みなさん上杉謙信というと、好敵手・武田信玄とは対照的に色白で美男子でいう印象が少なからずあるのではないでしょうか?
写真の謙信の銅像もなんか凛々しいですよね。笑
私とか歴史が好きで、大河ドラマとか観てたりしてましたが、近年では風林火山のGACKTさん
昔だと若き日の石坂浩二さんの印象が強いですね。
ところで、この上杉謙信についてとんでもない説があるんです。
それはなんと「上杉謙信 女性説」が浮上しているのです。
嘘でしょ?本当に?と思う方もいるかもしれません。
謙信になぜこのような説が流れてしまったのか?
上杉謙信に女性説が流れる理由
生涯独身だったから?
謙信は生涯結婚せず独身を通します。それが女性説につながったのかもしれませんね。
私が思い浮かぶのは、海音寺潮五郎の小説「天と地と」です。
この小説では、家臣の娘・乃美との関係です。
幼少期からを一緒に過ごしてきて、幼なじみのような間柄の二人。
けれど、成長して互いに好意を寄せているのにもかかわらず、謙信は、潔癖なところがあって、そんな中夢に毘沙門天が現れるんです。
そしてなんと、夢のお告げにしたがい男女の関係を一切断ってしまうんです。
好色な武将が多い戦国時代において、謙信みたいな人は珍しいなと思いますね。
こんなストイックな男性、私は好きですね。笑
しかも乃美は病気で若くして亡くなってしまうんです!
なんとも切ない話ですね。
謙信は自身の夢のお告げと初恋の人の死によって独身を貫いたんですね。
独身だったから以外にも、上杉謙信女性説にはまだまだ理由があります!
ゴンザレス報告書とは!?
ゴンザレスってだれって思う方も多いと思います。
私も実は最近知りました。笑 どうやらスペイン人の宣教師で、あの有名なフランシスコ・ザビエルと同業者って感じですね。
ゴンザレスはスペインの時の国王・フェリペ2世に手紙を送っています。
「会津の上杉は純金をたくさん持っている。上杉の叔母が佐渡を開発してたくさんの純金を持っている」
この「叔母」というのがなんと謙信のことなのです!
ゴンザレスはなぜ国王への手紙に「叔母」と書いたのでしょうか?
単なる書き間違えで「叔母」と書くでしょうか?
独身で眉目秀麗の謙信を外人の目には女性に見えたのでしょうかね? 笑
しかし、これだけで上杉謙信女性説は本当だと言えるでしょうか?
度々襲われた腹痛は生理痛だった?
謙信は生きてる間、度々腹痛に見舞われるんですね。
単にお腹が弱かっただけじゃないの?
私なんかはそう思ってしまいますね。笑
戦の最中、毎月10日前後に城に籠っていたようで、病で倒れた場所がトイレ(当時の厠)だったため女性説が出たようです。
生理痛だったのではと思われたようですね。
しかも、「寸白」という女性特有の病気で亡くなったとされています。
かなり、上杉謙信女性説に信憑性が増しますよね。
本来は脳卒中で亡くなった説もありますが、ここにきて、「寸白」?
この聞きなれない「寸白」という病気。実は歴史上の有名な人物でなってる人がいるんですよ!
それは、なんと「平清盛」なんですね。
清盛も同じ病気にかかっているんですよ!
なぜか清盛には女性説は全然ありませんよね?
「寸白」という病気。実は寄生虫(サナダムシ)の意味もあったんです!
となると、はやり女性ではなかったのでしょうか!?
当時の男性にしても小柄だった?
現代男性と比べても、戦国時代の男性の平均身長は159㎝と小柄ですね。
さらに、謙信は156㎝と低いんですよ。
まわりより背が低いときて、なにかしらのコンプレックスを謙信は持っていたと思いますね。
私のまわりにも、学生時代イケメンだけど低身長の男子がいて、彼は背が低いことをコンプレックスに感じていたみたいで厚底の靴を履いていましたね。
潔癖なところも謙信に似ていて、洗濯物など独自の畳み方があると言ってましたね。笑
コンプレックスを払拭するように、謙信には得意だったことがあります。
乗馬ですね。小柄の方が有利とされているみたいで、宿敵・武田信玄との川中島の戦いでも馬にまたがって一人で信玄の陣地まで乗り込んでますよね 笑
背が低く、おまけに色白ときて、上杉謙信女性説が出たのでしょうか?
