東京都渋谷区原宿の竹下通りを歩いていると、東郷神社への経路を示す案内板を目にすることができます。東郷神社は東郷平八郎を祀った神社です。
東郷平八郎が率いる連合艦隊は、日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊に大勝利をおさめ、日本は五大国に仲間入りすることができました。彼の偉大な功績を称えて、神として祀られているのです。
こんな偉大な人物ですが低身長だけどイケメンとの噂も‥‥また、彼の子孫は現在もいるのでしょうか?調べてみました。
東郷平八郎は低身長イケメン?
それでは、まず最初の疑問。東郷平八郎自身はどんな容貌だったのか?そこに迫ってみましょう。
本当に低身長だけどイケメンでモテていた
東郷平八郎は、身長に関して具体的な記録は無いようですが、「小柄だった」という記録が残っています。細身で身長もそんなに大きくは無かったのでしょう。つまり、低身長の噂は真実のようです。
1871年(明治4年)から1878年(同11年)まで、イギリス留学しました。年齢で言うと、23歳から30歳まで。29歳のころの肖像画が残されていますが、細長くシュッとしまった顔で、目はパッチリ。今でもホストが務まりそうな正真正銘のイケメンですね。
実際、芸者からかなりモテたと言われています
「沈黙の提督」はおしゃべりだった!
東郷平八郎は「東洋のネルソン」とか「海の東郷」とか呼ばれましたが、その他に「沈黙の提督」とも言われました。しかしながら若い頃はかなりのおしゃべりで、大久保利通から「おしゃべりだ」と注意されたこともあります。その後、留学時代に人間関係で悩んだこともあり、それ以降は無口になりました。
57歳、日露戦争の頃の写真を見てみますと、相変わらずのイケメンでとても優しそうな顔。連合艦隊司令長官には見えません。命令も優しかったんでしょうかね。
その後、少し太ったようです。貫禄の付いた写真もあります。軍服に軍刀も持っているので怖い感じもしますが、優しい面影も残ってますね。
東郷平八郎の子孫はいる?
次に、東郷平八郎の子孫についてですが、現在も活躍されているのは曾孫の東郷宏重さんです。他にも公表されていない方は多くいらっしゃるのだと思います。
まずは、息子さんから辿っていくことにしましょう。
長男:東郷彪は侯爵
長男の東郷彪(ひょう:1885~1969)は、東京高等農学校(現東京農業大学)を卒業。農商務官僚や宮内官僚、貴族院侯爵議員などを務めました。
温厚な人柄。趣味は黒猫の置物の収集や菊栽培。新宿御苑の菊栽培などを手がけていたそうです。旧邸は母校である東京農業大学の厚木農場内に移築され、「黒猫荘」と呼ばれているそうですから、かなりの猫好きですね。
長男の娘:東郷良子が家出!
