室町時代

徳政令の意味や内容をわかりやすくカンタンに

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徳政令」。

なんとなく聞いた覚えのあるこの言葉。

文字面から考えると「徳のあるまつりごとをするための法令」くらいの意味ではないかと思えます。

ですが、実際にどんな法令なのか、具体的な認識ができていないようで、「聞いたことがある」ということ以外、思い出せません。

たしか、日本史で習ったのですが……。

大切な内容だったような気がするのですが……。

なにが大切だったのか、どういうものだったのか、ちょっと復習しようと思います。

よろしかったらご一緒に、思い出してみませんか?

レッツ、徳政令!

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徳政令の意味

鎌倉・室町時代、貸借・売買契約の破棄のこと。幕府は御家人が質入れ・売却などで失った所領を回復させるため、しばしば徳政令を発布した。

徳政令が発布されると武士階級の人たちが手放した土地が返却されるということなんですね。

でも、なんで借金が消えるんでしょう?

貸した人は貸し倒れですよね。それこそ潰れちゃう質屋さんもあったかもしれません。

どんな恐ろしい法令だったのか、徳政令の内容をおさらいしてみます。

 

 

徳政令の内容

徳政令は元号が変わったとき、天災が起きた時、貧民救済活動などの目的で何度も行われたことがあると言われています。

そのなかで有名なのが鎌倉時代の「永仁の徳政令」です。

内容は以下の5つです。

  1. 裁判の再審請求の停止
  2. 御家人所領の売買と質入れの禁止
  3. すでに売却・質流れした土地は元の領主に戻すこと。ただし幕府が正式に譲渡・売却を認めた土地や新しい持ち主が20年以上領有している土地は返却不要。
  4. 御家人でないもの、武士以外のものが買い取った土地は年限にかかわらず元の持ち主に返すこと。
  5. 貸し借りや売買に関する訴訟は受け付けない。

とにかく御家人は土地を売ってはならん! 担保にした土地は御家人に返せ!

ということのようです。

鎌倉時代の御家人とは将軍と主従関係にある武士のことです。

武士ではあっても御家人ではない、将軍家の直下ではない人は買い取った土地は返さなければいけなかったのです。

鎌倉幕府の身内にだけお得な法令のようですね。

 

 

発布されたのはいつ?

先にも書きましたが、徳政令は元号が変わったとき、天災が起きた時、貧民救済活動などの目的で何度も行われました。

その中で最初の徳政令と言われているのが鎌倉時代、永仁の徳政令で永仁5年(1297年)に発布されています。

元寇ともいわれる文永・公安の役で出た御家人たちの負債をなかったことにするための法令であると言われています。

文永・弘安の役はモンゴル帝国が攻めてきたものですが、モンゴル帝国は日本国内に深く進攻することなく撤退しました。

被害は最小で食い止められました。

ですが、モンゴル帝国を迎え撃った日本の武士たちは十分な恩賞を受け取ることは出来ませんでした。

敗戦ではありませんが、攻め込まれただけで敵の領土を奪い取ることもできませんでしたので儲けが出ずに損ばかりの戦でした。

そのため戦支度にお金がかかった御家人たちの不満がつのっていきました。

それを解消する意味もあり徳政令が出されたということです。

だから御家人にばかりお得な法令だったのでしょうね。

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徳政令を必要とした人・しない人

御家人ばかりが優遇された永仁の徳政令。

手に入れた土地をみすみす取り上げられて、泣き寝入りしたのかというと一時的にはそうでした。

質屋さんなど土地を担保にお金を貸していた業者は土地を返すしかありません。

ですが、こんなことが起きるなら、もう二度とお金は貸しませんよね。

永仁の徳政令は一時的には御家人が潤ったように見えましたが、すぐにまた生活が困窮していくことになったのです。

 

 

徳政令を出さなかったら世の中はぐちゃぐちゃ?

永仁以降にも徳政令は何度も出されます。

今の時代で言うなら恩赦のようなものですから、内容は御家人の保護目的のものばかりではありません。

建武の徳政令という鎌倉時代末期の建武元年(1334年)に出された法令では借金が楽になるような条文ではありますが、御家人だけに適用されるものではありませんでした。

それでもやはりお金を貸した人が損をする内容です。

逆らいたかったでしょうが、どうにもなりません。

ただでさえ幕府・朝廷からの徳政令で大変な貸主には今後、さらなる受難が待っています。

室町幕府の時代になると、徳政令一揆というものが勃発したのです。

正長元年(1428年)の正長の土一揆、嘉吉元年(1441年)の嘉吉の徳政一揆など、農民の一揆によって公ではないけれども徳政令が事実上行われたり、幕府が折れて徳政令を出したりすることがありました。

このような時には農民にもお得な条項が上がっていたそうです。

 

 

悪影響が盛りだくさんの法令

一揆を起こせば幕府が言いなりになる。

そんな状況が長続きするわけもなく、室町幕府の権威失墜につながっていったと言います。

その後、戦国時代には戦国大名が自分の領地内で独自の徳政令を出すこともありました。

相模の北条氏康は飢饉の際に息子の氏政に家督を譲り、代替わりのお祝いとして徳政令を出しました。

甲斐の武田信虎は土一揆がないにもかかわらず、自然災害が重なったためか独自の徳政令を出しています。

戦勝を記念に出されることもあり、貸主の嘆きは止まらなかったようです。

 

 

現代にも徳政令!?

そういえば、現代にも徳政令に似たものがありました。

日本では「過払い金」問題がそうですよね。

利息制限法という法律で金銭を貸し借りした場合の利息上限が決められています。

この法律は歴史が古く、制定は明治10年(1877年)です。

昭和29年(1954年)には新しく制定し直されています。

借金がチャラにはなりませんが、利息上限が決まっていて超えた分は猶予されるというのは徳政令と似通っています。

「自己破産」も似ている制度だと言えるかもしれません。

 

 

外国にも徳政令!?

借金を帳消しにするという特赦の記録は古代シュメール文明の遺跡からも見つかっているそうです。

近代でも世界恐慌や世界大戦で他国の銀行から借りたお金を踏み倒すということもしばしば起きています。

個人が行うと犯罪ですが、国が行うとそれはいったいなんと呼べばいいのでしょうね?

 

 

徳政令の意味や内容 まとめ

・「徳」によって行う「政」に関する法令が「徳政令」。

・徳政令が発布されると借金が帳消しになる。

・御家人の土地は御家人のもの。借金の担保に取り上げられた土地も御家人のもの。

なんだか無茶苦茶な法令ですが、何度も発布されたというから驚きです。

お金を貸す方としたら、たまったものではありませんし、もう二度と金は貸さないぞと思いそうなものです。

それでも経済が回ったのは土地を中心とした社会だったからではないかと思いました。

徳政令が出そうだと思ったら、お金を貸している人は家財道具を抱えて他国へ逃げる。そういうことが簡単にできれば、踏み倒されることもないはずです。

日本が島国なために気楽に海外移住できない、そもそも日本国内の移動も関所等があり自由にはできないのです。

貸金業を営んでいた人たちには酷な法令だったようです。

もし徳政令そのものが現代日本に復活したら……?

損をしないようにさらなる徳政令の研究が必要みたいですね。

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