江戸時代

和宮と篤姫の仲は、ぶっちゃけどうだった??

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[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]和宮と篤姫、二人には不仲説がありますね。[/voice]

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r"]女性同士のバトル・・・バチバチだったのかな?[/voice]

第14代将軍徳川家茂に嫁いだ和宮親子内親王。第13代将軍徳川家定に嫁いだ天璋院篤姫。

2人は共に徳川家に嫁いだ女性ですが、武家と皇族というまったく違う世界で育てられており、考え方や文化の違いもありました。

そんな2人は大奥で一緒に暮らすことになるわけですが、果たして2人の仲はどのようなものだったのでしょうか?

今回は歴史マニアの私が、2人の仲を探っていきます!

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篤姫と和宮は仲が悪かった⁉

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l fb"] 篤姫と和宮は不仲だったということを証明する逸話が残されています。[/voice]

エピソード①

縁組みにあたり、和宮から条件が出されました。

それは「御所風儀」です。御所風儀とは、服装や髪型など公私にわたるすべてを武家風の大奥のやり方には一切従わないというもの。さらに、天璋院篤姫や家茂の母は大奥に住まわせず、一切対面しないという条件でした。

その条件を伝え聞いた当時大奥を取り締まっていた天璋院篤姫は、こう言います。

「将軍家に輿入れするからには武家風儀にしたがってもらわなければならない」

そして、和宮は大奥に入ると、御所風儀の約束が見事に破られていました。大奥では、御所風儀を守るというようなことは一切聞いていないと言い、篤姫武家の風儀を通そうとします。

そしていよいよ運命の初対面の際。

篤姫が上座に座り、和宮は下座。さらに、篤姫には座布団が用意されていたのに対し、和宮には座布団がありませんでした。徳川家の中では篤姫の方が上位なので、この対応は間違いないのかもしれません。

しかし、皇族の世界で育った和宮には理解しがたかったと思います。対面が終った後、和宮は悔しがり涙を流したと伝えられています。

 

エピソード②

和宮から篤姫に贈り物をした際、表の紙に「天障院へ」と呼び捨てで記されていたという逸話も残っています。位階で行ったら、和宮が上で篤姫は下の立場です。和宮にとっては当然のことだったのかもしれません。

このようなエピソードから、2人は不仲だったのではないかと言われていますが、2人とも身分が高いだけに日常的な接触はあまりなかったそうです。

我々が想像するバチバチの喧嘩はなかったと思いますので、このエピソードだけでは根拠にならないかもしれません。

また、当事者同士の争いというよりも、それぞれに従っていたお付きの人たちの争いだった可能性もあります。そこから篤姫と和宮の不仲説が浮上したのではないか、とも考えます。

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/1037518.jpg" name="天草 ゴロー" type="r fb"]仲は良くなかったかもしれないけど、そこまでバチバチではなかったみたいだね[/voice]

 

 

江戸城ピンチ!その時2人がとった行動とは⁉

幕末にかけて徳川家は尊王攘夷により、壊滅の危機にさらされます。当初は不仲と言われた篤姫と和宮ですが、徐々に2人の関係は改善をされていったようです。

徳川慶喜が将軍に就くとすぐに大奥の改革を図ろうとします。これに反対をしたのが、篤姫と和宮。2人は共同で徳川慶喜の大奥改革に異を唱えます。

その後に起こったのが戊辰戦争が起こります。官軍に江戸城攻撃の意図が伝わると、篤姫と和宮は共同してそれぞれに嘆願活動を開始します。篤姫は実家である島津家や、薩摩藩の出身で当時東征大総督府下参謀に任じられていた、西郷隆盛に嘆願書を出します。

また、和宮も征討大将軍である仁和寺宮嘉彰親王や、母の実家である橋本大納言家に嘆願書を送っています。結果的江戸城は無血開城され、江戸も無事でした。

無血開城は、必ずしも嘆願書のみの成果ともいえないようですが、嘆願書が大きな要因であったのは事実。篤姫と和宮が共同歩調をとることで、江戸の町は無事だったといえそうです

[voice icon="https://rekisi-omosiroi.com/wp-content/uploads/2018/05/2018-05-27_21h45_18.png" name="万 利休" type="l"]仲が良くなかった女性同士が仲良くなるケースって稀だよね?でも和解すると結構仲良くなるっていう。[/voice]

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幕府がなくなった後、篤姫と和宮はどうなった⁉

篤姫は、実家である島津家の申し出を断り、薩摩に帰ることなく江戸に住み続けます。明治になると、篤姫も和宮も江戸城を出て行きます。和宮は、1869年に京都へ戻るも、1874年には東京に戻ります。

