日本人のソウルフードである「お米」が本格的に栽培されるようになった弥生時代。
今でこそ田んぼではトラクターで田植え、稲刈りをし、機械で脱穀をしておりますが、稲作超初期の弥生時代では一体どのような道具を使ってお米を栽培していていたのでしょうか。
稲作超初期の道具
実は弥生時代も前期と後期に分かれており、使用していた道具も異なります。
それぞれの時代で使われていた道具を調べていきましょう。
①弥生時代前期
弥生時代の前期では、人々は基本的に「木製農具」を使用していました。
まず重要なのは田を耕す「鍬(くわ)」と「鋤(すき)」です。
「鋤」も同じような役割をしますが、実は「鍬」とは使い方が異なります。「鍬」は地面を掘り起こし雑草を刈りつつ、田んぼの土をならす役割をしています。
「鍬」は土を奥から手前に引き土を耕すのに対し、「鋤」は手前に差し土を掘り起こしながら耕していきます。
「鋤」は現代のスコップのような役割でしょうね。
収穫時には石でできた「石包丁」という道具を使い、稲穂を刈り取っていました。
晴れてお米(稲)を収穫できたら、もみ殻を取り除く「脱穀」という作業が必要となります。
この脱穀に必要な道具が「木臼」と「竪杵(たてぎね)」のセットでした。
木臼に刈り取った稲を入れ、竪杵でついてもみ殻を外しました。
そして稲作を効率よく行うため工夫を凝らした道具も使用していました。
それが「田下駄」「大足」「田舟」です。
「田下駄」は膝以上の深さに入るときに足が沈み込まないように履いていた、大きな下駄の事。
「大足」は雑草や肥料を踏んで田んぼに混ぜる役割を持つ、足に装着する道具。
「田舟」は深い田んぼで作業をする際、稲を運ぶ小さな道具。
これらを駆使して弥生時代の前期はお米を栽培していました。
②弥生時代 中期・後期
弥生時代も中期、後期となってきますと、金属器(鉄)が伝来し、鉄製農具が使用されるようになります。
紀元前2000~1500年にかけ、古代アナトリア(現在のトルコ)で製錬が始まった「鉄」が、とうとう日本に伝わったのかと思うとワクワクしますね。
今までの木製の「鍬」や「鋤」が、「鉄鍬」と「鉄鋤」に変わりました。
そして収穫に使っていた「石包丁」が「鉄鎌」に変わりました。
「石包丁」では稲の穂先を切り取っていましたが、「鉄鎌」に道具が変わってからは稲の根元から刈り取るようになります。
大分イメージがつきやすくなってきましたね!!
鉄製農具が伝わっても、脱穀は木臼と竪杵を使用していました。
田んぼも違う!?
弥生時代の前期と後期では、使用した道具も違えば稲を育てていた田んぼも違いました。
弥生時代の前期の田んぼは「湿田」と呼ばれるものでした。
それに対し現代の田んぼは「乾田」と呼ばれています。
さて、「稲作」というと、真っ先に思い浮かぶのは「田植え」をしている風景ではないでしょうか?
実はこの「田植え」は「乾田」ではないとできないものなのです。
では、まず始めに「湿田」はいったいどのような田んぼなのか調べてみましょう。
「湿田」は簡単にいうと「常に水が溜まっている=水が抜けない田んぼ」の事です。
いやいや、今だって田んぼには水が張っているじゃないかと思ったそこの貴方。
現代の田んぼ(乾田)は稲の成長に合わせて、水を抜いて、土を乾かし、新鮮な空気を土に含ませている為、より丈夫で質の良い稲が育てられているのです。
それを可能にしているのが「灌漑設備」です。
灌漑設備というのは、人工的に給水と排水が行える設備の事で、具体的には川等から水路を引っ張ってきて、土を乾かしたいときは堰(せき)などを使い水を止めることが出来ます。
弥生時代前期ではこの「灌漑設備」が無かったため、前述した田下駄などを駆使し、常に水の張った田んぼで稲作をしていました。
田下駄を使わなければいけないほど深い田んぼもあった為、当然「苗」を植える「田植え」はできません。
そこで弥生時代前期では「直播(じかまき)」という、もみ殻を直接田んぼにまく方法をとっていました。
実はこの直播では丈夫な稲が育たず、お米の生産率は非常に低いものでした。
従い弥生時代の前期では、縄文時代に引き続き木の実の採集や狩猟をしながら食料を確保していました。
お米を「保管」する
折角苦労して収穫できたお米はしっかり保管をしておく必要があります。
しかし縄文時代に人々が暮らしていた「竪穴式住居」では、水害や動物(ネズミ)などからお米を守ることができません。
そこで弥生時代の人々は、床を高い位置に作り風通しを良くした「高床式倉庫」でお米を始めとする穀物を保管するようになりました。
さらにねずみが倉庫内に入り込まないように、「ネズミ返し」を取り付ける工夫を施しました。
まとめ
さて、弥生時代の稲作、またで使われていた道具について調べてきました。
・弥生時代前期では木製農具を、弥生時代中後期には鉄製農具を使用していた。
・弥生時代前期は「湿田」で、弥生時代後期には「乾田」で、お米は育てられていた。
・弥生時代前期はお米の収穫率が低かった。
・収穫された穀物を保管する「高床式倉庫」が利用されていた。
現代では品種改良も進み、またトラクター等の開発で稲作も機械化が進んでいると確かに言えます。
しかし、基本的には苗を育て、時期を見て水を抜いたり入れたり、収穫したら脱穀をして…と本当に昔から変わらない方法でお米は育てられています。
日本テレビの人気番組「鉄腕DASH」の企画の一つ、「DASH村」は現代の多くの日本人に、伝統的に伝わる農業の技術のすばらしさを広めました。
今私たちが美味しいお米を食べられるのは、はるか昔のご先祖様が様々な道具や知恵を駆使して、少しずつ改良されてきたおかげだという事を、しっかりと心にとどめておかなければいけませんね。