不尽なことって多いですよね?私もそうです。笑 つい怒りに震えてまくし立てるとか。その点、自制心をコントロールできた家康だからこそ、深く心に響きますよね。
まとめ
- 徳川家康は、現代社会(特にビジネスシーンにおいて)にも通じる名言を残していた。
- 名言の随所に、家康の特徴「耐える」が垣間見えた。
- 300年続く幕府を開くことができた根源が、名言に込められていた。
この記事を書いている間、奇しくも「家康俳優」といわれた俳優の津川雅彦さんがお亡くなりになりました。私は、彼ほど家康が似合う俳優はいなかったと思います。同じ家康を演じても、大河ドラマの「独眼竜政宗」と「葵徳川三代」では全然違うのですよ。独眼竜の場合は、冷静で策士な家康。一方の葵は、コミカルでイライラしている家康。
どちらも素敵でしたね。
私自身は、たぬきオヤジのイメージがあって、家康は好きじゃなかったのですが、数々の名言にふれて家康へのイメージが変わりましたね!「ぜひ家臣にして下さい」と志願したくなりました。笑