この頃、篤姫と和宮はともに勝海舟の元を訪れます。勝海舟の家では食事が供されましたが、お互いが相手のことを敬い、篤姫は和宮の、和宮は篤姫の給仕をしようとした話が伝わっています。

篤姫と和宮は最初の頃こそ不仲が伝えられていましたが、幕末を契機として2人は強い信頼関係が培われていったものと思われます。

和宮は脚気を悪化させ、箱根で療養生活を送るようになります。このとき、篤姫は和宮の療養地まで病気見舞いに訪れています。篤姫は鹿児島から江戸に出てきて以来、江戸の地を離れることはありませんでしたが、この箱根の病気見舞いは唯一の例外でした。

篤姫にとって、和宮はそれだけ大切な存在になっていたと言えます。結果的にこの病気見舞いが篤姫と和宮の最後の面会となり、和宮は1877年に亡くなります。なお、遺言により和宮の墓は、夫である徳川家茂と同じく増上寺にあります。

一方の、篤姫は和宮よりも長く1883年まで、東京で生き続けます。島津家の援助を一切受けることなく、亡くなった時に残されたお金はわずか3円(現在の5万円~6万円)。とてもつましい生活をしていたことがうかがえます。

篤姫の墓所は上野寛永寺。和宮と同じように、夫である徳川家定の隣に墓所が設けられています。

 

 

そもそも天璋院篤姫とか和宮ってどんな人だったの?

篤姫ってどんな人?

おかつは、武家の娘として立派に育てられます。篤姫は薩摩藩主島津家の一門である島津忠剛(しまづただたけ)の娘として生まれます。幼名はおかつ。

そのままいけば家臣の妻になっていたかもしれません。しかしその後、薩摩藩主島津斉彬(しまづなりあきら)の養女となるのです。これには理由がありました。

当時の徳川家第13代将軍家茂には子がおらず、跡継ぎがいませんでした。そのため、次の将軍を一橋家の慶喜にするか、紀伊家の慶福にするかで派閥争いが繰り広げられていました。

篤姫は薩摩が推す一橋家の慶喜を将軍にするため、徳川家に送り込まれるのです。篤姫は政略結婚だったんですね。

その後、右大臣近衛忠煕(このえただひろ)の養女となり、第13代将軍徳川家定の正室となります。嫁いだ夫家定は身体が産まれつき病弱であり、結婚生活はわずか2年弱でした。

→ 徳川家定と篤姫の夫婦仲が実は…!?死因の真相は?

家定の死去に伴い落飾し、天璋院(てんしょういん)となっています。この後も波乱万丈な人生を送ります。

 

和宮親子内親王ってどんな人?

和宮は孝明天皇の妹でもあり、皇族の中でも一品に次ぐ二品の立場でした。和宮は、仁孝天皇の皇女として生まれます。

位階は全部で30の段階がありますが、二品というのは上から3番目または4番目に当たります。いずれにしても相当に高貴な立場です。

和宮は第14代将軍徳川家茂の正室となるわけですが、実は婚約者がいました。有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)です。

この婚約を蹴ってまで、和宮はなぜ徳川家に嫁がなければならなかったのでしょう?

当時、江戸城の外では安政の大獄の嵐が吹き荒れていました。尊王攘夷を叫ぶ一橋派に対し、大老井伊直弼は冷酷無残な弾圧を行い、朝廷と幕府との間に埋めようのない深い溝を作りました。

そのため、井伊は皇女降嫁を思いつきます。幕府は家茂の正室に皇女・和宮を指名。和宮は第14代将軍徳川家茂と同い年でした。和宮は将軍家への嫁入りを拒否しましたが、幕府は結婚を条件に朝廷と尊王攘夷を確約したため、和宮はいやいや縁談を承諾せざるを得なかったのです。

こちらも政略結婚だったのですね。時代を感じます。

 

 

まとめ

[aside] 

  • 篤姫と和宮は生まれた世界がまったく違っていたことから、最初は関係がうまく保てなかった。
  • 篤姫と和宮は幕末の時代を一緒に生き抜いた結果、戦友として最後はいい関係を築いていた。

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というのが、今回のまとめです。

2人は幕末の動乱に巻き込まれながらも、必死に生きた素晴らしい女性でした。

今の時代にも、繋がる部分がありそうですね!

今回は篤姫と和宮の仲について、解説させていただきました!

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