東郷彪の娘の良子は、ちょっとした事件を起こしています。家出をして、17日間ほど浅草のカフェで働いていたため、新聞に載ってしまいました。
女子学習院3年生(満17歳)の良子さん。3月の卒業までに提出しなければいけない宿題ができていなかったため、親に叱られるのを恐れ(他にもいろいろあったんだとは思いますけど)、偽名を使って出勤。
出勤と言っても、当時のカフェの女給さんというのはお店から給料はもらえず、お客さんからのチップが唯一の収入。お客さんに気に入られるために、個人的にサービスを頑張ったのでしょう。
17日間しか働いていないのに、良子さんは慶応ボーイの間で人気になり、ちょっとした有名人に。ところが、親が家出人として新聞に顔写真を載せたものですから、バレそうになり慌てて帰宅したとのこと。
当時の新聞は面白おかしく取り上げたことでしょうが、盗んだり暴れたりしたわけじゃないですし、むしろ人気者になったという才能に注目すべきです。イケメンでおしゃべりなお爺ちゃんの血が隔世遺伝したんじゃないでしょうか。
父親の彪侯爵のコメントです。人柄が伺える文章で気に入ってしまったので、ちょっと長いですが、引用します。
「今度の事件から私は苦悩と心痛のうちに呼び起こるものは若い者の時代を知れということです。私達は自分の経験から万事割り出して考えますがそれは時代を忘却していると思います。遥かな若い者の時代には親は常に近づいてゆく用意と寛容を持たねばならぬことを教えられました。これからは娘のこともよく聞いて手を取り合うように生きて行くつもりです。華族として世間をお騒がせした責任は重々感じております。謹慎をして子供を導き明るく生きたいと思っています。近代娘は不可解だ、あきれたものだの一点張りではこれからの親は落第です。そのことをしみじみ考えさせられました。世の親たる人は私の子のことをよく見られてお子さん方の導き方に思い当たる節でもありましたらなら私は心から喜ぶ次第です」
次男:東郷実は海軍少将
次男の東郷実(みのる:1890~1962)は、海軍兵学校を経て、1913年(大正2年)12月、海軍少尉に任官し「香取」乗組となりました。以後、太平洋戦争終結まで海軍にいました。最終階級は海軍少将。
次男の息子:東郷良一は海軍大尉
東郷実の長男の良一は、海軍兵学校を72期で卒業。その後、わずか一年と一ヵ月後に、フィリピン島バラワン沖で戦死。二階級特進で大尉。重巡洋艦摩耶の甲板士官でした。
もともとは71期だったので、一年留年しています。元帥の孫だから特別扱いというようなことは無く、普通に先輩から殴られて悔しい思いを何度もしたようです。良一の後輩も留年が決まった時、先輩の立場も慮った上で温かい言葉で後輩を励ましたそうです。
曾孫(三男の孫):東郷宏重は自衛隊
東郷平八郎の三男の孫、つまり曾孫にあたるのが東郷宏重さん(1959年9月27日生)。なんと、フェースブックで発見しました。
防衛大学校から海上自衛隊へと進まれたようです。退官後は田中貴金属グループに勤めておられるようです(2017年1月23日現在)。
海の男らしく、ヨットが趣味のようです。
日露戦争史料館の記念式典に参加!
サンクトペテルブルクに日露戦争史料館がありまして、東郷平八郎元帥の軍服レプリカが、在福岡ロシア連邦名誉領事の田村文彦さんより寄贈されました。2018年5月11日のことです。
その寄贈式典には海軍関係者や歴史家、日本海海戦参加者の子孫などが招かれました。もちろん、東郷宏重さんも参加されました。
まとめ
- 東郷平八郎は、29歳ころの肖像画を見ると、なかなかのイケメン。芸者からかなりモテたらしい。
- 後年、「沈黙の提督」と呼ばれているが、若い時はかなりのおしゃべりだった。
- 長男の東郷彪は、貴族院侯爵議員。温厚な性格で、猫好き。
- 孫(彪の娘)の良子は、17歳の時に家出をして新聞沙汰になった。
- 娘の家出に関する彪のコメントは、人柄が伺える名文。
- 次男の東郷実は海軍兵学校を経て、太平洋戦争終結まで海軍にいた。最終階級は海軍少将。
- 孫(次男の息子)の良一はフィリピン島バラワン沖で戦死。二階級特進して大尉。海軍兵学校時代は後輩思いの良き先輩だった。
- 曾孫(三男の孫)の宏重は、防衛大学校から海上自衛隊に入隊。退官後は田中貴金属グループに勤務。フェイスブックをやっている。
- サンクトペテルブルクの日露戦争史料館に東郷平八郎の軍服のレプリカが寄贈され、記念式典には東郷宏重も参加した。
日露戦争史料館がロシアにあり、関係者が今も交流しているというのはホッとする話です。これも東郷元帥の人柄あってのことでしょう。本当に神様のようです。
今後「尊敬する人は?」と聞かれたら、「東郷平八郎!」と答えたいと思います。
こちらの記事も一緒に読まれています