弥生時代

弥生時代の食事はどんなだったの?

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日本人にとって、まさしくソウルフードと言える「お米」。

我々は一体いつから「お米」を食べてきたのか考えたことはありますか??

なんと我々がお米を食べ始めたのは、はるか昔、弥生時代にまで遡るのです。

遠い、遠いご先祖様たちは一体どんな食生活を送っていたのでしょうか。

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弥生時代の食事・主食

日本史の教科書の弥生時代の箇所を開くと、「弥生時代の日本では、稲作が本格的に始まった」という内容の説明が必ず載っているかと思います。

稲作が始まったことによって、米を始めとする穀物を、主要な食料の一つとする食生活も開始されたことが推測されます。

実際に発掘された各地の弥生時代の遺跡には、米の他に小麦、稗、粟、小豆などの雑穀が栽培されていた痕跡が残っています。

このような穀物は水で炊かれて食べられていたと考えられています。

稲作が始まったとはいえ、お米はまだ貴重なものでした。従い祭事など特別な時だけ白いお米を食べ、普段の食事では粟や稗などの雑穀が食べられていたと推測されています。

穀物の他にも、モモ、アンズ、ウメ、スモモ、カキなどの果実、スイカ、カボチャなどの瓜類の栽培が始まりました。

特にモモは弥生時代になってから発見される果実で、大陸からやってきたことが予想できます。

 

 

縄文時代の食事との違い

では弥生時代の一つ前の時代、縄文時代の食事と比較をしてみましょう。

弥生時代は紀元前3世紀ごろから紀元後3世紀(諸説あり)までの時代ですが、縄文時代はおよそ1万5000年前から2300年前(諸説あり)に発展した時代です。

弥生時代と比べると時代区分が広く、ゆっくり、長い時間をかけながら生活の様相が変化していきました。

弥生時代と違い、稲作文化が発展していなかった縄文時代では、人々はどんな食事をしていたのでしょうか。

縄文時代というと、モースが発見した「大森貝塚」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

貝塚は文字どおり、当時の人々が捨てた貝殻が積み重なった「古代のゴミ捨て場」です。

貝塚の発見により、古代の人々が貝を収集し、食事にしていたことがわかりました。

また縄文時代の遺跡からは、弓矢、銛、釣り針などが発見されており、猪、熊、鹿、狐などの動物の他、マグロ、サケ、マスなどの魚を狩猟していたことがわかっています。

また、ブナ、ナラ、クリ、トチノキなどの木の実の採取も、集団で共同生活をしながら採取していたと考えられています。

縄文時代は弥生時代と違って、狩りや採集など、「そこに有るもの」を食べる生活をしていたということがわかります。

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食事が変わると何が変わる??

縄文時代と弥生時代では、狩りや採集生活から農耕生活に変わるという大きな変化がありました。

では農耕生活になったことによって、食事の他には一体どんな変化が起こったのでしょうか?

 

①道具が変わる

そもそも稲作はどこから伝わったのでしょうか??

稲作は朝鮮半島や中国大陸から移り住んできた人たちから伝わった技術とされています。

稲作の発展によって、農耕用具が木星から金属製に変わりました。つまり、彼らから加工技術も学んだということです。

さらに農耕用具だけでなく、狩りに使う槍や剣にも金属が使われるようになり、効率は格段に上がりました。

しかし、この技術の発展は、戦いの道具を生み出すことにも繋がったのです。

 

②住居が変わる

農耕が始まり安定して作物が採れるようになると、それらを保管する場所が必要になります。

縄文時代は地面に穴を掘り、その上に屋根を取り付ける「竪穴式住居」に暮らしていました。この時代は狩猟・採集生活が中心だっため、定住する必要がなく、非常に簡単な住まいでした。

しかし農耕が始まると、その場所に定住するようになります。縄文時代と同じ「竪穴式住居」では、せっかく収穫した作物があっという間にネズミに食べられたり、腐ってしまいます。

そこで弥生時代では、地面から離れた風通しの良い場所に倉庫を作りました。これが弥生時代の「高床式倉庫」と呼ばれるものです。

この「高床式倉庫」には、ネズミの侵入を防ぐ「ネズミ返し」という工夫が施されていました。

 

③土器が変わる

歴史の教科書には縄文時代と弥生時代の比較対象となるものとして、縄文土器と弥生土器を並べます。

縄文土器の特徴は、黒褐色のものが多く、縄目の模様が施されています。また低温で焼かれて作られたため、土器が厚めです。

縄文土器は食べ物の貯蔵や、雨水を貯めるたり、煮炊きに使用されていました。

一方弥生土器は、赤褐色のものが多いです。稲作と同様、朝鮮半島や大陸から技術が伝わり、高温で蒸す方法で作られ、土器自体が硬く、薄手です。

模様は直線や幾何学模様で、シンプルなものが多いです。

弥生土器は液体・食料の保存、煮炊き、食べ物の盛り付け用にに使用されました。縄文時代よりも種類が豊富で、使い道ごとに分けられていました。

 

 

まとめ

さて、弥生時代の食事について、また食事の変化によりもたらされた影響について調べてきました。

  • 縄文時代は狩猟・採集文化、弥生時代は農耕文化
  • 稲作が始まり米を食べるようになったが、引き続き狩猟・採集も続けた
  • 農耕は朝鮮半島や中国大陸から伝わった
  • 道具、住居、土器が変わった

私は旅行が大好きで、一泊二日の旅行から一週間のヨーロッパ旅行などにも行くこともありますが、必ずどこかでお米が食べたくなります。

やっぱり自分は日本人なんだなぁと、海外のスーパーでおにぎりやお寿司が売っていると安心します。

我々の食文化の基礎であるお米の始まり、今後科学技術の進歩でもっと興味深いことが発見されることを期待しています。

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