愛読書は「源氏物語」!?
武士というと、堅物で強いイメージですよね?
ライバルの信玄なんて愛読書は「孫子」ですよ。
かの有名な「風林火山」も「孫子」から取られた言葉なんですよね。
なんと謙信の愛読書は「源氏物語」なんです!
やはりというか、意外というか。笑
「源氏物語」なんて戦いのたの字もないですよね。
終始色恋の話ですよ。それを愛読書って。笑
謙信はロマンチストで、実生活では正室や側室とかはいなかったので心のどこかでは憧れていたんでしょうね。
かたや、戦に明け暮れる。
ギャップがいいですね。
みんなで飲むより一人酒が好き?
謙信はどうやらお酒は好きなようですね。
戦国武将だと普通は家臣を大量に集め、毎夜の宴を開くと思うんですよ!
しかし謙信は違うんですね。
ひっそりと縁側で梅干しなどをつまみしながら、しっぽり晩酌するのが好きだったみたいですね。
私も居酒屋などで友人などと飲むより、自宅で一人飲む方が好きですね。
そこは謙信と一緒かも?
当時としては珍しく、宴を開かなかったため、もしや女性なのでは!?と疑いを持たれたのかもしれませんね。
数々の上杉謙信女性説を取り上げてきましたが私は違うんじゃないのと。やっぱり男性だったのではと思うんです!
謙信は美少年好きだった!?
戦国時代、衆道と言って小姓などと、同性愛関係を持つのが普通だったようです。
有名なところだと織田信長もそうですよね。
武士のたしなみみたいな感じで、今ほど深くとらえられていなかったみたいですね。
こちらの方が信憑性高いと思います。
謙信は特に美少年好きで京の都に上洛の際は、美少年たちを侍らせて、朝まで宴会をしていたようです。
家臣たちとは飲まず、一人酒なのに美少年たちとは朝まで飲み明かす。笑
謙信の二面性を垣間見えて私は面白い人だと思いますね。
実は高野山に登山していた!
なんと謙信、女人禁制である高野山に、二回も登山してるんですね。笑
女性だったらまず無理ですよね。
女性が高野山に登山できるようになったのは、明治39年になってからなんですよ!
謙信は戦国を生きた人ですよね。
これは男性だったと断言できますね!
出家時、なんと比叡山にいた!
若干27歳で謙信は出家するんですよ!
その時にいたのがなんと「比叡山」なんですね。
女性で出家するならやっぱり「尼寺」じゃないですか!?
比叡山は女人禁制なんですよ!
比叡山って厳しい修行で有名なんです。
私の知り合いが、仏教系の高校に通ってまして、2年生の時の担任が教師兼お坊さんだったんですよ。
若い頃に比叡山で修行したとのこと。
そりゃあ厳しくて嫌になったよと。笑
女人禁制で男性でも値を上げるのに女性だったのは考えられませんね。
戒名の謎
家族で住んでる方は必ず仏壇が家にあると思うんですね。
位牌が置いてると思うんですけど、そこには亡くなったご家族の戒名が彫られていると思うんです。
謙信の場合、「権大僧都」とか「居士」って彫られてるんですよね。
特に「居士」なんて男性にしかつけませんよね。
私の亡くなった祖父の位牌にも「居士」って彫られてましたね。
女性だったらだいたい、「大姉」「信女」とかですかね。
まとめ
1.謙信は美少年好きだった!?
2.実は高野山に登山していた!
3.出家時、女人禁制の比叡山にいたことから男性と思われる
4.戒名が居士なので男性と思われる
よって、私は男性だと思います。
皆さんは、上杉謙信を女性だと思いますか?それとも男性だとおもいますか?
歴史上の人物はこんな人物だったのではと、妄想にふけるのも楽しいですよ!